業務スーパー聖地巡礼
私達が業務スーパーに惹かれるのはその合理性である。そんな業務スーパーのものを転用して食べ放題にしているのだとすればそれはまた一つの合理でもある。ここはやはり陸続きなのではないか。
業務スーパーは無駄口を叩かない。なのでここが業務スーパーであるという確証は一切ない。
信じるしかない。ここが業務スーパーであると信じるしかないのだ。業務スーパーだと信じて伊勢崎まで行き、宇都宮まで行こう。これは私達の信仰が試されているのだから。
あそこなら何を買ってもでかくて安い。物価が上がる昨今、業務スーパーの存在感が増していく。筆者はもう業スーのファンを越えて信者だと言ってもいい。
信仰の一つとしてHPをチェックしていると業務スーパーと運営元が同じ食べ放題のレストランがあると知った。HPにはどこにも業スーの文字はないがきっとどこかに面影はあるはずだ。一体どれくらい業スーなのか。信仰を試す日がやってきた。
業務スーパーは合理性を追求したスーパーである。輸入ものが多く、大量に入っていて、デザインを廃して、バナナチップスの袋には開ける切り込みもなく、ダンボールそのままで陳列している。その思想に惹かれるものがある。
そんな業務スーパーと運営元を同じくするビュッフェ形式のレストランは神戸クック・ワールドビュッフェという。
だがこれがそうたくさんはない。関東だと伊勢崎と宇都宮である。出店のコストを考えると地方都市からというのは業スーの思想の一端だろうか。それでは神戸物産のお膝元関西だとたくさんあるかというとそうでもない。兵庫はハーバーランド、大阪だと八尾市のリノアスに入っている。
実家のすぐ近くだ。業務スーパーはこういう奇跡を時々起こしてくれるのだ。
リノアスとは元々西武百貨店であり、幼少期に屋上で三人で回す五人戦隊のショーを見たり中学の頃初めて洋楽のCDを買った場所でもある。
実家を離れてからは百貨店は終焉を迎え、家電量販店やユニクロなどが入ったショッピングモールとなった。行く必要のない店ばかりだったが、ここに来て最強のコマを。こうして私は故郷へ帰ってきた。
私が想像していた業務スーパーの食べ放題とはこのようなものである。
ダンボールが積まれて一番上がカットされている。その空いたダンボールに麻婆豆腐の素がみちみちにあふれていてお玉が置いてある。隣のダンボールにはカレーがみちみちであり、その隣にはオートミールがある。
店員は緑色のエプロンをしていて、時折カーゴに押しのけられる。入り口近くにはバナナがある。納豆ともやしばかり食わされる。
だがここ神戸クック・ワールドビュッフェにはそれらの要素がない。ここにはデザインがある。装飾がある。キャッチコピーまである。そしてダンボールがない!
もしかしたら業務スーパーらしさが全くない可能性もある。HPに記載が一切ないように、全く関係もなかった、という結末を迎えるのだろうか。
食べ放題とソフトドリンク飲み放題の価格は土日なら大人1,738円。平日なら昼1,298円、夜1,408円、めくるめく端数。小学生やさらにその下のキッズというカテゴリーもあり、当日は家族連れで賑わっていた。
八尾市のショッピングモールが最も求めている客層であるし、ここにできてからもう長いそうなので、繁盛しているのだろう。店に子どもが多いから気兼ねなく連れて来られそうだ。
やはりここはショッピングモールにある使いやすくて素敵なビュッフェレストランであり理想的な店舗だ。本当にここは業務スーパーと関係があるのだろうか?
厨房にはシェフがいて、温かい料理が何種類もあって寿司が置かれている。うちの近くの業務スーパーではミニ助六くらいしか見たことがないのに。クレープや麺類を作れるコーナーがあったり、デザートコーナーにはこちらも見たことないジェラートやソルベが何種類もある。食べ放題の必要十分以上のものがここにある。
ソーセージやシュウマイなどメインディッシュコーナーにはたくさんの料理が並んでいて、シェフが出来上がったものを「お待たせしました」と店頭に出す。デミグラスハンバーグである。業務スーパーにデミグラスハンバーグか……これはないことはないな。
「ワールドビュッフェ」という名前の通り、世界の料理がコンセプトになっていて和洋中、どれもまんべんなくあり、フォーなどの麺類もある。
だけど考えてみれば輸入食品を大量に安く売る店、業務スーパーこそ世界の食材大集合の店なのである。これはやはり……
フォーのスープは鶏ガラだし。といえば、業務スーパーの名作と言ってもいい金の鶏だしを思い出してしまう。私が店長ならあの顆粒を使うだろう。
これが本物の鶏ガラを使っていたとしても見破る自信はない。味は十分においしい。それであるなら、信者としては金の鶏だしを想像してもよいのではないだろうか。業スーをいたるところに投影していくのだ。それが信者の楽しみではないか。
牛すじコロッケがあった。これはあのミートコロッケや野菜コロッケからワンランク格の上がった業務スーパー牛すじコロッケなんじゃないか。
コロッケはこれしかなかったが、たった1種類のコロッケに牛すじを入れようという発想になるだろうか。これぞ業務スーパーじゃないか。
しかし一口たべてみると……あの味ではない。精肉店で売られているコロッケの味がする。家庭というより本格的な味だ。ということは油がちがうのではないか。ラードや動物性の油脂が入ってるのではないか。
これがあの業スーの牛すじコロッケであったとするなら、いつも知る存在が背伸びをしたところと似ている。たとえば夏祭りで出会う同級生の浴衣姿や半纏姿といったもののような。
いんげんの入った中華ミックスとかあったよなとかあれ?シーザードレッシングあったなあ、このマカロニサラダは…もしかしてお前はもしかしてお前は、と邂逅を楽しんでいる。この感覚、同窓会に似ているのではないか。学生だった面々がスーツ姿でいるような。業スーの食べ放題に行くというのはちょっとした同窓会に出かけるような感覚である。
信者としての業務スーパー的な楽しみの一つとして「こんなものもあるのか、業務スーパー」というのがある。業務スーパーが取り扱っているだけでお値打ち感は確定しているので、あとは種類を楽しむだけでいいのだ。
そこは100円ショップにも似たような部分であるが、業務スーパーはテンペ(インドネシアの大豆発酵食品)だとか超トリッキーなところを突いてくる。ポーランドのミルクファッジやオランダのストロープワッフルを知ったのも業スー信仰によるものだ。
でかい業務スーパーに行くと品揃えは多くなるが、それでも限界がある。信者としての私も一つの頭打ちを迎えていたのかもしれない。
だがこのワールドビュッフェをむりやり業務スーパー視し、「こんな業務スーパーもあるのか」と盲信してみてはどうだろうか。
たとえばソフトクリーム。えっ、こんなソフトクリームも業務スーパーにあるんですか!? と。業務スーパーがやるならこんな味かも……と新たな業スーの味が見えてくる。やはりここは信者にとっての楽園の地である。
コーヒーマシンから挽きたてであろうコーヒーを飲む。おいしい。これはふだん飲んでいるラグジュアリッチコーヒー豆なんだろうか。ラグジュアリーさやリッチさは感じるが、はたして本当にその豆なのかまではわからない。ただ馴染みのある味はある。
ここがもし業務スーパーの食べ放題であるのならば、その楽しみの一つとして「普段の味をお店で食べる」という一種の逆転現象を味わえるのではないだろうか。
もしおふくろの味がお店で本当に出てきたらどうだろう。大北淳子が作った具を詰め込みすぎた春巻きや人参まで入れてしまったがために味がぼやけたハンバーグが並ぶ、そんな食べ放題である。
実際にそんなことは絶対にできない。だがもし可能性があるとしたら、普段飲んでるラグジュアリッチのコーヒー豆を想像してコーヒーを飲むことくらいではないか。
私達が業務スーパーに惹かれるのはその合理性である。そんな業務スーパーのものを転用して食べ放題にしているのだとすればそれはまた一つの合理でもある。ここはやはり陸続きなのではないか。
業務スーパーは無駄口を叩かない。なのでここが業務スーパーであるという確証は一切ない。
信じるしかない。ここが業務スーパーであると信じるしかないのだ。業務スーパーだと信じて伊勢崎まで行き、宇都宮まで行こう。これは私達の信仰が試されているのだから。
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