変わったり、変わらなかったり
思い出の場所を巡った。もっと変わっているかと思ったけれど、10年ではあまり変わっていなくて、さらに20年遡っても変わっていなかった。もちろんお店が変わっていたりはあるけれど、大きくは変わらない。一番変わっていなかったのは私だったけど。
昔住んでいた街というものがある。それは転勤で住んでいた街かもしれないし、上京して初めての一人暮らしをした街かもしれない。上京や就職などのタイミングで馴染みの街を離れ、新たな街を訪れる人も多いのではないだろうか。
そんな昔住んでいた街を久しぶりに訪れると、街の様子が変わっていることがある。あのお店がなくなり、こんなお店になったのか、など。そこで30年前のガイドブックを片手に、自分が知る前の街と自分が知る街、そして今の街を歩いてみたいと思う。
街は刻々と変わっていく。自分が住んでいた街に10年後に訪れれば、そこはもう別の街かもしれない。もちろんその街は自分が住む前にも存在しており、変化する中の一つとして自分が住むことになり、引っ越していなくなっていく。
自分が住む前のその街のことを知るべく、1989年に出版されたガイドブックを手にいれた。これを持って歩けば、私が知る前、知っている頃、現在という3つの時間を旅できるのだ。ということで、東京・小平市にある鷹の台駅を訪れた。
私はこの街で18歳から22歳までの大学4年間を過ごした。今から10年以上前のことだ。大学卒業と共に引っ越し、それからはほぼ来ていない。1989年のガイドブックと、2004年から2008年までの思い出、そして2019年の今のこの街を歩きたいと思う。
ガイドブックによれば、鷹の台駅からちょっと南に行けば玉川上水緑道とある。流水の風情を楽しむことは無理だが、雑木林が続くそうだ。その通りで私もここを歩き大学へ向かっていた。かつては江戸市中へと飲み水を供給していたものだ。
あまり変わっていない。残念ながら私が住んでいた頃の写真はないのだけれど、私の脳内ストックフォトによれば、変わっていない。1989年と現在が変わっていないので変わっているはずがないわけだけど。
かなり真面目な大学生生活を送っていた。授業には全部出ていたし、友達や彼女もいないという、ある意味、ストイックな学生時代を送ったと思う。では、何をしていたのか思い出すと全然ストイックではなかった。
地図にはないが、鷹の台駅の裏が公園でそこを横切ると津田塾大学に行くことができる。津田塾に通う学生は毎朝この公園を横切り大学へと向かう。それをよく見ていた。津田塾は女子大なので、その登校風景がカーニバルのようなのだ。キラキラしていた。
私の通っていた大学にはない華やかさがあった。もちろん女子大なので、構内には入れないので、この公園のベンチに座り、違うカラーの学生をカーニバルのようだなと見ていたのだ。本当にキラキラしていた。それを見ると私もキラキラしてくる気がした。青春である。
家から徒歩1分にある「小平市ふれあい下水道館」にもよく行った。無料なので、よく行ったのだ。下水道について知ることができる。1990年にできた施設なので、ガイドブック出版当時にはなかったものだ。やはり街は変わるのだ。
カーニバルを見てキラキラした私はここに通い「体験コーナー」を堪能した。体験コーナーとは何なのか、キラキラした私の瞳に映っていたのは何なのか、それは見ればわかる。たぶん日本でここだけの体験コーナーなのだ。
ふれあい下水道館では、下水道の中に入ることができるのだ。現役バリバリの下水道の中にだ。懐かしいし。大学時代の私がよく見ていた景色だ。変わらない。10年経ったけれど、変わらない景色。街は変わるけれど、変わらない景色もある。それがここだ。
通っていた大学前の美大通りを歩き小川寺を目指す。小川寺に思い出はないのだけれど、その前にある神明宮では大晦日にりんご飴を売るバイトをしていた。顔見知りの同級生グループが初詣に来ていた。バイトをしている私には気づいていなかったし、一緒に初詣に行こうとも誘われていなかった。
少し変わっているようだ。ちなみに私がバイトをしていた神明宮はあまり変わっていなかった。小川寺には初めて行ったのだけれど、雰囲気がよく、当時も来ていればよかったと思った。住んでいても知らないことは多々ある。たとえば、大晦日に同級生がグループで初詣に来る約束をしていたこととか。だいたいあとで知るのだ。
最後にガイドブックにある都立薬用植物園に行こうと思う。国内はもとより世界各国の薬草、薬木が栽培されているそうだ。ここには自転車で行っていた。入園無料だから。大学時代はとにかくお金がなかった、と思ったけど、今もたいしてないや。街は変われど、人は変わらないのだ。
ガイドブック当時とは大きく変わっている。話を聞けば、ガイドブックが出た後に建て替え等があったそうだ。ただ私が知っている薬用植物園とはあまり変わりがない。季節により生えているものが異なるけれど。
私は九州の片田舎から上京してきたので、東京都はビルでいっぱいだと思い込んでいた。しかし、いざ来てみれば玉川上水緑道があり、都立薬用植物園も存在し、大学前はブロッコリー畑だった。緑が多い地域で、それはガイドブック当時もそうで、私の住んでいた頃も、そして、今も変わらない。緑が多く、ノスタルジーを感じることができる、それが小平なのだ。
思い出の場所を巡った。もっと変わっているかと思ったけれど、10年ではあまり変わっていなくて、さらに20年遡っても変わっていなかった。もちろんお店が変わっていたりはあるけれど、大きくは変わらない。一番変わっていなかったのは私だったけど。
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