シンボリックブリッジ
関門海峡を渡る第二のルートは関門橋である。
関門橋はこの海峡のシンボルだ。二つの街の「架け橋」という象徴的な意味合いもあるけど、単純に建築物としても特徴的でわかりやすいので、海峡のアイコンとしてよく利用されている。
橋が架けられているのは海峡の最狭部にあたる。両岸の距離はわずか650m。東京スカイツリーを横倒しすればぎりぎり橋の代わりにできるかもしれない、というわけだ。
渡る前に橋の全景を高台から写真を撮ろうと思い、「火の山公園」に車で登った。海峡沿いにある小高い山で、古くは狼煙台としてつかわれ、いまは花火大会がよく見える。
この山は太平洋戦争中はガチガチの要塞だったらしく、山頂付近は物々しい雰囲気が残っていて驚いた。恥ずかしながら、下関のそういう歴史は全然知らなかった。
そういえば下関は火の山公園に限らず、血の気の多い史跡が結構ある。壇ノ浦の合戦、巌流島の決闘、四国艦隊砲撃事件、…しょっちゅう戦いに明け暮れている。交通の要衝としての宿命だろうか。でも巌流島はたぶん交通と関係ないから、ケンカなら他所でやりなさい。
関門橋は高速道路の一部なので、最寄りのインターチェンジから高速に乗ることになる。
大きな船の通行に支障がないよう高い位置に橋がかけられているため、橋に差し掛かる前からぐいぐいと坂を登っていく。登るほどに周囲の構造物は減って、視界の中で空が占める割合が増えていく。
いよいよ海峡の上に差し掛かったときのふわりとした浮遊感が好きだ。橋の側面には覆いがかかっていて海面は見えないのは残念だけど、気持ちのいい道だ。大きな吊り橋ならではの景色だなと思う。
このあたり一帯にはめかり公園とか、めかりパーキングエリアとかがあり、平仮名でしか接したことがなかったのでこんな難読地名だということを初めて知った。
嗚咽もれる関門トンネル
関門橋のほぼ直下。海底には第三のルート 関門トンネルがある。
関門橋が「海峡のシンボル」なら、関門トンネルは親しみを込めて「海峡のアイドル」と呼びたい。
見てよ、この入り口。下関名物のふぐが大胆にあしらわれている。子どものときはこの関門トンネルがアトラクションだった。後部座席で兄とはしゃぎながら、ふぐのお腹のなかだーと無邪気に楽しんでいた記憶がよみがえる。
当時、関門海峡を渡るといえばそれはすなわち関門トンネルのことで、祖父母に合うためにかなり頻繁に利用していた。ざっと計算してみたら数百回はこのトンネルをくぐってきたと思う。入り口の景色を見たのは…たぶん20年ぶりとか。あとから運転動画を見返したら、懐かしすぎて声にならない声が漏れていた(う…わぁ…みたいな変な音が入っていた)。
関門トンネルは最初、ずーっと長い下り坂である。そして真ん中あたりまで来ると、急に前方に上り坂が見えてくる。遠くから見るととてつもない急登坂に見えるのに、実際に登り始めるとごく緩やかな登りで、体感としては平たんな道を走っているかのよう。これが不思議で仕方なく、父にいつも質問していたような気がする。
古い記憶の通りで懐かしいこともある一方で、記憶違いのギャップを感じることもあった。昔は片道3車線くらいの巨大トンネルだと思っていたのに、上の写真の通り1車線だ。トンネルを通行するのにかかる時間も15分くらいのイメージだったけど、あっさり5分で抜けてしまった。子どもの記憶って大げさだなあ。
ちなみに有名な話ですが、関門トンネルは二層構造で、上部が自動車用。下部が歩行者用になっている。冗長なので端折ってしまうけど、これも第四の関門海峡横断ルートとして、翌日にちゃんと渡っておいた。
独居老人を訪ねて
この旅で唯一、元から決まっていた予定は、下関で祖母と会うことであった。