でもぜんぶ偶然
名前が同じなのはまったくの偶然だ。でも「松屋」だったから、検索にヒットしてしまった。そして、はじめてみるものに何度も触れた。出会えてよかった。でも、偶然はどこまでも偶然だ。
食べたものの全部が全部おいしかったので喜んで終わります。
「松屋」はわたしたちの生活に欠かせない。扉を開けばいつでも、牛丼や味噌汁付のカレーが出迎えてくれる。すばらしいお店だ。
だけど「松屋」と呼ばれるお店は、その「松屋」だけではない。
銀座の老舗デパートも「松屋」だ。それ以外にも「松屋」と名乗るお店は沢山ある。きっと、それぞれの松屋が「世界にひとつだけの松屋」なのだろう。どんな松屋があるのか巡ってみた。
「松屋」が好きだ。今年からは、毎冬恒例の限定メニュー「豆腐キムチチゲ膳」が鍋スタイルへと変わり、鍋汁の最後の一滴まであつあつで食べられるようになった。躍進が止まらない。
ところで、筆者はネッシーと名乗っているが、戸籍上は全国で3番目に多い名字・高橋だ。だからなんだという話だが、同姓同名が多い。自分の名前をググると、見ず知らずの人がわらわら登場する。「鰻」とか「雲母」とか、珍しい名前の人がちょっとうらやましい。
もしかして「松屋」は同士なのではないだろうか、と気がついたのは、秋深まりゆく11月。松屋のなかにはきっと「検索ヒットしにくい」「SEO対策を考えないと、サイトに来てもらえないなぁ」などの悩みを抱えている「松屋」があるのではないか。そう感じたのだ。
グーグルの窓に「松屋」と入力してエンターキーを押してみた。すると、そこには想像以上に広大な松屋ワールドが広がっていた。
まだ見ぬ、計42の「牛丼じゃない松屋」が発掘されたのだ。
全制覇するのはむずかしそうなので、本記事では、その一部を紹介したい。
次ページへのクリックを何度しただろうか。門前仲町の商店街の一角に日用品を売る「松屋」を見つけた。わたしの知っている「松屋」とは何もかもが違う。さっそく出かけてみよう。
インターネットの情報によると、このお店にはネズミ取り機があるらしい。人知れず悩んでいたのだが、築50年くらいの木造物件に住んでいるわたしは、今まさにネズミ被害に震えているところだ。詳細が聞きたい。
——ネズミ取り機、売っているのでしょうか。
「ネズミ取り機はね、先日在庫をぜんぶ買っていった人がいて。売れちゃったんですよね」
——おお。実は家にネズミがいるかもしれなくて……。どうしたらよいでしょう。
「粘着力の強いテープを使って、捕まえるのがいいと思いますよ。ダンボールで囲いをして、餌を置いておいて……」
店主は、かなり細かく説明してくれた。どんな罠を仕掛けるのが有効か。粘着力の強いテープはどう使うのが適切か。(詳細を露骨に書くと震えるので控えます)
「粘着力の強いテープ、買っておこうか」という購買意欲がぐんぐん芽生えるくらい、こと細かに説明してくれた。
——ところで、そのテープ、おいくらなのでしょうか。
「薬局に売っているよ」
えっ。お店に置いていないものの説明を、こんなにも丁寧にしてくれていたのか!
それだけじゃなかった。「福引に使うくじのようなものは、ありますか?」と訪ねてきたお客さんにも「うちにはないけど、蔵前に売っていると思うよ」とサクッと伝えていた。優しい。だけど商売は大丈夫なのか。
店を構えたのは大正13年。牛丼屋の創業よりもはるか昔の話である。今の店主で3代目になるそうだ。
「『商売は3代目がつぶす』ってよく言われている、3代目なんだよねぇ。のほほんとしているから駄目らしいんだよねぇ」
ああ、自分で言っちゃっている。
「まあせっかくだから、ここに座って焼き鳥食べていったらいいよ」
焼き鳥屋を営むのは店主の妹さん。「金、稼ぐぞ!」という思いはあまり強くなかったようだが「やきとり屋をオープンしてから、いつのまにか16年になるんですよねぇ」とにこにこ。なんだこの穏やかな、町内会のお祭りのテントのなかのような温かさは。
お菓子界隈も、いくつもの「松屋」を輩出していた。
どこの松屋も歴史が深い。奈良にある「松屋本店」は創業天保13年という。いつだろう……、と調べたところ1842年。江戸幕府は12代将軍のころ、アヘン戦争が終結したあたりである。偉そうに書いてみたけど、実感はさっぱりない。それくらい遠い昔だ。
そのお店には、桜の塩漬けが売っていた。お湯を注いで飲んだりするらしい。
肝心の味だが、白湯がおしゃれになった感じである。でも、どこまでも白湯だ。
「白湯、白湯、白湯……」白湯以外の感想が浮かばない。風情のあるビジュアルに触れてもなお、白湯のアイデンティティは揺るがないことを知った。
さらに「鶏卵素麺」なるものをつくっている松屋も、福岡に見つけた。
こちらの起源は延宝元年(1673年)ごろまで遡るようだ。昔すぎる。そのころの人類にとって、牛丼ははるか彼方なのではないだろうか。まさか、自分の子孫らが、カウンターに座り、薄い牛肉を煮た料理をかっこむ日が来るなど、彼らは知るよしもなかったのではないだろうか。
と、時代の話に夢中になってしまったが、そもそも「鶏卵素麺」ってなんだろう。
味は、率直にいえば甘い卵だ。
もしくは「焼く前の、生の状態のマドレーヌの味」が近いように思うが、通じるだろうか。昔、友だちの家でお菓子作りをしている途中、出来上がりが待ちきれず、生のままのマドレーヌを舐めた。その味と合致するのだ。同士の人がいたら、その時の味を思い出してほしい。
ちなみにこのお菓子、「素麺と間違えて茹でないように」という注意書きがあった。気遣いをありがとう。でも、たぶん大丈夫だ。
さらに奇妙な飴を売っている「松屋」も見つけた。半生の塩あんこ飴、甘酒飴、めさまし。味の想像ができそうでできない。
精肉屋の松屋にも行ってみた。
「精肉屋にはおいしいお惣菜が売っている」
知らなくはなかった。でもすっかり忘れていた。我らには、美味しい唐揚げが食べたいと思った時、お肉屋さんに行く自由があったのだ。
次で最後だ。インターネットで調査している段階からすでに、激しく胃袋に訴えてきた店もあった。韓国料理の「松屋」だ。欲望に抗えないので向かった。
このお店、ジャガイモと牛肉の鍋「カムジャタン」の元祖ともいわれている。だけど今回食べてみたいのは、タコ鍋だ。タコがまるっと入っていて、火にかけている途中で店員さんがザクザクと切り刻んでくれる。
まじで具のほとんどがタコである。あとは、野菜、小柄なカニ、韓国の細い餅で構成されていて、肉やほかの魚類は入っていない。
しかも、とりたててこんもりしているわけでもないのに、なぜかご馳走に見える。タコ、別に好きじゃないのに食べたいのだ。おそらくだが、この鍋にはタコの神様が宿っている。
余談だが、わたしとタコとの思い出は、2016年10月、韓国で生のタコを食べたところ、舌に吸盤がひっついてきて、生まれてはじめて「食べ物に襲われる恐怖」を覚えたところで止まっていた。更新するチャンスである。
鍋のスープはすんごく辛い。だけど甘さもあり、「わたし、海鮮の出汁です!」と主張してくる旨味成分的なやつが、胃に深くしみわたる。辛いだけじゃない「旨辛味」ってつまりこういうことだなぁと感じ入ってしまう。思いを止められずに、スープをすすり続けた。
なにこれ、最高かよ。
おじやを頼んだところ、ものすごく少量のスープを使って、チャーハンとおじやの合いの子のような食べ物をつくってもらえた。
他のメニューに目をくれる余裕もなくなるくらいお腹いっぱいになった。居酒屋で鍋と酒しか頼まなかったの、はじめてかもしれない。
帰り道には「おいしかったね」「あの鍋、おいしかったね」「いやー、まじでうまかったね」と繰り返し話すばかりで、すっかり語彙を失っていた。
名前が同じなのはまったくの偶然だ。でも「松屋」だったから、検索にヒットしてしまった。そして、はじめてみるものに何度も触れた。出会えてよかった。でも、偶然はどこまでも偶然だ。
食べたものの全部が全部おいしかったので喜んで終わります。
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