そんな表現があったか系
バイキングを「なんでも食べ屋さん」というような、うまいこと言ったなという表現。
たとえばこういうのがあった。
これは素晴らしい。写真映えから「バエ」が生まれたのと似たものがある。こういう、日本語の可能性を広げるような表現を子どもがするとハッとするのだ。ジルという語感もいい。汁(しる)はなんだか上品なのだ。汁(ジル)はおばあちゃんが作ってくれそうな気がする。
「生ゴミからジル垂れてるよ!」という用例もいい。そんな言葉を自分も思いついてみたい。
この方はたくさん教えてくれたのだが、なかでも宅配ピザを「ピンポンのピザ」というのに感心した。
考えてみると、自分は「宅配ピザ」という一般名詞を使うことはほとんどない。ピザーラとかドミノピザとか、そういう固有名詞で代表させてしまうか、「ピザでも頼む?」のような言い方によって「宅配ピザ」を表現する。
その点ピンポンのピザはあざやかだ。ピ(ンポン)とピ(ザ)で音が同じだから覚えやすいのもいい。すばらしい。
由来不明系
意味は分からないけど子どもがそう言ってるんだからしょうがない、みたいな言葉もある。
しゃりしゃーばん、意味が分からなくていい。親としては子どもがどうして怒っているか知りたいのに「しゃりしゃーばん!」と言われても困ってしまう。よく分からないけどイライラしてるんだね、と理解してあげるしかない。
しかしそういうところを乗り越えて最終的に「しゃりってる」みたいに派生しているのもよい。
「もどけん」 息子が「届かん」の意味で使っていました。四半世紀経った今でも私たち夫婦の間では届かないのは「もどけん」です。
(
りょうこさん)
足首ぐねることを「くりこん」て言ってました。歩いてたりして足ぐねった瞬間に「痛〜くりこんしたー!」みたいな感じです!
(
ぺぺろんちのさん)
洗濯物を洗濯機に入れることを「ナイシュット」と言います。 「ナイスシュート」でも「ナイッシュー」でもなく「ナイシュット」です。
(
ちゃんよさん)
「届かん」を「もどけん」というのも、「お腹空いた」を「あぐにゅうした」というのも、あなたがそういうならそれでいいですよ、という感じだ。インパクトが強くて、親も使ってしまう気持ちが分かる。
すごいなと思うのは、親がこれを最初に理解したときだ。子どもが「あぐにゅうした〜」と言っているところを想像してほしい。なんど聞いても意味が分からないし、「あぐにゅうした」しか言わない。しかしいろいろ聞いてみると「おやつ食べたい」という意味のことを言い、なるほど!「お腹すいた」か!となるのだ。思わずアルキメデスのように叫んだだろう。
自分がこども系
想定していたのは、子どもが使っていた言葉を親である自分だけが使っているという状況だった。しかし寄せられたのは、自分が小さい子どもだった頃の言葉を親がいまだに使っている、というものが一番多かった。
これはまた感じ方が全然違う。そして感じ方は人によって違う気がする。
まず実際に自分の親が「いたたのタオル」と言っていたら、いつまでその言い方してんの、と思うかもしれない。もう子どもじゃないんだから。
しかし、よその家で、お母さんがお子さんにそう言っているという話だと、急に泣きそうになる。お母さんがお子さんを育ててきた長い年月がぎゅっと凝縮されて感じるからだ。
ひるがえって親として考えると、子どもが「いたたのタオル」なんて言っていたらもうかわいくてしょうがない。さっそく自分も使うし、ずっとそう言うだろう。子どもが小さかったころのことを思い出しながら。だから誰かに泣かれるようなことじゃ全然ない。
だから同じ話でも立場によって感じ方が全然違うなということを思った。
自分が子ども、のパターンでは次のようなものが寄せられた。
『早いおかえりの日』 子どもの頃は午前中だけ登校の日などに使っていたものが、20代で会社を明るいうちに上がって帰った時も「今日は早いおかえりの日だったの?」って言われてました。
(
べる爱吃饺子さん)
幼少期に私が踏切のことをフライパン(踏切の音がフライパンフライパン言っているように聞こえたらしい)と呼んでいた名残で、母だけいまだに「フライパンあるで」と言ってます。が、私の子ども(母からすると孫)が踏切をカッカと言い始めたので、ついにフライパンからカッカに移行してしまいました…
(まっちさん)
僕が小さいときにラーメン横綱の縦書き看板を「ラーメレ」と読んだのがきっかけで、今でも父母はラーメン横綱を「ラーメレ」と呼んでいます
(まこまこまこっちゃん)
「たまごかけごはん」のことを「たまごはん」と言っていたのがいつの間にか移って、本人は言わなくなっても親が「たまごはん」と言っていました。
(
loplassの御隠居さん)
はじめまして、こんばんは。実家では家族みんな、お漬物の沢庵漬けのことを、「黄色いつけもん」と呼んでいます。「たくあん」と呼ぶ方が短いんですが、何十年とこれで呼んでいるため、とうに成人をこえても家族全員「黄色いつけもん」と呼んでいます。たまに外でも使いそうになります。
(
nekkoloさん)
どのエピソードもいいのだが、「早いおかえりの日」はとてもいい。まず早いおかえりの日という言葉が素敵だ。そして
20代で会社を明るいうちに上がって帰った時も「今日は早いおかえりの日だったの?」って言われてました。
がまたいい。情景が浮かぶ。早いおかえりの日じゃないんだよ。でも親の気持ちも分かるんだよ。大きくなってもこどもはかわいいんです。
踏切のことを、その音から「フライパン」と呼んでいた話。
『母だけいまだに「フライパンあるで」と言ってます。』
で、母の思いに泣きそうになり、
『孫が踏切をカッカと言い始めたので、ついにフライパンからカッカに移行してしまいました…』
で、母の思いに寂しくなる。孫、かわいいもんね・・。
まとめ
情報をお寄せいただいたみなさん、大変ありがとうございました。
子どもの言葉遣いを親だけがいまでも使う、という現象をどう感じるかは、立場によって違う(かもしれない)というのが、やってみて気づいたことだった。
なお、知人の内海慶一さんから教えてもらったのだが、家の中だけで通じる言葉、という意味で似た概念として「イエナカ用語」というものがあるそうだ。
イエナカ用語探検隊
http://mackyco.blog103.fc2.com/
たとえばスーパーの袋のことを「じゃんじゃん袋」と言ったりするそうだ。子どもの言葉遣いが家族に広まるという例も紹介されており、なるほど包括する概念があったのかと思い知った。
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