本物感が漂い始めてる証拠
記事の撮影時、楽しくなってきてついつい調子に乗ってしまうことがある。大体執筆時に「この写真はやりすぎているな。削ろう!」と冷静な判断を下すのだが、今回もあとで見返すとそういう写真が何枚かあった。
現場では大笑いしていたのだが、家に帰ってから見返してみると絵画に対する敬意に欠けている気がして、カットすることに決めた。
だが、待てよ。もう一度確認するが、これは絵画ではなく白紙なのである。
それなのに私は敬意の欠如を感じて、自主規制しようとしてしまった。このこと自体、実物大の白紙が若干の本物感を纏い始めてることの証左ではないか?私はなんだか怖くなってきた。
最後は模写大会
最後は皆でモナリザの模写大会だ。ルーブルなら大混雑でも、中野なら最前列を確実に確保できる。
「欧米の美術館では作品の模写やスケッチに理解があるから、学生なんかがよくやってるよ。日本は厳しくて許可されてないよね」なんて、もう言わせないぞ。
さあ、どんな仕上がりになったかな?
べつやくさんはさすが。橋田さんのモナ・リザは申し訳ないが幸薄そうだ。林さんのはスーパー銭湯の休憩室か何かだろうか?同じ絵を見ているのにこれだけ絵が変わるのは不思議な話である。
まとめ
実物大の白紙により、遂に絵画鑑賞は万人に開かれた。しかしボッティチェッリの大作『ヴィーナスの誕生』(172.5 × 278.5 cm)を見ようとして愕然とした。中野の貸しスタジオの壁では納まりきらないのである。
最後の最後で日本の住宅事情という悲しい現実を突きつけられた…と思いきや。床に枠を置くことで解決した。
今回の記事、鰻屋の煙で白米食べるようなみみっちさがあるかもしれない。しかし、騙されたと思って一度やってみて欲しい。特に初等教育の現場などで取り入れて貰えば、子供たちの絵に対する理解が何倍も深まると思う。「実物大展覧会」なんてのも良さそうだ。
冗談がうっかり真理に到達してしまう。そんな奇跡だってある。
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