セミアンダーグラウンド 町中華
屋外の階段ではないので本編からは割愛したのですが、上町台地にはこんな町中華もある。
初めて見たときは目を疑った。実はこの店、地下鉄の入り口の途中にあるのだ。
「街中に階段のある景色」にはファンが多い。あれはいいものだ。ここでさらに欲張って、階段の途中に扉がついている景色なんていうのはどうだろうか。はい、私は大好きです。
雑居ビルの隙間にある古い階段。そして壁面には唐突に出入り口。これがたまらなく好きなのだ。
この景色がぐっとくるのはなぜだろう。何かこう、意図せずそうなっちゃった、そうせざるを得なかったという感が、愛おしいのではないかと思う。
当たり前だけど本来なら出入り口は、不安定な階段ではなく、平地に作りたかったはず。そのほうが便利だし安全だもんな。いたしかたない理由があって、階段沿いにダイレクトに出入り口を作るしかなかったわけで、設計者の仕方ないなあという声が聞こえてきそうだ。
諦念と工夫、妥協と固執。全体的に「止むに止まれぬ」という哀愁が、階段の途中にある扉の魅力なのだと思う。
この写真を撮ったのは、大阪の上町台地と呼ばれるエリア。大阪随一のいい階段スポットである。
大阪市は基本的にのっぺりと平たんな街だ。関東から引っ越してきたときには、坂道の無さにえらく驚いたものである。そんななかでほぼ唯一の高台が、上町台地なのだ。
この図はおおざっぱに、大阪市内の中心部を捉えている。画像中央の黒い十字のあたりが最も栄えている場所(大阪駅と難波駅のあいだくらい)で、見事に真っ青。まっ平。そこから少し東のほうにいくと帯状に暖色が広がっている。この南北10kmほどの細長いエリアが、上町台地である。
ちなみに暖色の北端にある青い二重丸は大阪城だ。試しにこのあたりの地形を東西でぶった切ると、断面図に露骨な立ち上がりが見える。
そしてもう一つ、上町台地で階段が多くみられる理由が、古い町並みが残っているということ。歴史ある寺社仏閣が多く集まっているからとか、戦火を逃れたからとかいろいろ理由な複合的にからんでいるらしい。普通は街の再開発が進むと、階段はできるだけスロープに置き換えられてしまうと思うけど、この街ではいまのところはそうなっていない。
このようにいい階段はあちこちに点在している上町台地なのだけど、それでも階段の途中の扉は簡単には見つからない。鑑賞する分には楽しいけど、やはり実用に供することのない、道理に合わない産物なのだろうか。
取材のために3日ほどぶらぶら歩き回って、ついに階段扉が密集しているホットスポットとでもいうべき場所を発見した。
この小道は、山登りでいうところの尾根のような道路。この道路の左手はガクッと5mほど急激に落ち込んでおり、一段低い道に降りるための階段が4本も伸びている。
そして素晴らしいことにこの4兄弟は、みなそれぞれ個性的な階段扉を備えている。
ビルの構造上、階段から直接室内にアクセスするには高さがあわなかったのだろう。建物の壁面にわざわざ短いステップが設けられ、そこに扉を設置している。親切に手すりまでつけられて、丁寧な仕事である。裏返せばどうしてもここに扉を設けたいという執念が感じられて、そこにぐっとくる。
ところで記事を書きながら家族に指摘されてようやく気が付いたけど、こういう狭い場所では、前後に動く開き戸ではなく、左右に動く引き戸のほうがドア前のスペースを確保しなくていいので理にかなっている。なるほど言われてみればその通りだなと思った。
同じ引き戸でも、こちらはまたぜんぜん趣が異なる。
扉そのものが端正で美しい顔立ちをしているなと思う一方、やっぱり気に入っているのは階段との位置関係だ。階段と扉のあいだの距離が、限りなく近い。
基本はゴテゴテに造作して段差を埋めようとするタイプの階段扉が大好きだけど、このシンプルで潔い姿もよいものである。
3つめはこちら。
いまもまだ生きている扉なのだろうか。こんなに錆の浮く姿になってまで、この場所に残っていてくれてありがとうという思いである。わざわざこんなところに扉をつけるくらいだから意味はあるのだろうけど、本当に何だろうねこの空間は。
こちらは打って変わって、新しそうな階段扉。
この扉、背丈が微妙に低い。大人ならかなり腰をかがめて出入りすることになる。わざとなのか、こうするしかなかったのかは判別がつかないけど、玄関マットも引いてあるから、日常使いされているのだろう。こんなところにわざわざ扉をつくって、中には何があるのだろうか。うう、入ってみたい。うずうず。
さてこの階段、実はとんでもないボーナスステージでもある。
よく見れば、黒いほうはドア前の足場の整え方が”盛り上げ”方式、クリーム色は”掘り下げ”方式。同じ場所に階段があるのに、扉のアプローチが真逆なのだ。お隣同士でそれぞれの工夫を見比べられるなんて、実に最高のロケーションである。
階段扉を外から愛でたあとは、扉をくぐって中に入ってみたいというのが人情である。もちろん人んちの勝手口を通るわけにはいかないけど、幸いにして一般人が立ち入れる扉が一つだけあった。
記事の冒頭で紹介した、模範的な階段扉の店である。
意を決して入ってみると、はたしてしっとりとしたジャズが流れるいい雰囲気のバーであった。少し天井が低いかなとは思うけど、それ以外に、階段の途中という立地を感じさせるものはない。ただシンプルに、いいバーだ。
店主の方はこのビルのオーナーで、たまたま安く売りに出されていたときに、勢いで一棟まるごと買ったのだという。なるほどこの美しい階段扉の物件なら、飛びつくのも理解できる。
「え、階段にドア?珍しい?まあ言われてみればそうかなあ…でもこのへんやったら、そういう店あるやろ」
まさかの乾いたリアクション。あんなにかっこいい階段扉なのに!
「うーん、まあ…そうかねえ」
この街にすむ人々にとっては、きっと階段はありふれた存在なのだろう。
ラムを3杯いただいて、ようやく階段の痕跡に気がついた。天井付近にある細長い窓、外からは見ると腰の高さにあったやつだ。
屋外の階段ではないので本編からは割愛したのですが、上町台地にはこんな町中華もある。
初めて見たときは目を疑った。実はこの店、地下鉄の入り口の途中にあるのだ。
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