セータープレゼント大作戦
編みながら、「『彼』のセーター」について真剣に考えてみた。
まず大前提として、セーターは『彼』へのプレゼントだ。
プレゼントにもサプライズパターンと事前告知有りパターンがあるわけで、ここでどちらを選ぶかが大きな分岐点である。
パターン①サプライズ
ある程度歳を重ねていたら、突然の手編みセーターにも冷静に対応できるかもしれない。
問題は、お相手が中高生だった場合である。
いつもの通学路のいつもの分かれ道。決まって長い立ち話をする曲がり角で、今日は不自然に会話を切り上げる。夕立が上がったばかりの湿った空気を目いっぱいに吸い込み、そしてこうつぶやく。
「あのさ…これ、あげる。セーター。自分で編んだんだ…。」
家にあった一軍のショッパー(例:shiro・AUDREYなど)に入れた手編みのセーターをおもむろに差し出す。相手の顔は見れるはずもない。冷たい風が吹く。今はただ、スカートのプリーツが脚を刺す感触に、意識を集中させる。
その時に想定される返答は、以下のとおりである。
「え、マジか笑 マジかー笑 ガチでかーー笑笑笑 え、ガチパターンのやつか〜〜〜笑笑 えーーーちょっ、それ………マジでかーーーーーーー笑笑笑笑笑笑 ヤバ、ちょっ、マジヤバいってそれはぁ〜〜〜〜〜〜笑笑笑笑笑笑(早口)」
ーは?
こっちはもうかれこれ数週間〜数ヶ月ほど全力で作品制作に取り組んでいるわけだから、そんな反応をされたら本気でへこむかキレると思う。たとえ相手が内心喜んでいようと、この場合は表に出たリアクションだけが全てである。「マジか笑」て、マジに決まってんだろ。冗談で手編みのセーター作るワケないだろこのアンポンタンがよ。と、思うはずだ。
本来なら、サプライズでプレゼントを送るからには、ある程度そういう反応も想定しておくのがベストだろう。しかし、『彼』に手編みのセーターを作るという行い自体、“愛ガチ勢”によるアクセルベタ踏み状態ではないかと考えられるので、はたして事前にそんな余裕を持つことが可能なのかは甚だ疑問である。
では、事前告知有りのパターンはどうだろう。
パターン②事前告知有り
「ねー、セーター編んでいい~?」
こんなふうに予告をしたら万事OK。そんなこともないはずだ。
「え…?ちょっと…ウーン…この前冬服買っちゃったからな〜……」などと雑にかわされる可能性がある。そんなことを言われようものなら、
「?この前買った冬服って、もしかして先週末GUで買ったニットのこと?え?手編みのセーターをそれと同列で考えてる?は?意味わかんないんだけど?え?喧嘩売ってる?無理無理無理無理無理信じらんない。いや、ごめんじゃなくてさ笑 謝るくらいなら最初から考えて発言しなよ。」
と、激詰めされるのは間違いない。当たり前である。
だからと言って、了承さえすればいいというわけでもない。「………あー、うん。オッケー」などと言われても最悪だ。
「最初の『…………』は何?どういう意味?嫌ってこと?嫌なら作らないから先に言ってほしいんだけど。ていうか、「オッケー」て?「オッケー」て言ったよね、今。何?何目線の「オッケー」?…あのさぁ、すぐ話逸らそうとするの本当に無理なんだけど。会話になってないじゃんそれ。いい加減にしてくんない?」
と、激ギレされるだろう。当然の報いである。
上記について、「あまりにも相手の返答の仕方がカスすぎる」と思ったかもしれない。
しかし、このやり取りは、あくまで編み物初心者が『彼』にセーターを編むことを告知した瞬間のシュミレーションだ。
ある程度の技術が担保されている人だったらまだしも、手芸のしの字も発したことがない人が突然そんなことを言ったら「マジか?」と思うのは仕方ない。
ましてや、手芸ブームの中だったら、「編み物ってあんまやったことないけど、なんかいける気がする?」くらいの軽いノリで手編みセータープレゼント大作戦を決行する猛者もそれなりの数存在したはずだ。そのことを踏まえると、先に言ったやりとりも現実味を帯びてくるはずだ。
…ところで、なぜわたしがこんなに「『彼』のセーター」の成立に懐疑的なのか。
それは、わざわざ「彼」のためにセーターを編む意味がイマイチわからないからだ。だって、めちゃくちゃリスキーじゃないか。そのリスクを背負っても尚、人を突き動かす原動力ってなんなんだ。根っこの部分が全くわからないから、なんだか全部を疑ってしまう。単純にわたしが卑屈なだけかもしれないが。
ニット本はやさしい
そんなことを考えていたら、ちょっと進んできた。
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ニット本に書いてある説明は、初心者にとっては一見すると意味不明だ。で、「日本語で頼む??汗汗」と思いながら動画を調べて見ると、完全に理解(ワカ)ったりする。
その後、「それならそうと言ってくれよな〜!?」と再び本を見直すと、最初からかなり丁寧に説明してくれていたことに気付く。ごめん、俺が悪かった…。
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それでも、最終的には自己判断になるので、「これで……いいんだよな…………?!!??」と探り探りで進める。いまは比較的簡単なものを作っているからなんとかなっているけど、難易度が上がるにつれそれも難しくなっていくだろう。
要は気持ちの精神
一旦「ギャルのセーター」の話に戻る。
作中での印象的な発言について言及させてほしい。
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「要は気持ちでしょ」
これは、自分よりも先に恋敵が「彼」へセーターをプレゼントする場面を目撃し、激ショックを受けたミッチ(主人公)が、「…それでもよぉ……やっぱプレゼントするっきゃねぇよな?!!」と再奮起するシーンで出た一言である。
結局、ライバルが「彼」にプレゼントしたセーターは値札が付けっぱなしの既製品だったので、無事「彼」とミッチは仲良しこよしでハッピーエンドを迎える。
つまりここでは、プレゼントに「要は気持ち」の精神で魂をブチ込めた結果成功したミッチと、そうでなかったために失敗したライバルの対比が描かれているわけだ。
これを読んだ時、率直な感想として、
「「要は気持ち」で丸め込むことを良しとするかは受け取る側次第だろ」
と思った。
ていうか、ほんとうに「要は気持ち」なら、値札付けっぱなしの既製品をプレゼントする豪胆さだって「要は気持ち」でよくない?その後先考えないパワフルさって評価してもらえないのか?とも思う。
でも、きっとそういうことじゃないのもわかる。
だから、ここで言っている「要は気持ち」とは、つまり「do the ド根性(ガッツだぜ)」ということだ。まさに「根性見せろよミッチ!!(スラムダンク)」である。編み物ってバスケだったんだ。
…とにかく、これくらい前向きなマインドがないと手作りセータープレゼント大作戦を成立させるのは困難なのだろう。
おそろいのセーターのハードル
ところで、「『彼』のセーター本」には「おそろい」という類の言葉が頻出する。
一言で『おそろい』と言っても、例えばユニクロで買ったパジャマを色違いで着て「おそろいだね」なんて言うような微笑ましいやつとは訳が違う。
当たり前のことを言うが、手編みのセーターをおそろいで着るには、セーターを2着編む必要がある。わかりますか?このハードルの高さ。
要するに、「おそろいの手編みセーター」を成立させるには、お揃いのセーターを快く着てくれる相手、そして、セーターを2着編む根性。 この2つの要素が不可欠なのだ。
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やはり、「『彼』のセーター本」に通底する思想は『根性』なのかもしれない。
で、わたしのセーターの進捗はというと、昨日中にVえりのリブ編みとパーツの接ぎ合わせをすれば間に合う予定だった。つまり、2週間では完成しなかった。