それでは食べてみよう。まずは人参から。
箸でらくらく崩せるのがいいね。いざ、いただきます。
箸で崩せるのがいいと書いたが、それしかいいところがない。おいしくないと言っていいならおいしくない。
まず、皮がモソモソしている。皮むきってちゃんと意味があるのだ。
生で食べるときよりも野菜本来の味が薄くて、当然だが煮物のように調味料の味もしないので不思議な感覚がする。ふにゃふにゃの野菜に何の味も染みていないと怖さすらあるのだ。
ただ、人間は自分を高尚な生き物だと思い込んでしまうフシがあるから、その思い上がりを破壊するにはこれくらい味がないほうがちょうどいい。おれは特別な存在ではなく、いち動物にしか過ぎないということが分からされるほどの味の薄さである。
待って、安心してほしい。味が薄いのは織り込み済みなので調味料を用意しているのだ。
今は調味料が充実しているからそれを頼ろう!
どんな料理にも調味料をドバドバかけるような人(筆者)は、どうせ料理を調味料まみれにするのだから素の状態は無味くらいでいいのだ。計算通りなのだ。
調味料はうまい。それはさておき。肉も野菜もいつもと違う味がする。
これを書くのは少し憚られるが、鶏肉はこれまで感じたことがないほど血生臭く、野菜はエグみがすごい。ポジティブに捉えるならば、かなり自然で野生的だ。人間の掌中にない暴れ狂った印象を受ける。
要するに、まるゆで、まるでダメだ。調理工程の少なさでフォローしきれんほどあかん。
食材はしっかりと下ごしらえをして、味のある汁でゆっくり煮込むのがいいだろう。
たぶん、先達が残してきた面倒な調理工程すべてにちゃんとした意味があるのだ。それを尊重することを覚えた。必要なのは敬意ですよ敬意!
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