生放送「記事の森」やってます
この対談は、先日放送したトーク配信『樹液でも飲みながらライターに専門分野の話をきく「記事の森」』から抜粋したものです。番組ではこの2倍くらいしゃべってます。対談をお楽しみいただけた方はぜひアーカイブをどうぞ。
石川:神職であることで生活に制限が生まれたりとかってあるんですか?
窪田:それが考えたんですけどほとんどなくて。戒律や教義教典があるわけではないので、あるとしたら個人の判断みたいなところで。なんだったか忘れたんですけど、どっかの規程に神職は犯罪行為はダメって書いてありましたね。
石川:あはは。それは全員。
窪田:それは印象に残ってますけど、それ以外は特になかったような気がしますね。
石川:いま経典がないっておっしゃってましたが、神道ってないんですか?
窪田:古事記、日本書紀だったりを中心的な書物として据えてはいるんですけど、教義ではないんですよね。
石川:神話はあるけど「こうしなさい」っていうのがないんだ。それでよく宗教として維持されてますよね。
窪田:そうですね。一時期には「神道非宗教論」なんていうのも唱えられたくらいですから、他の宗教のすがたとは少し異なるかもしれません。
石川:なるほど~。
石川:お守りってそれぞれの神社で独自に作ってるんですか?
窪田:神社やお寺の授与品やお守りを作る奉製会社さんがあって、そこで作っていただきます。それを神社でしっかりお清めをして、お守りの中に神様のお力がこもるようにご祈願をしっかりして、その後で頒布するという流れになります。
石川:オーソドックスなお守りって、刺繍の入った袋に厚紙みたいなのが入ってるじゃないですか。あれは全体がお守りなんですか。それともあの袋の中身がお守りなんですか。
窪田:袋の中に入ってるものを神様の依代(よりしろ)として考えてるんじゃないですかね。
石川:そういうことなんだ。いろんなかたちがありますよね。お守りって。
窪田:うちで出しているのだとワッペン型のお守りがあって。アイロンでぎゅっと付けるみたいなのとか、いろいろありますね。
石川:神様の力が宿ったものをアイロンでぎゅってやってもいいんだ(笑)。
石川:僕が神社に一番行くのって初詣なんですけど、さっき別の記事を読んでたら、「初詣はあんまり自分の願い事をするんじゃない」みたいなことが書いてあって。どう思いますか?
窪田:いいんじゃないかなと思いますよ。それを神様が叶えてくださると思えるのは、それはそれですごい信仰のあり方だと思うんですよね。現世利益的なものとして批判の的になったりもするんですけど、お金がたまるように神様が取り計らってくれると信じられる心ってやっぱり信仰なんです。
石川:ああそうか。信じていることが自体が尊いというか。それでいうと、初詣に行ったときにお賽銭はいくら入れたらいいんですか。
窪田:これもあるあるの質問ですね。いつだったかテレビで見た神主さんの回答すごい良いなと思ってたんですけど、五円でご縁がありますようにという話がありますよね。ただ、通貨に円って名前がつく前から神社への信仰があるので、後付けに過ぎませんよみたいな話を。
石川:たしかに。駄洒落ですもんね。
窪田:そうですね。ただ五円を入れて自分が満足できるならそれでいいと思います。といいつつ個人的な話をすると、自分がお詣りをする場合は多ければ多いほうがいいかな。お金を多く包むというのは、神様へのお気持ちの表し方として、最も形にしやすいものですから
石川:そもそもお賽銭って何なんですか?これで願いを叶えてくださいねっていう料金みたいに考えるのはちょっと違うんじゃないかなって気もして。
窪田:もともと賽銭の賽という字が、返り詣でといって、神様に願いを叶えてもらった恩返しをするという意味が含まれていたと思うんですよね。なので、これからのことというよりは今までのことだったり、今あるものへの神様への感謝のお気持ちで、お供えいただくのが本義的なんじゃないかなと思います。
石川:お礼か。
窪田:神社参拝に熱心な方はよく「神様へのお礼が何より大事」みたいにおっしゃるんですが、それは確かに本義的なんじゃないかな。
石川:確かに元々が米の奉納だと思うと、たくさん収穫できてありがとうございましたってお礼っぽく供えるイメージはありますよね。
窪田:お米が出来なきゃお供えできないですもんね。ただお金の場合、会社のお給料を神様からのお恵みものって考えるのは相当難しいですよね。
石川:お金だとそうですよね。会社から振り込まれているものだし。
窪田:そうなんです。でも、神社参拝にいらっしゃる社長さんとか仕事の出来る方は、全部自分の努力でうまくいってるように見えても、神様から与えてもらったものと考えている方が多くいらっしゃいますね。
石川:自分の実力だったとしても実力を与えてくれたのは誰か、チャンスをつかめた運は誰のおかげだとか。
窪田:そういうことを考えながらお詣りできるといいかもしれないですね。
石川:なるほどねー。初詣以外だといつ行ったらいいですか。好きなときに行けよって感じだと思いますけど。
窪田:神様に感謝を伝えるための機会と考えると回数が多ければ多いほどいいんじゃないかなとは思います。熱心な方は毎月初め、1日詣りみたいな形で祈願に来られますね。
石川:受験に合格するためとか、スポーツの大会に勝つために毎日通うみたいなパターンもありますね。
窪田:口に出して「優勝できますように」と唱えるんだったら、その言葉の力というか、そういったものの働きもあるんじゃないですかね。
石川:口に出すのが大事ですか。
窪田:この辺も難しいんですけど、口に出したほうがいいのかもしれないですね。ただお賽銭箱の前を陣取って延々ブツブツ言っちゃうと、周りの方のことも考えないとねっていうところもあるので、お詣り自体は二礼二拍手一礼で型通りピシッとしたあとに邪魔にならないところに避けたりして、ゆっくりスペースを確保して言葉として唱えるとかができれば、誰にとっても良いんじゃないかなと思います。
石川:賽銭箱の前じゃなくても神様は見てくれているんだ。
窪田:もちろんそうだと思いますよ。
石川:最後に、神職の立場でみなさんに言っておきたいことはありますか?
窪田:みなさん何気なくお詣りとかされて信仰心を自覚してないところもあると思うんですけど、どうあれ今まで生きてきた中で神社に行って神様に頭を下げる気持ちを持てるということはすごい尊いことだと思っています。そういう気持ちを大切にしていただきたいなというのはありますね。
僕自身そこまでぐっと湧き出るような信仰心があるタイプじゃないのですが、参拝者の姿を見ていると心を打たれたりすることが多々あって。そのまま清らかなままで、みんないてほしいなって思います。
石川:ありがとうございました。
この対談は、先日放送したトーク配信『樹液でも飲みながらライターに専門分野の話をきく「記事の森」』から抜粋したものです。番組ではこの2倍くらいしゃべってます。対談をお楽しみいただけた方はぜひアーカイブをどうぞ。
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