特集 2020年4月16日

異国のおじさんは、二度デカい鍋を振るう

海外旅行をしていると、忘れられない味に出くわすことがある。おれの場合、強烈な記憶として脳裏に浮かぶのが以前、中央アジアを旅行中に出会った”プロフ”と呼ばれるコメ料理だ。肉や野菜とともに、たっぷりの羊脂でコメを炊き上げる料理で、この地域におけるソウルフード的存在である。海を渡り、時を超え、この思い出の味との再会を果たしてきた。

海外旅行とピクニック、あとビールが好き。なで肩が過ぎるので、サラリーマンのくせに側頭部と肩で受話器をホールドするやつができない。

前の記事:異国のおじさんがデカイ鍋で料理する一部始終

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プロフという魔性の料理

プロフの味を一言で表現するのは難しいが、あえて言うなら「背徳的な味」だろうか。糖が脂肪をまとったときの中毒性は周知の通りなのだけど、なにせこの料理はパンチのある羊脂をたっぷりと炒り出し、その脂でコメを炊き上げよという狂気のレシピなのだ。

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ピカピカのプロフ。米だろうが麺だろうが、小麦パンをつけ合わせるのがこの地の食文化。

チャーハンのように油を外からコーティングするのとは違い、コメ一粒一粒がすっかりと羊の脂とうまみを吸い込んでいる。そしてその土台の上に、かぐわしいスパイスの香りと、野菜の優しい甘みを強めにオン。要するに、要素を掛け合わせまくり、過剰で背徳的なうまさなのだ。

鍋系エンタテイメント

プロフが鮮烈な思い出として記憶されているのは、味そのものもさることながら、超ダイナミックな調理過程によるところも大きい。

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直径1m近くある鉄鍋

屋外の調理場で、馬鹿みたいにデカい鍋に向き合うおじさんは、プロフ専門の料理人。いかつい風貌とは対照的に、朗らかで気さくな性格で、見知らぬ外国人観光客であるおれにも異常に親切だ。

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おじさんの職場は、若者がイスラムを学ぶ神学校で、学生たちの給食をつくるのが仕事。本来、神学校の敷地は観光客が立ち入っていいような場所ではないが、暑さで顔色の悪いおれを見かけて、キッチンで休んでいくよう勧めてくれたのだ。

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そのついでにプロフを炊き上げる一部始終を見せてくれた訳だが、鍋はデカいし、肉を切り分けるのに使うのは手斧。途中で食材の子羊は登場するし、スパイスは丸ごと一袋使っちゃう。

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ひとつひとつの工程がいちいち大胆すぎて、これは料理の枠を超えて、もはやエンタテイメントだなと思った。大量の食材をえいやっと豪快に処理していくさまを眺めるという、新しいタイプのエンタテイメント。

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結局おれは、大鍋の様子から目が離せずバシバシと写真を撮りまくり、料理が出来上がったころには気分が悪かったことなどすっかり忘れてしまった。

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そして至極当然の流れであるかのように、学生さんたちに混じってプロフをごちそうになる。
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ムスリムにとって旅人をもてなすのは大切な功徳のひとつだそう。

旅先での予期せぬ出会いというのはいいものだが、これほど訳がわからなくて最高な出会いはそうそうあるものではない。人の温かさにあふれていて、美しく、そしてねっとり脂っこい思い出。この思い出を辿るために、いつかこの神学校をもう一度訪ねたいと、かねがね思っていたのだ。

6000キロをまたいでアポなし訪問

以上、回想パート終わり。舞台は突如、中央アジアの国、ウズベキスタンの地方都市へ。

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朝焼けの草原

数ヶ月かかった難儀な仕事がようやく片付き、ご褒美的にとつぜん降って湧いた9連休。さてどこへ旅行しようかと思案していたら、ふと。あの背徳的な味が思い浮かんだ。大急ぎで航空券を手配して、その10日後にはもう出発。飛行機を2回乗り継ぎ、寝台列車に揺られ、日本を発ってから24時間以上。およそ一年ぶりに、あのプロフ料理人のおじさんに会いにやってきてしまった。

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電車のホームが低いと、外国に来たなって感じがするよ

ちなみに、おじさんの連絡先は知らないので、訪問を事前に伝えることはできない。記憶を頼りに、神学校を覗きにいくだけのシンプルな作戦だ。6000キロをまたいだ、アポなし訪問ということになる。営業マンだったら絶対許されないだろうな。

ターミナル駅からタクシーを拾い、神学校のある旧市街地へ向かう。

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おじいさん運転手は前歯が6本、金歯

駅に着いたときはワクワクでいっぱいだったが、街が近づき、記憶にある景色が目に入ってくるにつれて、口から心臓が飛び出そうな気分になってくる。運転手が陽気に話しかけてくるが、ロシア語はさっぱりわからないし、緊張でろくに愛想笑いもしてあげられなかった。


タクシーが入れるのは、街の入り口までだ。

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ホテルに寄って荷物を下ろすのももどかしくて、バックパックを背負ったまま、神学校があった方角に向かって歩いていく。

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ここは500年以上前の景色が残る古い街。以前もこのタイムスリップ感に憧れて訪ねてきたのだが、今回は見惚れているような心の余裕はなく、自然と早足に。

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ぼんやりとした記憶を辿って道を選ぶが、もともと狭い道が入り組んでいる上に、しょっちゅう工事現場に行き当たるせいで、いまいち自信がない。

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猫にもシャーシャー威嚇される。そんな目で見ないでくれ。

そうやってしばらく歩いていると、大脳皮質の奥底をパッと照らし出すような看板を見つける。そうそう、この角を曲がったところが神学校ではなかったか。結局、さまよったのは20分程度。意外とあっさりたどりついてしまった。

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まだ心の準備が…

埃っぽい砂漠気候の空気が、いちだんと乾いてノドに張り付く。かつてこの扉の裏におじさんがいて、かまどがあり、冷蔵庫があり、調理台があったのだ。

 

が、扉に近づくにつれて、違和感が黒いもやとなって頭を覆う。ちょっと静かすぎるのだ。人の気配がない。

扉の向こうを覗くと、案の定もぬけのから。

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キッチンの痕跡、かけらもない。

この景色を見た瞬間、ぎりぎりまで高まった緊張感と期待感が、ぶしゅっと音を立てて抜けていった。あとには長距離移動の疲労をためこんだ重い体だけが残った。

さすがに見通しが甘かったか。壁ぎわにもたれかかって考える。今日は休日なのか。あるいは時間帯が悪いのか。いや、この雰囲気だとキッチンごと完全にどこかに移転してしまったのだろうか。こういうとき。現地語も出来ず、情報の限られた旅人は無力だ。

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無情にも、数少ない英語の情報が、訪問を拒んでくる。おれはアンオーソライズドピープル。
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おれには時間ならあるのだ

だが無力ながら、時間ならたっぷりある。ウズベキスタンは国内各地に見どころがたくさんある観光立国だが、おれの9連休はこの街に全振りなのだ。長期戦である。

幸いなことに、神学校の施設とおぼしき建物からは、ちらほらと人が出入りしている。

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ここで待ち構えていれば、何かきっかけをつかめるかもしれない。

バックパックを地面に下ろし、その上に腰掛ける。往来の中にはあからさまにいぶかしげな視線をくれる人も多い。まあ、学校の前で観光客がキョロキョロしていたらそれは怪しかろうな。だが、決して悪事を働こうとしているわけではないのだ。心を強く持ち、辛抱して待つ。

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前回訪問時は、この木に子羊が繋がれてたんだよね。
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あ、建物の排出口っぽいやつにも、イスラム建築の雰囲気が。ええ。まあ手持ち無沙汰な時間でしたね。

そしておよそ1時間後。通りかかった一人の青年と目が合う。お互いなにかを感じる。「こいつ…どこかで見たことある顔だな」。

そして再会へ

彼はこちらにゆっくり近づきながら、胸に右手を当てる。挨拶だ。これは挨拶の仕草だ。彼がおれに挨拶をしてくれたのだ。

本当に偶然だが、以前の訪問時に、ただ一人英語が話せて通訳役を果たしてくれた学生さんであった。背が10cmくらい伸びている。うっすらと髭も生えていた。理知的で控えめな笑顔は記憶のままだった。よかった、君に会えて。本気で心細かったよ…。

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彼によると、以前のキッチンは、建物の改築中に仮設でこしらえたものだったそう。

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現在は、キッチンと食堂が併設された、立派で真新しい建物に移っている。そして。

あ、おじさんだ!

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見違えるようにきれいなったキッチンで、おじさんは肉を切っていた。「あれ。なんだ君、また来たの」と、ニカっと笑う。ぶっきらぼうなようだが、とても暖かい笑顔。ああよかった、ちゃんと覚えててくれたみたいだ。

安心したら急にお腹減っちゃったよ。それじゃまた、豪快にデカい鍋を振るうかっこいいところ、見せてください。

鍋系エンタテイメント、再び

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「うまいプロフ作るから、そこで待ってな」。
相変わらず鍋がデカい。もはやこれは小さい風呂だ。

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「そうだ、かまどの火。つけといてくれよ」
おじさんの指示を受けてきびきび動く学生さん。

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鍋のサイズに負けない超大火力。

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「あと、肉もよろしくな」
別の学生さんが軽快に塊肉をバラす。骨を断つにはやっぱ斧だよね。

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「細かく切るのは、たき子さんに任せちゃっていいから」
たき子さん(仮名)は、慣れた手つきでちゃきちゃきと肉を切って鍋に放り込む。

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「よし、そろそろコメも用意しといてくれ」
バケツに入った生米に熱湯を注いで、水を吸わせておく。これ何合あるんだろう。

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いま、鍋の中はこんな感じ。たっぷりの羊脂を煎りだし、そこにたっぷり刻んだにんじん。もちろん羊の塊肉もたっぷりと。

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さらにスパイスなんかもたっぷり一袋入れちゃって、うまいスープにする。こちらのおじいさんはなんか、グランドシェフって感じ。

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ぐつらぐつら。外国の香りがぶわっと広がる。

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「そろそろコメがふやけてきたな」
ざぶざぶ混ぜて。

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ざっくりと湯を切る。

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さあ、こっから面白いところだぞ、とおじいさん。

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コメ meets うまいスープ。

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もういっちょう!

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「あ?こんなの目分量だよ」
おじさんがパッと味付けして。

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おじいさんがササッと混ぜたら。

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コメが脂とうまみを吸い込むのをしばし待つ。

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なんだか外が気になる様子のおじいさん。

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お、キッチンの裏手に不思議空間が。

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あれ、羊くん。こんなところにいると。

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あああ…やはり。学生さんたちがお祈りを捧げ、決められた手順で羊を解体していく。

生きた子羊がナイフ一本で、みるみるうちに肉に変わる。

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生き物たちみんな、興味津々。

この神学校は全寮制。生活ルールの一環なのか、学生たちはみな、交替で料理の手伝いや羊の屠殺を当番している。

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いつの間にか子羊は、肉屋に並んでる姿に。
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さて、そろそろキッチンに戻ろう。

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コメがたっぷり油を吸って、つやつや。

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ここからまた面白いところだぞ!コメをこんもりした山に整えるんだ!とおじいさん。

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そんなに写真撮るなら、と白衣に着替えてきたらしい。お茶目。

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それじゃ、いよいよ仕上げの工程に。そのへんに転がってたタライを被せて、じっくり炊き上げる。

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奥に立派な木のフタも立てかけてあるけど、それはつかわない。

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「蒸らすのにしばらく時間かかるから、お茶でも飲んで待ってなよ」

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「ところで君さ、何しにきたの」

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「え?プロフ食べるために?わざわざ?へえー…」

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「…まあいいや、おれのプロフは相当うまいからな!」

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「よし、君が結婚式やるときには呼んでくれよ、日本までプロフ作りにいってやろう。わはは」



そうこうしているうちに。

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「ほらほら、いい具合に炊けたぞ」

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「どんどん運んでいってくれよ」

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「みんなお待ちかねだ」

プロフはもともと、慶事に供される特別な料理。お祝いの宴席などで人が大勢集まると、遊牧民の財産である羊をつぶし、大鍋でプロフを炊いてみんなに振る舞っていたのだ。そんな背景もあって、このあたりでは老若男女、みんなプロフが大好き。学校でも週に一度やってくるプロフの日は、みんなのお楽しみなのだ。

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もうもうと湯気を上げながら、山盛りの皿が次々に学生たちのテーブルに運ばれてくる。

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「はい、君のぶん!いっぱい食べな」
お味の方ですが、にんじんはしっとりと甘くて、羊は完璧にほろほろ。米は脂のうまみではち切れそう。ずるいって、この組み合わせは。

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すっかりと平らげたら、デザートにはお茶とお菓子。飲食に禁忌の多いムスリムには、甘党が多い。がやがや、にこにこと談笑する学生たちの姿は、3限をサボって食堂でだべる日本の大学生に重なる。それでも彼らは食事が終われば、静かに目を瞑り、祈りの言葉を口にして、さっさと午後の礼拝に出かけていってしまう。

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「おーい、みんな。もう食べないのか?おかわり、あるぞ!」

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仕事を終えたあとの、美しい一服。

このときに学校のみんなとFacebookで連絡先を交換したので、2ヶ月に一回くらいの割合で、学生さんや学校職員さんがビデオチャットに招待してくれる。英語を喋る人は多くないので、お互い言いたいことを母語で喚き立てるだけだ。何を言ってるかは理解できないが、またそのうち大鍋を振るうところ、見に行かないといけない気がする。

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