特集 2024年7月25日

異国で羊を買って、お世話になった学校に寄付をする

それはたぶん神も望んでいるはず

あくる日の朝。今日はいよいよ羊を学校に届ける。その前に重要なミッションが残っている。正式に学校に寄付を申し出るのだ。

物事の順序がおかしいのではないかと思った方は鋭い。寄付するなら普通、受け取ってもらえることの承諾を取り付けてから、品物を手配するだろう。この点は何度もベフに確認してみたが「もっていくときに言えばいいよ」の一点張りなのだ。ベフのことはもちろん信頼しているが、ニッポンのビジネスマンのドグマの一つに「仁義を切る」というものがあり、これを無視するのはどうにもおさまりが悪い。

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すまないベフ、こちらにはこちらの戒律がある

運のよいことに神学校にはちょうど、初訪問時からずっと仲良くしているベテラン職員がいた。この職員さんとのコミュニケーションはプロトコルが確立されていて、まずは日本語とウズベク語で、それぞれお互いが伝えたいことを気持ちよくしゃべる。言葉の意味はわからないので表情筋のひとつひとつを駆使して、感情を顔面に乗せきることがポイントだ。しかるのち「アングリスキー(英語)!」と叫ぶと、なんだもうワシとはしゃべりたくないのかといじけながら、英語のしゃべれる人を連れてきてくれる。

 

連れてこられたのは、はじめて会う先生だった。神学校の先生というのは宗教指導者でもあり、おそらく社会的地位も相当なものだろう。顔から服装から、威厳に満ちている。気おされそうだ。一度深呼吸をし、思いを伝える。ウズベキスタンに何度も旅行していること。この神学校に特別の親愛の情を持っていること。これまで神学校から何度も施しを受けていること。そしてそのお礼の気持ちとして羊を寄付をしたいこと。言葉を尽くしてできるだけ丁寧に説明した。

 

こちらの熱烈プレゼンを聴き終わった先生は、YesともNoともいわず、ただひとこと真顔で「インシャラー」といった。

えーっと…なんでいきなりアラビア語?

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おれたちの間に流れる静かな緊張感

インシャラー。
幸か不幸か。そのアラビア語が意味するところを知っている。直訳で「もし神がそう望んだなら」だ。

一見、ポジティブな意味に見えるものの、例えばビジネスシーンで何かお願い事をして相手からインシャラーと言われれば、これは80%くらいの確率でダメだと考えられる。以下は実際に南アジアや中東で筆者が実際に採集した、インシャラーの用例だ。

 

「明日までにこの作業は終わりますか?」
「インシャラー(神が望めば終わる、終わらなくてもおれのせいじゃないよ)」

 

「予約していたレンタカーを借りにきたのですが」
「インシャラー(神が望めば貸してあげたいけど、望んでいないのでいまここにはないよ)」

 

ご存じの通りイスラムにおける神(アッラー)の存在は至上だ。ニュアンスとしては神がそのように導いてくれますように…という祈りと期待もこめられているようだが、人によっては明らかに面倒ごとの責任の所在をあいまいにするために使っているため、外国人にとっては警戒レベルがビンッと上がる言葉なのだ。

 

では改めて、今回のケースにあてはめるとどういう意味になるのか。「寄付をしたいというあなたの思いを、神が望むならOKとしよう」みたいな感じだろうか。

…じゃあぜんぜん大丈夫じゃないか。危ない危ない。ビジネスシーンで何度か辛酸をなめさせられたせいでムダな警戒をしてしまった。イスラム聖職者が「神が望むなら」といったらむしろこのうえない肯定として受け取るほかない。

 

突然のアラビア語に一瞬だけ、しかし大いに肝を冷やしたのち、
「…ああそうっすね!はいはいインシャラーね!サンキュー!」
と半ば押し切るようなかたちで相談を終わらせた。

 

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はじめてのおつかい in ウズベキスタン

「え、わざわざ先に学校に寄ったの?いきなり羊持っていってもぜんぜん大丈夫だったのに」
昼に合流したベフは屈託なく笑っていた。

 

いずれにしてもこれでなんの憂いなく羊を連れてくることができる。いや、憂いはあった。かなり大きな憂いが。この日は月曜日。ベフはごく普通の務め人であり、仕事があるので昨日みたいに牧場まで同行してもらうわけにはいかない。
「悪いね、軽トラと運転手は手配しておいたから。なんか困ったら学校に電話してくれたらいいから。よろしく!」

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ここからしばし、貨物ドライバーのアリとの旅になる

アリは寡黙な人間だ。この国のタクシー運転手は皆、こっちが外国人であることなどおかまいなしにウズベク語で(あるいは”気を遣って”ロシア語で)がんがん質問してくるが、アリはそういうのは無駄だとわかっているのだろう。

出発準備を整え、運転席からこちらをちらりと見る。俺は無駄なことはしないが、言われたことはきっちりやる男だぜ。と彼の眼が語っていた。おれが助手席でシートベルトを締めようとするとなぜか制するのも、プロドライバーとしての意地なのかもしれない。

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きっちりやるタイプではあるが、途中でパンを買い食いするタイプでもある。出発時にいつもの癖でシートベルト締めようとしちゃってまた止められた

 

牧場の門前までやってきたとき、この旅ではじめて、どうやら敵らしき人物が現れた。牧場の従業員の小男である。上下迷彩服に身を包み、厳しい目線でこちらを牽制してくる。どうやら我々が羊を引き取りにくるという話がぜんぜん通っていない。

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間が悪く、昨日あいさつした主人や若衆がいないらしい

アリは、おれのほうを指さして、この男が羊を買ったんだと説明している。それに対して、こいつが羊なんか買ってどうするんだと至極まっとうなことをいう迷彩服

発言内容は想像だが、3分ほどの押し問答があった。やがて話のウラがとれたのか、わかった中に入れという空気に変わった。歩きながらも迷彩服はおれのほうをじろじろ見定めている。こっちは外国で「はじめてのおつかい」をやっているんだから、もう少し優しくしてほしいところだよ。

迷彩服は身振り手振りを交えて言う。羊を引き取りに来たことは信じてやる。さあ早く教えろ、どれがお前の羊なんだ。

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ああん、どれがおれの羊かって?

そんなのおれにもわからない。ピンチ。こちとら極東の島国の出身である。目の前の30頭の中から、昨日ちらっと見ただけの羊の顔を覚えてなどいない。毛色が黒であることは確かだが、黒羊は6,7頭もいる。むしろなんでそっちが印つけるとかしていないんだと密かに悪態をついた。

 

この窮地を切り抜ける切り札になったのは、昨日撮った計量中の写真だった。

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おそれいったか、日本のウェブライターというのは本当にいちいち写真を撮っているのだ

迷彩服は今度は深く頷き、アリを伴って囲いのなかに入っていった。羊たちは、昨日にも増して激しく逃げ惑う。まさに今から連れ去ろうとする殺気が伝わってしまったのだろうか。

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あるいは単に迷彩服は羊にとっても怖い存在なのだろうか
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おびえきった羊に少し心が痛む。金を払ってこいつを食おうと決めた元凶はおれなので、勝手なものである
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「おい!おまえ写真撮ってないで手伝えよ!」と迷彩服は言った。これは絶対、言ったなと思う

羊の首にかけた丈夫なひもをアリが引っ張り、迷彩服が後ろから羊を押す。おれとしてはまた迷彩服に怒鳴られたくないので、何か手伝っているフリをしないといけないが、要領がわからないので、ただ羊の尻のあたりをぺちぺちとやっていた。

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なんとか3人が協力して、外まで連れ出した
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高い段差をのぼらせるのが、また一苦労
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荷台に乗せて首ひもをくくりつけると観念した

 

 

⏩ ラストワンマイルを制する者は

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