うかれるのは終わった
吐きそうなぐらい楽しみだった改元は終わった。
今回、新元号を発表するタイミングをいつにするかで、一部の国会議員から改元と同時にすべきだという意見もあったらしい。
たしかに、一連の改元セレモニーをみていると、いちばんもりあがったのは、新元号が発表された4月1日だったようなきもする。
はやく次の元号を知りたい。
年号が令和に改元された。
新元号の予想など、自分なりに改元のうかれ気分に全力で乗っかってみたが、その総仕上げを渋谷で迎えることにした。
改元からすでに3週間以上も経っているので、今さら感もある。しかし、当サイトは速報ニュースを扱うわけではないので、この時期に令和改元時の渋谷の様子を臆面もなくお伝えしたい。
テレビなどでみるかぎりは「若者がなんだか集ってワーッとやっとるな」といった印象しかないが、実際のところはどうなのか、この目で見ておきたいというのも大きい。
というわけで、渋谷にやってきた。
予想していたこととはいえ、渋谷は厳戒態勢であった。
ハロウィンや、サッカーの日本代表試合があるたびに、若者が渋谷のスクランブル交差点に集まり、気勢をあげ、何らかのトラブルを引き起こすことがしばしばあったため、警視庁の鼻息はかなり荒く、警官の数がものすごい。
事前に、今回警官はサブマシンガンを装備しているといった、ダイ・ハードみたいな情報もあったが、残念ながらサブマシンガンを持った警官は見られなかった。
スクランブル交差点前の広場では、警官が拡声器で「カウントダウンなどの予定はありません」としきりに案内している。
カウントダウン的なものはないとアナウンスはするものの、集まっているひとたちのじわっとした、高揚感は伝わってくる。
動画を撮影しているユーチューバーと思しき若者もちらほらみえる。
野次馬を見に来る野次馬という、自分の尻尾を食べる蛇みたいな状態になっている。
伝わってくるけれども、なにをどうしたらいいのかわからない、まだルールがよくわかってない競技に全員で参加しているような浮ついた雰囲気があった。
もっとも、この雰囲気は日本全国でそうだったかもしれない。
天皇の崩御を伴わない改元を体験したことがあるひとは居ないわけで、いったい何をどうすればよいかわからなかったのではないか。
そのため、年末年始がもう一回やってきたみたいなバグった雰囲気になり、年越しそばやおせち料理を作り始めるひとがでてきた。ひとびとの行動までバグりはじめた。
改元のときに何をしたらいいのかの正解は、おそらく「何もしなくていい」だろう。
でも、30年間馴れ親しんだ元号、平成がきょうかぎりでおわり、明日からは、令和だといわれると、それはそれで、いても立ってもいられなくなる気持ちもわかる。
取材に同行してくれたデイリーポータルZ編集長の林さんが、令和メガネを作ってきたという。
令和だけでなく、昭和、平成といったメガネまで、かなりどっさり準備してきている。改元にかける意気込みのほどが伺える。
交差点でさっそく着用してみる。
上の写真を撮ったのは、4月30日午後20時ごろ。この時間帯は、人出は多いものの、こういった感じで浮かれているひとは皆無だったので、かなりの覚悟でもって写真を撮った。
浮かれていた人が少なかったせいか、知らない人と一緒に写真を撮ることがなんどかあったが、ぼくの写真を撮った方、ぼくでよかったのでしょうか?
日付が変わるまで、しばらくの時間があったので、センター街を散策してみた。
外国人向けのおみやげショップに「令和」の帽子が売られているのを発見。
日本の新元号なんて、外国人むけのグッズとしては言葉のチョイスがしぶすぎて難易度が高い。
新元号ガチ勢としては悩むところだ。
いくら冗談とはいえ、元号がでかでかと書いてあるTシャツなんか恥ずかしくて着れないだろう。
メガネに帽子にTシャツ、着々とできつつある。
このあと、ドン・キホーテとロフトにも立ち寄り、なにか令和的なものを売ってるか探したところ、タオルやうちわなどを入手、仕上がってきた。
こんな感じで、深夜まで遊ぶわけにもいかないので、どこかで食事をとりつつ、元号メガネで写真をとりあって時間をつぶす。
ここでひとつ知見を得たのは、元号メガネは、シルバーのアクリルで作ると、鏡のようになってしまい、文字が読みづらくなる。ということである。ちなみに、色付きのメガネであれば、はっきり見える。
次回の改元の際に元号メガネを自作する予定がある方はお気をつけ願いたい。
雑談として、自分で元号を制定するにはどうしたらいいかという話になった。
元号は、別に自分が勝手に作った元号を、自分が勝手に使うのは全く自由である。罰則があるわけでもなく、誰に咎められることもない。
実際、勝手に作った元号を、勝手に使っている例は、たくさんある。そういうのを「私年号」という。
私年号は昔から各地にあったが近年では、日露戦争勝利を記念し、1904年を元年とする「征露」という年号や、戦後、GHQによって担ぎ出された、南朝の末裔を自称する熊沢天皇とその支持者が使っていた「大延」といった元号がある。
タピオカも歯姫も、二年、三年と使っていけば、そのうち立派な私年号になるはずなので、あきらめず頑張ってほしいところだ。
23時も30分を過ぎたあたり、スクランブル交差点あたりまで行ってみた。時代またぎのときは刻一刻とせまってきている。
すでに、カウントダウンなどはないと宣言されているにもかかわらず、なんとなく集まったひとびとが、そわそわした感じで身動きがとれないでいる。
誰も指示や指揮をするものがいないため、漠然とした高揚感につつまれたひとびとの塊が騒ぎもせず、そこにあるのだ。
中には、全身LEDで発光しているひとや、令和と平成が半分ずつのタイツに身を包んだひとなど、目立つかっこうの人間もいるものの、それ以外は、この雨の中、なにをどうすればよいのかわからず、ヌルっとした感じでうごめいている。
23時58分ごろになると、スクランブル交差点が規制され、中に立ち入ることができなくなったようだ。
交差点が規制され始めると、どこからともなく自主的なカウントダウンらしき歓声が起こり始めた。なんなんだ、これは。
「わー、わー、わー……わぁー」
という、はっきりしない歓声が聞こえたと思ったら、時刻は12時をまわり、5月1日になっていた。いつのまにか、令和元年である。
ひとは多かったものの、かなりあっさりとした改元の瞬間で、大きな混乱もなく、すぐさま渋谷は平穏を取り戻した。
これらの様子は、同行してくれた西垣さんが動画としてまとめてくれたのでぜひご覧頂きたい。
意外とあっさり、何事もなく改元の瞬間が過ぎ去ってしまった。
スクランブル交差点方面にはあふれるほど人がいたのだが、ヒカリエ方面にくるとこのありさまだ。
渋谷駅も、令和改元のイベントをみすみす座視しているわけではなく、記念写真コーナーなどをわざわざ作っている。ただ、これだけ人がきているのに誰も使ってないというのがもったいない。
吐きそうなぐらい楽しみだった改元は終わった。
今回、新元号を発表するタイミングをいつにするかで、一部の国会議員から改元と同時にすべきだという意見もあったらしい。
たしかに、一連の改元セレモニーをみていると、いちばんもりあがったのは、新元号が発表された4月1日だったようなきもする。
はやく次の元号を知りたい。
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