痛快の文化の結晶がスマホゲームだ
公的機関が美少女アニメキャラを採用して市民側から「性的だ」の待ったがかかり「いやいやいや」とSNSで論争が始まる。でもあれは欲望を満足させるために発展してきた文化だから致し方ないのかな~と思っていた。
スマホゲームについてもそうだ。いかに痛快であるかを追求した結果が数字出して「バシッ!!」なのではないか。それはすべて私たちの欲望に忠実に寄り添ってきた影なんじゃないか。
だからどうだというわけではない。私はただヘラヘラしているだけである。
電車に乗ると他人のスマートフォンのゲーム画面が目に入る。今日も数字が出てビシバシ言ってるなあと思う。
私の考えるスマホゲームっぽさとは「数字が浮かび上がって衝撃の効果が出てビシバシ音が鳴る」ことだ。
よくあの画面を見る。ということはあの演出はすごく効果的なんじゃないか。私たちのダメな日常もスマホゲームみたいに痛快になるのではないか。
「数字が出てきて…」と言ってもなんのことかピンとくる人は少ないだろう。電車の中でちらっと目に入るスマホの画面にはキャラクターの上に数字が出てないだろうか。
私がスマホゲームをやらないといっても、こうした数字が出てくるゲームの演出にはなじみがある。少なくとも90年代のスーパーファミコンからこの演出は存在した。
あの数字はこちらの攻撃の結果を示すものであり、「こんなにすごい結果なんですよ」という衝撃をビジュアルと音のセットで表現したものだ。
この「数字と衝撃セット」 が妙にスマホ画面に現れてないだろうか。念のためスマホゲームをよくやるライターの井口エリさんに聞いてみたところ、確かにその傾向はあるという。
衝撃とともに数字がじゃんじゃか出るのがスマホゲームっぽさ。とりあえずはそういうことにさせてください。
はたしてなぜこんなに衝撃と数字がスマホ画面を席巻したのか。もしかしてこれが汎用性のあるすぐれた表現なのではないか。
たとえば私たちの日常にもこうした数字と衝撃をガンガン出したい瞬間はある。
あるんだがそれを映像として再現するのは非常にめんどくさい。なので一回愚痴を挟んでからその実証へ移ろう。
日常に取り入れたいスマホゲーム的演出。たとえばそれはパソコンの文字入力時のENTERキーを押す瞬間である。カタタタ、カタタタ、ターンッ!の「ターンッ!」部である。
なのでついにその映像を作った。これだ。頭のもやもやが浄化された
あれに効果音つけたいなと思っていたパソコンのENTERキーであるが、実際につけた映像を見るとやはり痛快だった。
ああ、気持ちよさそうだなあ…と、ENTERキーを豪快に押す人を見ると私はこういう気持ちでいる。
他にも飯をがっつく時なんかにあの数字が出ると痛快さに拍車がかかると思うのだが…
食にスマホゲーム的演出を加えるのも痛快だった。この辺りはもとも痛快だったものをさらに効果的にした演出である。
ここでこの痛快さを有効に使う方法、例えば手順があってめんどくさいものを痛快にしてみてはどうだろう。
例えば手洗いである。クリエイターの力を見せてやる、と去年手洗い動画がやたらに出てきた瞬間があったが今さら乗っからせてください。
手洗いもめんどくさいが結果としては清潔であり、ここまでは日常における人として「良い」瞬間を扱ってきた。さあここからがダメな瞬間である。
例えばシンプルにダメな行動「鼻をほじる」にもスマホゲーム的演出で痛快さは宿るのだろうか?
ただ鼻をほじる汚い動画でも痛快さが出てきた。スマホゲーム的演出は負のイメージにこそ効果的なのかもしれない。
いや、本当にそうだろうか。もう少し実証が必要じゃないだろうか。
他にもたとえば人としてあんまり見たくない瞬間、ごまをする行為においてもスマホゲーム的演出は効果的だろうか?
人間の欲望とは恐ろしいものでそこに飽きたるということはないのである。私はもっと人のダメな部分をスマホゲーム的演出で見たい。そして世の中の臭いものに全部フタをしたゴッサムシティを作るのである。
公的機関が美少女アニメキャラを採用して市民側から「性的だ」の待ったがかかり「いやいやいや」とSNSで論争が始まる。でもあれは欲望を満足させるために発展してきた文化だから致し方ないのかな~と思っていた。
スマホゲームについてもそうだ。いかに痛快であるかを追求した結果が数字出して「バシッ!!」なのではないか。それはすべて私たちの欲望に忠実に寄り添ってきた影なんじゃないか。
だからどうだというわけではない。私はただヘラヘラしているだけである。
▽デイリーポータルZトップへ | ||
▲デイリーポータルZトップへ | バックナンバーいちらんへ |