だいたいいつも東西線さ!
ちなみに私が明智藪などに行くのは2回目です。データが飛んで、1カ月後にもう1回撮影に行っているんです。びっくりだよね。一部残っているデータもあったので、記事内の写真は2回分の物が使われています。私は東京に住んでいるので、東西線だけではなく、本当は新幹線も挟んだということになっています。全然東西線だけじゃないね。
藪というものがある。藪から棒を突き出す、藪をつついて蛇を出すなど、藪にはあまりいいイメージがない。ごく稀に藪に数百万が捨ててあるみたいなニュースもあるけれど、どちらにしろ、その数百万はおそらくまともなお金ではないだろう。
そして、藪で最後を迎える人もいる。それが明智光秀だ。藪で彼は刺されるのだ。どんな藪で彼は刺されたのだろう。ということで、明智光秀の最後となった藪を見に行こうと思う。
明智光秀という歴史上の人物がいる。2020年の大河ドラマ「麒麟がくる」の主役だ。誰もが知っている人物だけれど、謎多き人物でもある。生まれたとされる場所もいくつもあるし、本能寺の変もなぜそんなことをしたのか謎とされている。
生まれた場所は岐阜という説もあるし、滋賀という説もある。彼が歴史の表舞台に顔を出すのは、岐阜城の城主「斎藤道三」に仕えていた30歳頃からだ。その後いろいろあって織田信長に仕え、さらにいろいろあって1582年に本能寺の変を起こす。
「三日天下」という言葉も明智光秀に由来する。実際は10日程度だけれど、本能寺の変を起こし、山崎の戦いで豊臣秀吉に破れ、坂本城へ落ち延びる最中に、竹槍で農民に刺され、自害した。そう、藪で彼は刺されたのだ。その藪を見に行こうと思う。
「敵は本能寺にあり」と本当に明智光秀が言ったかはわからないけれど、まずは彼が藪で刺される原因になった本能寺からこの旅を始めたいと思う。京都を走る東西線の「京都市役所前」で降りる。
京都市役所前駅から歩いてすぐの場所に本能寺はある。昭和3年に再建された本堂は大きく立派だ。信長の遺体は見つかってはいないが、信長の三男である信孝により作られた立派な「信長公廟」もある。
自販機には鶴丸紋が描かれ、本能寺と大きく書いてある。立派である。ここで特茶を買って飲んだ。ちなみにこの本能寺は本能寺の変が起きた本能寺ではない。その本能寺はここから20分ほど歩いたところにある。
福祉施設の前に石碑がある。周りは静かな住宅街で本能寺の香りは感じない。それもそのはずで、今の場所に本能寺が移ったのが1592年。かなり、かなり昔のことなのだ。石碑も綺麗だし、今の本能寺は大きいし、信長が絡む場所は立派だなという印象を受けた。
本能寺の変の後の明智光秀は安土城に行ったり、山崎の戦いがあったりするわけだけれど、そこは今回訪れない。始まりと終わりを見る旅にしたいからだ。本能寺の変という始まりがあり、藪で刺されるという終わりを見るのだ。
京都市役所前駅から東西線に乗り「石田駅」にやって来た。石田駅から10分ほど歩いたところに明智光秀が農民に竹槍で刺された「藪」があるのだ。藪で刺されたことにより、明智光秀は自害という道を選ぶことになる。
石田駅から川を渡り、団地を眺めながら歩くと、薬局が向かい合う道路にぶつかる。明智光秀は医学にも長けていたそうなので、薬局が多いのかもしれない。いや、関係ないのは知っているけど、そういうことにした。
明智光秀が刺され自害した辺りの藪を「明智藪」と言う。人生の中で「今日は藪を見に行こう!」という会話をすることはあまりないけれど、明智藪だと話は変わる。歴史上の人物がここで生涯を閉じたわけだから。
看板によれば、ここで明智光秀は討たれたということだ。看板がなければ、普通の藪。しかも工事でもしているようで、藪が薄い。藪が薄いも今まで思ったこともないし、言ったこともないけれど、藪が薄いのだ。
厳密にここということではないのだろうけど、この辺りの藪で坂本城に向かう途中に農民に竹槍で刺され、300メートルほど馬を走らせ、落馬し、明智光秀は自害する。藪は危ないということだ。薬局が今くらいバグったようにあれば助かったかもしれない。
この明智藪の裏と言えばいいのか、近くの本経寺に明智光秀の供養塔がある。ちなみに藪で竹槍で刺された明智光秀の血と内臓が飛び散ったとかで、真っ赤な葉の竹がはえるなどの噂もある。藪は怖いということだ。
本経寺には「竹藪に入らないでください」という注意書きがあった。説得力である。明智藪を見て、明智光秀が討たれた話を知っていると、藪は怖いとよくわかる。入らない方がいい。藪に入ってはいけないのだ。
明智藪から歩いても行けるのだけれど、石田駅に戻り、東西線に乗り「小野駅」で降りた。そして、10分ほど歩いたところに「明智光秀胴塚」がある。自害した明智光秀の首は家臣によって隠され、胴はこの地に埋めたと言われている。
厳密にここ、ということではない。胴塚があったという伝承を伝えるために1970年にここに明智光秀胴塚が建立された。でも、この辺りにあったのだ、昔から。少し奥まった場所にあるので、知らなければ見落としてしまうような感じだ。
本能寺には立派な自販機があり、明智光秀胴塚にはチェリオがあった。ペットボトルも缶もオール100円という優しさ。チェリオの本社は京都にあるのだ。工場は滋賀と愛知にある。共に明智光秀と関わりのある県だ。そう思うとチェリオというチョイスは素晴らしい。縁がある。
小野駅に戻り東西線に乗り「東山駅」で降りた。東山駅から歩いて5分もしない場所に「明智光秀首塚」がある。藪で討たれて自害した明智光秀の胴は先の場所に埋められ、首は家臣により隠されたけれど、見つかり晒され、その後に塚が築かれた。
これで明智光秀が討たれる始まりとなった本能寺と、終わりとなった明智藪を見て、自害後の胴と首の両方の地を訪れたことになる。全てが繋がったと言ってもいいだろう。わかったことは、始まりも終わりも、その後も東西線ということだ。
厳密には本能寺の変のあとに、直接「明智藪」に行ったわけではないけれど、そういうのを無視すれば、東西線ということになるのだ。天王山なんていうのも山崎の戦いで生まれたと思うけれど、そういうのを全部無視すると、本能寺の変からの明智光秀は東西線移動なのだ。
途中まで気づかなくて、ずっと同じ路線に乗っているな、と思ったら東西線で全てが足りていた。最後に明智光秀首塚に行くために曲がる角にある「餅寅」で「明智饅頭」と、明智光秀と書かれたペットボトルのお茶を買った。共に美味しかった。
ちなみに私が明智藪などに行くのは2回目です。データが飛んで、1カ月後にもう1回撮影に行っているんです。びっくりだよね。一部残っているデータもあったので、記事内の写真は2回分の物が使われています。私は東京に住んでいるので、東西線だけではなく、本当は新幹線も挟んだということになっています。全然東西線だけじゃないね。
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