登山道をゆく
白鳥神社にとりあえず分け入ってみよう。
「登山証明書」窓口を発見。ここでやっと本来の目的を思い出す。登るぞー!でもその前に祈願だ。
祈願を終えたら、家にあった精一杯山っぽい服を着て、出発である。
山ダウンと山レギンス、山スカートと山レッグウォーマー、山靴を着けたはいいが、11月の四国はけっこう暖かい、頭がボーとなる。それでもこの広大な松原の先にあると思われる、まだ見ぬ秀峰を思い描けば、(主に暑さから来る)疲れも吹き飛ぶというもの。元気出して登ろう!
・・・私はもう登っているのか?いないのか?もうここは山なのか?それともまだ奥に起伏があるのか?その辺がまったくわからない。なぜなら、傾斜というものをほとんど感じないからだ。
山・・・かい?山・・・だよね?といぶかしみつつの登山も珍しい。山の頂上はどこ?というそれ以前の問題として「山登りとして来ているここは、一体、山なのか?」という、まるで禅問答のような、哲学的な思索にふけりながら登ることになるのだ。
そして唐突にそれは現れた。山頂への道しるべである。