以前、私は長崎県平戸市にある潜伏キリシタン関連遺産である春日集落に行ったことがある。
春日集落はかつて潜伏キリシタンが営んでいた暮らしぶりを感じることのできる集落で、「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」を構成する遺産群のひとつとして世界文化遺産に登録されている。
逆に言うと、そうした隠れキリシタンや潜伏キリシタンの関連遺産は、長崎などへ行かないと見られないと思っていた。東京でも見られたんだな。しかも目黒にあったとは。
目黒・大鳥神社(目黒のお酉様)
向かったのは目黒のお酉様としても知られる目黒大鳥神社。目黒駅からはJR山手線目黒駅西口から徒歩7分というところ。都内でも古い歴史を持つ酉の市も有名だ。
訪れたのはお正月期間だったのもあって境内は賑わっていた。そして切支丹灯籠は……?
大鳥神社にかつて存在した(2002年に枯れてしまったらしい)オオアカガシの石碑の横に切支丹灯籠は鎮座していた。
ぽってりしたフォルムがかわいい燈籠の正面に、くっきりと人形(ひとがた)のシルエットが刻まれている。
切支丹灯籠は、「織部灯籠」と呼ばれる形のものの一種。
桃山時代、茶の湯が盛んになった際に露地(茶事のためにしつらわれた庭のこと)の明かりとして利用されていたのが石灯籠で、その時代に茶人好みの灯籠が新しく考案された中、代表的なものが「織部灯籠」なのだ。
同時代の武将である茶人の古田織部が考案したといわれていおり、竿(灯籠の胴体から足にかけての部分)が十字架をあらわしている、人物像をキリスト像に見立ててるなどの説がある。
大鳥神社のものはもとは目黒村の肥前島原藩主・松平主殿頭の下屋敷内にあったもので、竿に刻まれた像に足の表現がなく、キリスト像を仏像形式に偽装している、珍しい形の織部灯籠だという(説明板より)。
命を懸けて、工夫して信仰を続ける意志がすごい。
松輝山生運寺 大聖院
次は天台宗のお寺、大聖院。大鳥神社の隣にある。
ここには3基もの切支丹灯籠がある(こちらの説明板の漢字は“燈籠”だったが、記事上はわかりやすいように灯籠で統一している)。
切支丹灯籠、レアっぽいのに一気に3基も浴びて大丈夫だろうか。ラーメン頼んだら味玉3つ入っていたみたいな気分になっている。
こちらは真ん中だけ火袋を支える中台と竿が残っていて、あとは竿石だけだ。ひとつひとつ、浮き上がっている人物の掘り込みの違いが興味深い。
中央の高い1基には変形T字クルスとキリスト像と思われる形状、また左右面には漢詩が刻まれていると説明にあったが、風化して薄くなっているのかよく確認できなかった。
こちらの灯籠は、幕府の弾圧を受けた隠れキリシタンが、庭園の祠などに礼拝物として密かに置かれていたものとされている。
【番外編】黄檗宗 永寿山 海福寺
大聖院から5分ほど歩き、海福寺という黄檗宗のお寺にやってきた。
こじんまりとしてるけど手入れの行き届いたきれいなお寺という印象。
区指定文化財にもなっている山門の赤い四脚門や、都の指定有形文化財である裾が雲形の梵鐘など、見どころもたくさんだ。
番外編、としたのは案内板などで切支丹灯籠の存在が明確にされているわけではなく、織部灯籠の竿石らしきものを見つけただけだからだ。
今まで見てきた切支丹灯籠とは異なる点として、大鳥神社・大聖院の切支丹灯籠は竿の上部が丸っこかったけど、こちらのは竿の形状も十字架に近い。そして人物の掘り込みもない。
ただ、こちらのような人物像なしで竿十字架っぽい形の灯籠も、織部灯籠にはあるそうだ。
今回は目黒を回ったが、深大寺や新宿などでも切支丹灯籠は見られるし、品川駅前にある高山稲荷のおしゃもじさま、三田の元和キリシタン遺跡……意識すると隠れキリシタンの遺物は、実はすごく身近な場所に残っている。
そして今回見て回った織部灯籠自体は、茶事のためにしつらわれた庭(露地)でよく用いられているものだそう。今後、切支丹灯籠かもしれない織部灯籠を探すのが趣味になってしまうかもしれない。