3月30日、年を跨いでしまった
その後のゴボウは特筆することもなく、そのまま秋を迎えて、枯れることなく冬を越して、種蒔きから一周年を迎えようとしていた。なんとゴボウは多年草だったのか。
このゴボウを避けるように耕して、野菜の種を蒔いた。今年こそは実をつけてくれ。
4月28日、まだ実はつかない
気温が上がるにつれて、またゴボウの葉っぱが青々と茂ってきた。
幹はなく根元から葉が伸びるスタイルはそのままに、丸まった子グマくらいのボリュームになっている。でも実はまだまだ。
5月31日、急に薹(とう)が立ってきた
5月の終わりに畑を覗いてみると、なんとゴボウが急に縦方向に伸びていた。ゴボウだけにごぼう抜きっていうことですか。
ハクサイとかキャベツの収穫を忘れると、球体が割れてその中心部から薹が伸びてくるのだが、まさかゴボウもそのタイプだったとは。
6月18日、ゴボウの蕾ができた
そして6月、スクっと立ったゴボウは四方八方に枝を伸ばし、その先にトゲトゲしたウニ状の実をとうとうつけたのだ。
いや違う、これは実じゃなくて蕾か。蕾ができて、花が咲いて、実ができるのが自然の摂理。
よく見ればトゲの先は、面ファスナーの刺さる側のように、いやそれ以上に鉤。蕾の段階でもう面ファスナーじゃないか。
面ファスナー誕生の伝説に習って服とくっつけてみたところ、そのトゲが繊維の隙間に潜り込み、試したことをちょっと後悔するくらいに絡まった。
これぞ野生の面ファスナー。いや野生じゃないし面でもないが。ただ枯れていないので、蕾がポロリと取れるのではなく、絡んだ服の繊維が伸びていく。
ゴボウの蕾を食べてみる
話はちょっと脱線するが、サイズこそ全然違うけど、ゴボウの蕾がアーティーチョーク(この記事参照)と少し似ているので、茹でて食べてみることにした。
可食部分と思われる白い部分を前歯でこそぐように口の中へと運ぶと、記憶の彼方にあったアーティーチョークのコクと苦味を思い出した。そこにゴボウならではの土臭さがプラスされている。これはうまい。
米二粒分くらいしか食べられる部分はないけど、決して食べにくくはない。偶然にもなかなかの珍味と出逢えて味でうれしい。面ファスナーにも負けない発見だろう。
7月4日、ゴボウの花が咲いた
種蒔きから一年と三か月、トゲトゲの蕾の先にピンク色の花が咲いた。やはりアザミの花とよく似ている。
よく見るとヘビの舌みたいな白いパーツがニョロリと伸びていた。
7月19日、種ができたらしい
花が咲きだしてから二週間ほどで、トゲトゲの中が黒くなった。腐ったのでなければいいけれど。
これはゴボウの実と呼んでよい状態なのだろうか。シルエットは蕾だった頃と同じである。
8月15日、面ファスナーの元となったゴボウの実はこれだ
お盆の頃になると、ゴボウの実はすっかり茶色く枯れていた。
この状態で動物の毛や人間の衣類にくっつくことで、種を遠くまで運ばせるという生存戦略と思われる。
こうして私は面ファスナーのルーツに、ようやく辿り着くことができたのである。大変めでたい。
ゴボウの栽培を終えてからようやく検索して確認したところ、1948年にスイスのジョルジュ・デ・メストラルさんが、愛犬と山奥に狩猟へと出掛けたときに、自分の服や犬の毛に野生のゴボウの実がくっついていることに気がつき、顕微鏡で拡大して観察し、鉤と輪で構成された面ファスナーを思いついたそうだ。
この偶然が生んだ発明がなければ、小野法師丸さんが「財布バリバリ伝説」という記事を書くこともなかったであろうと思うと、大変感慨深いものがある。ありがとう、ジョルジュさん。
ちなみにアザミもアーティーチョークもオナモミもゴボウもキク科だそうです。へー。