あれもハンザキ、これもハンザキ
しばらく歩いていくと、足湯があった。ありがたい。朝から運転しっぱなし、歩きっぱなしで疲れていたから、休ませてもらおうと近づいて、「あ!」と驚いた。
しかし、本当にいたるところにハンザキが溢れているな。
あちこちにハンザキが隠れていて、「あ、ここにも!」みたいに見つけるのが楽しい。
あれもハンザキ♪これもハンザキ♪
たぶんハンザキ♪きっとハンザキ♪
と替え歌の一つも歌い出しかねないくらい気分が上がっていた。
でも正直言うと、少し怖くなってきてもいた。
ハンザキ祭りに地域おこし的というか、観光客を意識した面があることは百も承知である。でも湯原温泉を一回りして、この熱の入れっぷりはちょっと地域おこしのレベルを超えていると思った。各人が自分の得意分野だったり職業に絡めてハンザキで自己表現しようとする熱意。わずかな余白にハンザキを持ち込もうとするその偏執的な情熱に尋常ではないものを感じた。「何がそうまでさせるのか」と困惑せずにいられないのである。
ハンザキの人間の精神に対する侵襲性が高い。高すぎる。
カレル・チャペックの小説「山椒魚戦争」は海で見つかった新種の山椒魚が人間の世界を少しずつ侵略していく話だが、ここの様子はまるで人間の脳内で展開される「山椒魚戦争」だ。
大ハンザキの呪いは、ホラ話ではなかったのだ!
かくいう私がわざわざオオサンショウウオを連れて来て、この記事を書いているのも、ハンザキ・ミームの拡散に手を貸していることに他ならないのではないか......。
宿にチェックインして一休みしようとしたら、部屋のお菓子がハンザキサブレだったので笑ってしまった。
しつこく追ってくるお化けから逃れてタクシーに乗ったら、運転手が「そのお化けって、こんなのですか?」と言って振り向いてくる、あれである。
湯原温泉にいる限り、ハンザキからは逃れられないのだ。

