人は人、犬は犬
犬はかわいい。犬の足音もかわいい。
だが、私が犬の足音を再現してもかわいくないし、楽しくない。
犬には犬の、人には人の良さがあるのかもしれない。少なくとも「チャッチャッ」については犬に任せて、私は私なりの良さを見出していきたい。
犬がかわいい。特に道端で散歩している時の「チャッチャッ」というささやかな足音がかわいい。あまりにもかわいいので知人に犬を見せてもらった。あまりにもかわいいので「チャッチャッ」を自分のものとしたいと思った。それの何が悪いというのか。
恥ずかしながら、私は犬に夢中である。特に道端で飼い主と一緒に散歩をしているさまを見るのが大好きだ。
飼い主を置き去りにする勢いでずんずん進む子もいれば、飼い主の様子を伺いながらぴたりと併走する子もいる。どの子も等しく楽しげで、見ているだけで「楽しいね、よかったね」という気持ちになるのだ。
さらに言えば、特筆すべきはその足音である。道端で通りすがりの犬に耳を傾けると、「チャッチャッ」という足音がするのをご存じだろうか。
どうやら爪と地面がこすれて鳴っているようなのだが、その音がまた犬の楽しげな様子を倍増させるのだ。
今回はその「チャッチャッ」を心から楽しみたい、そんなささやかな願望の話です。
できれば四六時中「チャッチャッ」を味わっていたい私だが、誠に残念なことに私の家では犬を飼っていない。そのためあのかわいい「チャッチャッ」という音を味わうためには目をつぶり心を落ち着かせ、記憶と思想の彼方で反芻するほかないのが現状である。
また、「チャッチャッ」をご存知でない方のためにも、こんな音ですよと実際の音声でお伝えしたい。
そんな悩みを抱えていたところ、ライターの小堺さんが犬を飼っていらっしゃるということで、あの「チャッチャッ」を聞かせていただけることとなった。本当にありがとうございます。
聞けば、「チャッチャッ」という足音がかわいいよねというのは私の犬に対する妄執ではなく、犬を飼っている方々の共通見解であるらしかった。よかった、少し安心した。
また、足の爪が地面とこすれて鳴る音である都合上、土や芝生を歩く時は鳴りづらく、アスファルトなど舗装された道を歩く時に鳴りやすいそうだ。なるほど、言われてみると確かに私も道路沿いなどの道端でよく聞く気がする。
さっそく軽めに歩いていただき、あの「チャッチャッ」を味わうこととしよう。
かわいい。かわいいはかわいいが、なんだかあまり「チャッチャッ」と聞こえていない気がする......?
録音してみたが、「チャッチャッ」はさっぱり聞こえない
危ない。気を抜くとただ犬を眺めてニコニコするだけになってしまう。もう一度録音してみよう。
まったく録音できない。そもそも直接聞こえてきていないのだから、録音できていないのも当然だ。
小堺さん曰く、そこそこ高齢であることに加えて冬の寒さが影響し、最近はあまり元気に歩かないことから音が鳴りづらいとのことだった。
なるほど、「チャッチャッ」にもコンディションによって差があったのか。何も調べずのんきに来てしまったことが、あまりにもダイレクトに裏目に出てしまった。
この日は結局直接「チャッチャッ」を録音できず、後日「チャッチャッ」が鳴った時の音源をいただけることとなった。家のフローリングの方が地面よりもさらに音が目立つらしく、聞こえやすいとのことだったのだ。
お手数おかけしてすいません。でもかわいかったです。かわいかったことは伝えさせてください。
ということで音声データをいただきました。聞いてください
聞こえるだろうか、この床に硬い爪がこすれる「チャッチャッ」という音が。これを鳴らしながら犬はご機嫌で歩き回るのだ。かわいいね。
小堺さんから「チャッチャッ」の音源をいただいて以来、何かあると音源を再生し、「チャッチャッ」を摂取してしまう私がいる。「チャッチャッ」中毒である。
犬を飼っている方はこの音が日常であり、生活の一部だというのだ。なんとうらやましいことか。なんとかこの「チャッチャッ」を自分でも味わえないものか。
そう思ってしまったので手元で再現してみたいと思う。あの「チャッチャッ」を聞いてしまった皆さまも同じ気持ちだと思うので、われら「チャッチャッ」愛好家代表として尽力させていただきたい。
「チャッチャッ」という足音自体の再現はそこまで難しいものではない。何か硬いものが地面と擦れればOKなので、小さめの石なり金属と床をこすらせさえすればよいのだ。
ほうら、「チャッチャッ」だぞ
ただそれだけではあまりにも素っ気なさすぎるし、夜な夜な金属の輪っかを地面にたたきつけて喜ぶ成人男性はおそらく見るに絶えないだろう。
せっかくなので私の歩みに併走して鳴ってくれるような仕組みを作ることとしよう。「チャッチャッ」と一緒に歩こうじゃないか。
東急ハンズで最も犬の足に近いふわふわを買ってきた。これに金属の輪っかをつければもう犬の足も同然という魂胆なのだ。
なんだかかわいかった犬のイメージから思いの外かけはなれてきた。しかし、「チャッチャッ」の国は近づいている。あとはこれらの足を自分の足にくくりつけるだけだ。
できた。これで歩くたびに「チャッチャッ」と音がなるはずだ。そしてそれは幸せなことなのだ。
聞いてくれ、俺の「チャッチャッ」を
鳴った。ちょっと音のボリュームは大きいが、確かにあの「チャッチャッ」だ。ついに私はあの「チャッチャッ」を手中に収めたのだ。
ひょっとして犬を飼っている方にも見分けがつかないほどの「チャッチャッ」だったりするのだろうか。ちょっとクイズにしてみよう。
例えばこの「チャッチャッ」は犬の足音だろうか?私だろうか?
続けてもう一問。
第2問。この「チャッチャッ」は犬の足音だろうか?私だろうか?
勘のいい方はお気づきかもしれないが、犬の「チャッチャッ」の音源がないので私が正解の方のクイズしか作れない
いかがだろうか。ここでいかがだろうかと言っているのは、自分でも自信がなくなってきたことの現れである。
確かに「チャッチャッ」自体は求めていたものだ。それは手に入った。しかし、なぜだか全くかわいくないのだ。
われわれ「チャッチャッ」愛好家は確かに「チャッチャッ」を好き好んでいるが、それは犬の鳴らす「チャッチャッ」がかわいいからである。かわいくない「チャッチャッ」はなんだか空虚なのだ。
おちついてもう一度見てほしい。これは果たしてかわいい「チャッチャッ」だろうか
原因として一つ考えられるのは場所である。私が「チャッチャッ」をかわいいと感じていたのは、いつも道端のことであった。だが今は家の中である。
条件はなるべく揃っていた方がよい。外に出て散歩してみよう。
外で味わう「チャッチャッ」も確かにあの「チャッチャッ」だ。だが本物の犬の「チャッチャッ」と比較するとどこか物足りない。
やはり犬を飼おう。そして本当の「チャッチャッ」を聞こう。
「チャッチャッ」愛好家の皆様方におかれましても、そうした方がいいと思います。そう思いました。
犬はかわいい。犬の足音もかわいい。
だが、私が犬の足音を再現してもかわいくないし、楽しくない。
犬には犬の、人には人の良さがあるのかもしれない。少なくとも「チャッチャッ」については犬に任せて、私は私なりの良さを見出していきたい。
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