一日三食米が食べられる幸せよ
イーストで作った興亜建国パンは、はっきり「不味い」と切って捨てるほど酷いものではなかった。単発で食べる分にはなんとかなるかもしれない(とくに昆布粉入りの方は)。
ただ、主食の代わりにするのは無理だ。今よりもはるかに食料事情が悪かった戦時中でさえ、すぐに誰も作らなくなったというのも納得である。
米の素晴らしさが再発見できてよかった。
太平洋戦争中に開発され、ひっそりと消えていった興亜建国パンなる食べ物がある。
パンの中に野菜や魚粉などなど、いろいろな物を混ぜて焼き上げた「これさえ食べときゃ大丈夫」なカロリーメイト的なパンだったそうだが、味の方がイマイチだったので普及はしなかったという。
以前、戦時中に発明された代用チョコレートを試みた私としては、ぜひともこの興亜建国パンも作ってみなければ。
さいわい詳細なレシピが見つかった。「まずい」というなら、どれだけ不味いのか試してみてやろうじゃないか。
資料によると、興亜建国パンがデビューしたのは1940年のことである。前述のように栄養バランスに優れた食品とすることを目指したわけだが、興亜建国パンが作られた一番の目的は主食である米の不足を補うことだったそうだ。
興亜建国パンについて初めて知ったときは、面食らった。
何より名前がすごい。
食料の不足を代用品でごまかそうとする発想は別に珍しいものではない。ただ、その代用品に「興亜建国(アジアを興し、国を建てる)」という勇ましい名前をつける面の皮の厚さが素晴らしいではないか。
本書の冒頭では米の節約が必要な理由についても触れられている。
いわく、西日本や朝鮮半島で発生した干害の影響により1939年の米の収穫は前年より一千万石(米一石=150kgとして約150万トン)の不足であった。これは各家庭が毎月三升(約4.5kg)米の消費を減らさなければならないほどの減収である。
「炭水化物をドカ食いしたくなるのはそもそも食事のバランスが悪いからで、いろいろなものを少しずつ食べると少量の食事でも案外満足できるものですよ」
というようなことも書かれており耳が痛い。
食料が豊富な時代の人間ですが、ラーメンとチャーハンのセットとかが大好きです。ごめんなさい。
真面目な話をすると、この本が刊行されたので1940年で、真珠湾攻撃でアメリカとの戦争が始まるのが翌1941年の12月である。対米開戦のはるか前からいっぱいいっぱいの状態だったのだな、日本は。
米は不作だったが、逆に大麦や小麦は豊作だった。
なので、米の代わりに麦で作ったパンや団子や麺を積極的に活用せよ、と本書は主張している。簡単に言ってくれるものだ。
そして、そのパン類のなかでも主食と副食を同時に摂取できる優等生として持ち上げられているのが興亜建国パンなのだ。
さて、実際に興亜建国パンを作ってみるわけだが、まずは材料を書き出してみよう。
えっと、これ全部集めるの?
基本的に米と水さえあればできる炊飯とはえらい違いである。
とはいえ興亜建国パンは栄養バランスに優れた完全食なのだ。種々雑多な材料が必要なのは仕方のないことでもある。
面白いと思ったのは、大豆粉でかなりの水増しがされているところである。
そういえば、代用チョコレートを作ったときも大豆の粉にはお世話になった。さらに、時代をさかのぼれば大豆から作った麩や湯葉や豆腐は仏寺で出される精進料理の花形だったではないか。あれなんかも、肉類を使うことができない精進料理になんとかタンパク質を補おうという、いわば肉の代用として大豆が使われていたのだ。
大豆こそが味の面でも栄養の面でも代用食界のスーパーエースだったんである。
まずはオーブンを使わなくてもできる家庭用簡易興亜建国パンを作ってみよう。
当時オーブンを備えた家というのはほとんどなかったはずなので、自宅で興亜建国パンを作る場合はほとんどがこっちのレシピを参考にしていたはずだ。
とまあ、そこそこ調理に手間がかかるのだが、ほかのものを作らなくてもよいことを考えると総合的に見れば楽なのかもしれない。
調理しているときは山椒と魚粉の混ざった香りしかしなかったため
「これ、案外悪くないのでは?」
と思ったものだが、さて蒸し上がったものはどうだろうか。
魚粉ときなこの香りが強い。ムチムチとした弾力があって、まるでかまぼこを食べているのではと錯覚しそうになる。固く焼き締められた野菜の粒粒感が面白く、たまに木の芽にあたると山椒の良い香りが口の中に広がる。
が、それらを凌駕する不快感に一口食べて手をとめてしまった。
苦いのだ。それも、激しく。
苦味の原因はふくらし粉で間違いない。分量はあっているはずなのに、なぜだろうか。今と昔でふくらし粉の性能が変わったとか?
ともかく、あまりにも食べるのがしんどい失敗だったので興亜建国パンの良いところも悪いところを検証するどころではなくなってしまった。
ふくらし粉を使った家庭用簡易興亜建国パンがうまくいかなかったので、イーストを使った正統派の作り方で再挑戦してみることに。
イースト以外の材料は以前と同じだが、こちらは念入りにこねて発酵させてやらねばならないぶん、かかる手間も時間も段違いだ。
昆布を使うか魚粉を使うかで味にかなりの差が出るはずなので、今回は両方を試してみることに。
さて、すぐにでも実食に移りたいところだが、グッと我慢してここで少し時間をおきたい。
自作のパンというものは、焼きたてで食べると3割増しくらいで美味しく感じてしまうものなのだ。
興亜建国パンは弁当代わりに最適とあるくらいだから、冷ましてから味をみてやるのがフェアな態度というものだろう。
翌日、十分に冷めて味がこなれたところを食べる。
もちゃっとした食感。でも、自分でこねて焼いたパンはだいたいこんな感じなので気にしない。
入れてないのに、なんとなく醤油っぽい味がする。火の通ったきなこのしわざだろうか?大豆のコクが活かされた懐かしい味である。
昆布由来のグルタミン酸のじんわりと舌に浸透するような旨味がパンらしくなくてなんだか不思議だ。たまに顔を出す山椒の風味もよいアクセントになっている。
悪くないんじゃない?とは思った。でも、「栄養第一、味は二の次で作りました」という魂胆が透けて見えるというか、3口で飽きる味だ。
昆布粉入りの方は、まだしも味に複雑さがあったのだなと実感。こっちは魚粉の味しかしねえ.....。
おそらく、タンパク質の含有量的には昆布よりも魚粉の方が優れてはいるのだろう。しかしあまりにも野暮ったくて単調な味だ。まるで人体を動かすために作られた固形燃料のようだ。
イーストで作った興亜建国パンは、はっきり「不味い」と切って捨てるほど酷いものではなかった。単発で食べる分にはなんとかなるかもしれない(とくに昆布粉入りの方は)。
ただ、主食の代わりにするのは無理だ。今よりもはるかに食料事情が悪かった戦時中でさえ、すぐに誰も作らなくなったというのも納得である。
米の素晴らしさが再発見できてよかった。
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