マレーシアの奈良、マラッカに
先日、マレーシアに住む弟を訪ねてきた。リゾート地に行ってもどこも同じだしせっかくだから、と観光に連れていってもらった先はマラッカ海峡のマラッカ。世界遺産にも登録されている古い町並みが残った、京都や奈良のような場所だ。
自転車タクシーのトライショーがファンシー
京都や浅草では人力車が走るように、マラッカでも観光客を乗せる人力の車が存在する。それがこの自転車タクシー、トライショーだ。
マラッカのトライショーは他の人力車と一味ちがう。それは車がかわいいのである。
マラッカのトライショーはそれぞれアニメや映画などのキャラクターをモチーフとして花や人形で飾り付けられている。
同じく世界遺産に登録されているマレーシアのジョージタウンにもトライショーはあるそうだがそちらはこうした装飾がされていない。
日本の人力車が世界に広まったそうだ
ところで人力車とはなんなのか。こちらの記事を読むと日本発祥という説が有力なんだそう。
参考)日本発祥(?)の「人力車」文化、海外ではどんな歴史をたどった?
明治期の日本では馬よりも人の労働力が安く、人力車が多く生産され、都市に行き渡ったあとはアジアを中心に海外にも輸出された。
そこから派生して自転車タクシーも生まれる。英語でいうCycle rickshawは人力車のリキシャからきているという。インドではリキシャー、ベトナムではシクロ、マレーシアではトライショーと様々な名前で呼ばれる。
参考)人力車ーWikipedia
Wikipediaの人力車のページを見ると、日本で人力車がたくさん生産されたときに当時の東京府から「人力車は華美にしないこと」という条件もつけられたそうだ。
それが受け継がれているのか、私達のなじみのある人力車はどれもシンプルな見た目である。
どうして人力車を華美にしてはいけないのだろう? と不思議に思うが、そうするとこういうことになっていたのではないか、というのがマラッカのトライショーである。
車はファンシーだがおっさんはいかつい
より観光客を集めるために装飾が増していったのだろうか。マラッカの自転車タクシーは車がやけにかわいい。
そしてなぜかその見た目のかわいさと反するようにドライバーがいかついのである。全員、テキ屋のような雰囲気がある。マラッカの街角に腰を下ろした気分でしばらく鑑賞してみよう。
日本の人力車がさわやかすぎるのでは
どの車を見てもかわいいという思いとドライバーいかついという思いが拮抗する。
でもどうしてそんな感情が湧くのだろう。それは日本の人力車を引く俥夫がみなさわやかさを売りにしているからではないか。
日本の人力車の外観はみな横並びである。集客で差をつけるのは俥夫、個人の力でしかない。みんな短髪にしてできれば黒髪の「人力車のお兄さん」的な見た目を作って客を引く。
だけどマラッカのトライショーでは車のかわいらしさが客を引く。ドライバーに求められるのは脚力のみであり、イケメンを揃える必要がなくなると、テキ屋みたいなおっさんらが勢ぞろいしたのではないか。
夜のトライショーは?
マラッカの日中の気温は32℃くらいと日本の暑さよりは和らぐが、それでもやはり夜が活動しやすい。
ジョンカーストリートの夜市が有名だそうで、大勢の観光客が屋台での買い食いやショッピングを楽しむ。トライショーにとっても夜は商売のチャンスである。なので一段と存在感を発揮する。
車の見た目が集客につながるのであれば光って目立つことは有効そうだ。しかし考えてみればそもそもマレーシア滞在中、色々なものが光っていた。マレーシアの人はそもそも光らせることが好きなようである。
音を立て、どんどんヤンキー化するトライショー
光が人を集めるのであれば音もそうだ。トライショーは世界的なヒット曲だったりTikTokで流れるような楽曲だったりを爆音で流す。どんどんヤンキー化していく。
かといって、マレーシア名物でもあるお祈りの放送時には配慮があるのだろうか、音が止む。街にはただお祈りの言葉が流れてトライショーも寺院も光る。マレーシアらしい時間が流れる。
実際にトライショーに乗ってみる
そうしたトライショーに一度乗ってみたいと思い、キティちゃんの車に声をかけた。
財布に余ってた14RMでホテルまでの短い距離をお願いしたら、軽く一周もしてあげるという。気のいいドライバーにあたった。顔もやさしい。
マレーシア滞在中、みんな優しかった。経済的にも他の近隣のアジア諸国の中では恵まれているそうだ。
なんでキティちゃんに乗ってるのかと聞いたら娘さんが好きなんだそうだ。うっ、私も娘がいるのでわかります。今までヘラヘラした気分でいたが、急に人情が内角をえぐってきた。
キティちゃんに乗ってもかわいくはならない
ドライバーさんによるとこの仕事は数年前から始めたそう。土日は人が多くて稼ぎがいいのだが、平日との差が激しいのだという。
音楽はなにがいいか、好きなやつを選べ、とスマホを渡して訊いてくる。サブスクリプションのアプリから自分で選ぶようだ。マレーシアのヒット曲をかけてとお願いした。
そうしてマレーシアの音楽をかけながらキティちゃんのビカビカした車に乗る。
汽車に乗ったところでシュポシュポした煙は見えないわけで、トライショーに乗ったところで特に自分がキティちゃんのようにかわいくなった気もしない。
音や光の気恥ずかしさはたしかにあるが、周りもみんなビカビカズンズン言わせているのでそこまででもない。熱狂の見た目であるが、乗ってみるとわりと平熱である。やっぱり音や見た目は乗ってる人ではなく、集客のためにありそうだ。
ナルトが好きなドライバー
日本人であることがわかるとKANA-BOONを知ってるか? と言われた。日本のバンドをなぜ? と不思議に思っていたら、日本のアニメである『NARUTO -ナルト-』を中学生の頃によく見ていたそうだ。KANA-BOONは主題歌を歌っているんだと言ってその曲をかけてくれた。
『NARUTO -ナルト-』もKANA-BOONにもなじみがなく、日本で聴ける音楽なのでマレーの音楽が聴きたかったが、私とドライバーを結ぶ唯一の文化的な線なのでそのまま流してもらった。
遠い場所で人とこうしたつながりを持てると過度に負っていた緊張がいくらか和らぎ、人らしさのようなものを取り戻す。海を渡ってくれた日本のアニメ文化に感謝するばかりである。
旅の恥は掻き捨てと言うが
最後に厚くお礼を言ってお金を渡したのだが約束が違うという。「14(フォーティーン)」を「40(フォーティー)」と聞き違えていたそうだ。
日本円で1000円くらいな違いなのでさっさと払えばいいのだけど、妙に腹を立ててしまい、少し口論をしてからちょっとだけ負けてもらった35を支払った。その夜、なぜ払わなかったのだろうと後悔をして、翌日会ったら差額を渡そうと思っていたがドライバーに会うことはなかった。
旅の恥は掻き捨てと言うが、恩義や不義理は同様に返せない。旅に慣れてないと一生の後悔になり、今日もこれを書きながら思い出してはアーと叫んでいる。
昔のトライショー見つかる
翌日、マラッカを歩いていたら繁華街の裏側に古いトライショーが停めてあった。これが昔のものだとすると、当時は飾りも小さく、キャラクターも一種類には固定してはなかったようだ。
それは今のトライショーのような「そういう業者がいるのだろう」と思わせるプロっぽい改造ではなく、手作りを感じさせる見た目だ。そこには「たくさんのキャラクターや花で観光客を出迎えよう」という意志があるのではと、こちらに感じさせてくれる。
そうだ、私達のできるかぎりのことで人を集めよう、観光客を楽しませようという思いがそこにあって、その発展形として今のキャラクタービカビカ形態があるんじゃないだろうか。
そう考えるとまた、5リンギ(150円)値切った思い出をアーさせてくれるのである。
マレー料理のコンテストに出くわす
翌日、またマラッカをぶらぶらしていると料理コンテストに出くわした。観光客はいなかったが、なんとなく見ていたら、珍しがられたのかこれ食べろあれ食べろと色々なものを食わせてもらった。
どうやらこれは料理人のコンテストではなく村の料理自慢によるコンテストみたいなものだったそうで、3位に入ったという一家のお父さんにアジのフライのスパイス漬けや生野菜とサンバル、魚の煮物などをごちそうになった。
どれも大変おいしかった。おいしいおいしいと言うとお父さんは喜んでTikTokを撮っていいかと私に訊き、その家の娘ははしゃぐお父さんを諌めた。
そうして私は遠い異国の地でTikTokに向かってたどたどしい英語でこれはおいしい、私は日本人、一番の思い出になりました、と告白することになったのだが、人からカメラを向けられて無理やり英語を喋るという好意は、どうしても捕虜とか人質の気持ちを想像してしまうなと考えていた。
だけどもちろんいい思い出には間違いなく、マレーシアの人は優しいという認識はより強固なものになった。
マレーシアの人は味のぶつかり合いを好むそう
ガイドブックによるとマレー料理は甘いと辛いをぶつけ合うそうだ。鶏も魚醤もエビの塩辛も青唐辛子も砂糖もココナッツも入れる。マレー人はそうした味のぶつかり合いを好むのだという。頂いた料理はどれも甘くて辛くて旨味も香りも強かった。
ここで思い当たるのは車かわいい顔こわいのトライショーである。
あの「かわいい」と「こわい」の相反する要素の組み合わせはもしかしたらマレー料理の「甘い」と「辛い」のぶつけ合いのようなものなのではないか。
車がかわいくて顔がこわいからこそ良いのだ。顔はこわくなければならなかったのだ。
マレーシアの国民性があのトライショーなのでは
他人の見た目についてああだこうだ言うのはよくないのだが、このトライショーの変さを伝えるには「車かわいい顔こわい」に頼らざるを得なかった。
これだけファンシーなものを怖そうなおっさんが汗水たらして動かしている。そうして日本から来た観光客は浮かれ、マレーシアのお父さんは一家を養っているのである。
相反する要素がそこにはある。そうしたことを「要素が多い」として私達は避けがちであるが、むしろ「ぶつかり合い」として好むというのはおもしろい。
ない感覚に出会える。そのために私達は海を越えていかついおっさんがファンシーな自転車を漕ぐのを見に行くのである。