生きたマムシは見つからなかったがマムシと名のつく所は今でもそれなりの雰囲気を醸し出し、豊かな水をたたえていた沢や湿地の記憶を現在につないでいることが実感できた。それで十分じゃないですか、私たちはマムシの這った跡を懸命に生きているのだ。
蛇地名よりピンポイントなマムシ地名
「蛇崩」とか「蛇窪」とか蛇がつく地名は、必ずしもそこに蛇がわんさかいたとかいうのではなくて、蛇のように蛇行している川があったり、そんな川によって過去に水害が起こったりと地形に由来する場合が多い。
しかし蛇は蛇でもよりピンポイントに「マムシ」を名乗る地名も存在する。
マムシっぽい地形っていうのもなんだかなと思って調べてみると地形とかではなく「昔マムシがいっぱいいてさ」みたいな話がメインだった。
東京近郊では府中、世田谷、横浜、松田の5ヶ所が見つかった(私調べ)
東京都に3カ所、神奈川県に2ヶ所
アオダイショウ、シマヘビ、ヒバカリ、ヤマカガシやジムグリなど他の日本在来ヘビをモチーフにした地名は聞かないが、マムシはこのように土地の記憶に刻まれている。
やはり恐ろしい毒蛇への注意喚起の意味合いが強かったのだろう。マムシは水辺の湿地帯を好むので田んぼや畑で農作業に従事していた人たちにとってかなり脅威だったはずだ。
そんなマムシ地帯も一部をのぞいて今では駅近で街中、すっかり好立地になっているが今でもマムシはいるのだろうか。1匹くらい草庵にこもって随筆でも書いて暮らしていたりするんじゃないのか。
どうだろう、そうだ、いいこと思いついた。行って探してみよう。
駅近でも雰囲気のある府中「まむし坂」
京王線武蔵野台駅の北口を出るとすぐ目の前にはブルーベリー畑が広がり、マムシの1匹くらいいるんじゃないか、というほのかな期待を抱かせる緑地がつづく。
このあたりをめざします。
駅の西側を南北に走る西武多摩川線にぶつかると、踏切の横を線路沿いに細くて短い坂が走っている。ここがうわさのまむし坂だ。
道幅も狭く、人通りも少ない100m程の短い坂、左右に藪はあって雰囲気はいいけれどマムシは出てきそうもない。いや、その固定観念がいかんのだ。と生命体を探す。
短い坂周辺を何度もうろうろして不法投棄を狙っている不審者に疑われたりしないかとびくびくしながらマムシを探したが見つからなかった。マムシ探してるというのも十分不審だが。
しかしここで重大な事実を発表しなければならない。マムシは夜行性なので、特に暑い夏は夜に活発に活動するのだ。
夜はいっそう静かなのかと思いきや駅前では結構な人が立ち止まりスマホをスワイプしていた。どうやらポケモンの出現地(詳しくなくてすいません)らしい。偶然ですねみなさん、私も今日は心にモンスターボールを抱いてここにやって来ました、幸運を祈ります。
「俺のポケモンはスマホにはいないのだ」
これは少し言葉が足りなかった。現実にもいなかったのだ。
国分寺崖線とマムシ
次のマムシスポットはデイリーポータルZ編集部のお膝元、東急田園都市線二子玉川駅を挟んで東西に展開している。
どちらも世田谷区のほこる高低差、国分寺崖線のあたりにある。
まずは国道246号を渡って北西に進み、瀬田のまむし沢に向かう。
治太夫大橋を渡り、玉川病院の下まで来ると木々が鬱蒼と生い茂る坂道がありなにやら石柱が建っている。
明治後期から昭和初期にかけて名うての政治家や実業家の別荘や邸宅が建てられた国分寺崖線が織りなす穏やかな自然のふもとで周囲に妖しげなマムシ感を放っていてさすがである。
この石柱を運営していた「玉川の郷土を知る会(2006年に解散)」編纂の「世田谷ふるさとめぐり てくたくぶっく」によれば、江戸時代、将軍家の鷹の餌に献上する虫の螻蛄(けら)を取るところだったらしく、ここにマムシが多く住んでいてやっかいだったことからこの名がついたといわれているらしい。
今でも当時の記憶をつなぐマムシ様の子孫がいるのではないかと周囲を探索する。
むせかえるような熱帯夜、勾配のきつくなってきた坂を汗だらだらで上る私を立派な外車が追い越してゆく。ふと幼少の頃を思い出した。わが家は父がバブルのNTT株で高額配当をゲットしてギャランシグマ1800スーパーツーリングを買うまではボロッボロのスターレットに乗っていて、このくらいの坂を登る時はエンストするからエアコンを切れと言われていた。
猛暑の熱気に乗せてノスタルジーに作用する毒をはなつマムシが、このあたりには確かに存在している。
ゆったりと多摩美まで上るまむし坂
二子玉川駅方面にとってかえして上野毛方面へと向かう。
ひたすら東進すると多摩美術大学のキャンパスに向かってゆるやかに蛇行しながら上る駒沢通りにぶつかる。この通りが通称「まむし坂」である。
しばらく歩くと路上になにやら書き込まれていた。
道路下の水路の目印かなにかと思われるがマムシに狂った私の目をごまかすことはできない。
ほら、ここには「ミズチ(蛟)」というワードが隠されているではないか。ミズチとは伝説や神話などで恐れられた水を司る怪物や精霊のことで蛇や竜に似た姿で伝承されている。
これはマムシの存在を示唆したダヴィンチ・コードに違いない。よく探そう。
横浜の蝮谷
ネクストマムシは横浜、しかも大学のキャンパス内である。
蝮谷道場...強そう。
東横線日吉駅を出て、目の前にそびえる立派なイチョウ並木に吸い込まれるように歩くとそこはもう慶應義塾大学の広大なキャンパスの敷地内、仰々しい門などがあるわけではなく開放的な感じで学生以外にも、帰路を急ぐサラリーマンなどがいそいそと通行していたりする。
高低差も豊かで、裏手のけっこうきつい階段をくだるとその低地部分の一帯が「蝮(まむし)谷」と呼ばれており、「蝮谷テニスコート」とか「蝮谷空手道場」など尋常でない秘技が伝承されていそうな体育系の施設や豊かな森林が存在する。夜に歩道を散策するとカブトムシやカミキリムシにヤモリが徘徊していた。バックハンドボレーや正拳突きを鍛錬しているマムシの姿を見つけるも時間の問題ではないか。
虫沢の虫はマムシ
小田急線新松田駅を降りて「マニラ食堂」の迫力におののいた後、バスに揺られて山深い道を約20分ほど行くと、里山の雰囲気豊かな虫沢という集落に着く。
マニラ食堂よりも地図が後になってしまったがここです。
松田町のWEBサイトによると、「虫沢」の虫はマムシの事で、昔この地域にはマムシが多く生息しており、水のきれいなところに住むマムシが好む「水のきれいな住みやすいところ」という意味があるらしい。
中津川の支流、虫沢川の流域周辺に田畑が広がり、上流方面に歩くと岸辺にマムシを配置したくなるような絵になる沢もあり、モチベーションが高まる。
虫沢には明治末期まで山北町などから山を越えて嫁入りするお嫁さんが通ったといわれる「花じょろ道」という古道があり、近年有志によってハイキングコースとして整備されている。
かわいいヤマビルの看板につられてなんの準備も無しについ花じょろ道に入ると、れっきとした登山だった。
猛暑の中、花じょろ道を花嫁の気持ちになって一山登って降りてもマムシは見つからなかった。疲労困憊で下を向いて歩いていると灼熱の路上でマムシの遺体が干からびていた。
他にもアオダイショウやハシブトガラスの死体を見つけた。やっぱり暑いといろいろ死ぬんだやばいなと思った。スマホにはビッグカメラのアプリから誕生日おめでとうというメッセージが届いていた。
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