特集 2021年11月16日

カップラーメンの説明が丁寧すぎることを伝えたい

この世には様々なカップラーメンがある。こってりしたとんこつ味からあっさりの塩味まで挙げればキリがないほどだが、その中身を伝えるのはいずれもパッケージだ。

そんなパッケージを眺めている内、作り方の説明が異様に丁寧なことに気づいてしまったので一緒に見てもらいたい。

1993年群馬生まれ、神奈川在住。会社員です。辛いものが好きですが、おなかが弱いので食べた後大抵ぐったりします。好きな調味料は花椒。

前の記事:温泉にお湯はいらない。プラスチックの椅子さえあればいい

> 個人サイト ぼんやり参謀

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迷わない、迷わせない

作り方の説明が丁寧すぎるとはどういうことか。

まずはおおまかなカップラーメンの作り方を思い浮かべてもらいたい。おそらくは次のような工程となるのではないだろうか。

  1. カップラーメンのフタを半分くらいはがし、中に入っている小袋を取り出す
  2. 粉末スープなど、一部の小袋を先に入れる
  3. お湯を入れて数分待つ
  4. 液体スープなど、あと入れが推奨される小袋を入れて完成

もちろんこの工程が間違いということではない。カップラーメンの種類によって多少の差異はあれど、上記の工程でおおよそ美味しくいただけることだろう。これから紹介するカップラーメンも特別作り方が異なるわけではない。

そう、この工程の説明が丁寧すぎるのだ。

まずはこのカップラーメンを見てくれ

例えばこのカップラーメン、さてフタを剥がしてみせやしょうと見やると、

「ここからあける」の文字が

 「ここからあける」の文字が出てくるのだ。もう丁寧だ。

人間、何もなくとも開けられそうなところから開けるものだ。それを「ここからあける」と明記する。これを丁寧と言わずして何と言おう。

ただし、ここまでならまあ親切だねという範疇に収まらなくもない。そもそもフタを開ける場所をきちんと用意してくれていること自体が親切なのだ。それに親切を1つ足したまでという考え方もある。

安心してほしい。今のはボクシングでいうところのジャブである。恐ろしいのは次なのだ。

「ここまであける」丁寧のストレートが飛び出した

先の工程の①にて「フタを半分くらい開ける」と書いたが、実際どこまで開ければ十分なのだろうか。開けすぎた結果おいしく作れなかったりするんじゃないのか。そんな心配をカバーする「ここまであける」である。

いや、丁寧が過ぎるのではないか。そこまで指示されずとも、作り方に「半分くらい」とさえ書いてもらえればよいのではないか。この世界はここまでの丁寧が求められるようになってしまったのか。

落ち着いて他のカップラーメンも見てみたい。

続いてはこちらのカップラーメン
IMG_3619.JPG
「B」

こちらのカップラーメンには「ここまであける」と直接書かれていないものの、同じ場所に「B」と印字されている。側面の説明曰く「フタをBの線まで開く」そうだ。

「フタをAからBの線まで開け、」やや暗号めいている

 これは丁寧かと言われると微妙なラインだ。フタをどこまで開けるかは結果的に示されているものの、パッケージの「B」単体ではよく分からない。ギリギリまでパッケージの見た目をデザイン側に寄せたい意思が感じられる。

しかし、このパッケージには別の丁寧さが存在する。

容器内の小袋の数の明示である。しかも警戒色

 確かにカップラーメンの小袋は、気づかずに取り出さないままお湯を注いでしまうリスクが存在する。ただそれを警戒色でパッケージに表示する必要はあるのか。

しかも数だけではなく「お湯を注ぐ前に取り出す」とも書いてある。丁寧の権化なのだ。

ちなみに味はどっちもおいしかったです

もちろんこの世の全てのカップラーメンが実家の母親のようにあれこれ世話を焼いてくれるわけではない。世の中には開け方や小袋の説明のない硬派なカップラーメンも存在する。 

先ほどまでのカップラーメンが母とするならば、こちらは父にあたるのだろうか

 しかし、これほどまでに工程が丁寧に記されている製品を私は見たことがない。令和の世においてカップラーメンといえば丁寧、丁寧といえばカップラーメンなのだ。

もちろん父のラーメンもおいしかったです

 

世の中の製品を母にする

ここまででこの記事を読んでいる8割の方々にはカップラーメンの説明の異質な丁寧さをご理解いただけたかと思う。だが残りの2割の方にもしっかりお届けしていきたい。

どのように説明すればこの異質さがより分かりやすくなるだろうか。例えばもし他の製品の説明がカップラーメンくらい丁寧であったらどのような見た目になるだろうか。

例えばペットボトルだ。

ペットボトルのお茶が飲みたいなと思ったら、みなさまはどのようにするだろうか
IMG_3629.JPG
そう、キャップをひねって開けて......
「ここからひねってあける」こういうことである。ペットボトルの母化だ

今日、誰しもペットボトルを前にすればキャップをひねって開けるだろう。それをわざわざこのように「ここからひねってあける」と書いてあったら奇妙な感覚に襲われないだろうか。

それが今カップラーメンで起きているのだ。目を覚ましてくれ、みんな。

透明なシールに文字を印刷して
貼り付けて作りました

他の製品でも試してみよう。例えばノートだ。

メモでも取ろうかとノートを持ち出し
開いてみると
こうである
「ここにかきこむ」。そうか、ここにかきこむのか……

そもそも書き込むことを目的としてノートを開いているのに、そこに追いうちをかけるような「ここにかきこむ」の文字。これはもう丁寧を越えてありがた迷惑の域じゃないのか。

この異質さ、お分かりいただけているだろうか。お分かりいただけるまで続けていきます。お分かりいただけたらお分かりいただけたタイミングで言ってくださいね。

月ごとにめくるカレンダーも
目をこらしてみると
こうなのだ

月ごとにめくるカレンダーも他人事ではない。そのままにしておいたが最後、次の月以降の暦が確認できないのだ。これは致命的な欠陥である。使用者に月ごとにめくる旨を伝える必要がある。

そう思っての「月が変わったらめくる」だ。「言われなくてもそりゃめくるだろう」と思いましたか。思ってください。それだけが望みなんです。

主張に熱が入りすぎて疲れたので、飴ちゃんで休憩させていただきます
もちろん飴ちゃんが例外であるはずもなく
「かまずになめてとかす」。こういう世界が今、カップラーメンから始まっているんです

そろそろ分かっていただけたのではないだろうか。もしカップラーメンの異質さが世の中の全ての物に波及したら、何をやってもこんなにも説明されるようになってしまうのだ。その先駆けがカップラーメンなのだ。

ただ、この例はちょっとやりすぎた。「なめてとかす」は食べ方の説明なのでよいが、「かまずに」は余計なお世話である。もちろん噛んだっていい。それは人間に許された自由である。

そもそも間違えてミルキーに貼ってしまった。ミルキーは飴ちゃんじゃないし噛んでもいい

ここまでいくつか「もしも」の世界を見てもらったところで、改めてカップラーメンのパッケージを見てもらいたい。

この記事を読むまでは特に気にしていなかったかもしれないが
フタをどこまで開けるか示す「B」だけでなく
ここにも
ここにも説明がある

そう、カップラーメンの丁寧な説明は先に挙げたフタの開き方や小袋の解説にとどまらない。「フタのフチで手を切らないよう気をつける」「矢印の方向にゆっくりはがす」など、探せば探すほど懇切丁寧な説明が見つかるのだ。

お分かりいただけただろうか。お分かりいただけましたね。ようやくお分かりいただけたようで何よりです。カップラーメンの説明が丁寧すぎる、今日はこれを伝えにきました。

ご静聴ありがとうございました
それでは失礼させていただきます

 


丁寧な説明の例は無限に作れる

はさみに「ここにはさんで切る」、定規に「ここをあててはかる」、体重計に「ここにのる」......。本文中ではくどくなりすぎるので省略したが、丁寧すぎる説明の例はいくらでも作れるのだ。

もし本当に何もかも説明が必要な世の中になってしまったら言ってください。私がシールを貼ってまわるので。

ただ、シールだとこのように色合いに違和感がある場合もある。本文最後の画像は泣く泣く写真にテキストで書き込んだ

 

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