特集 2025年8月27日

ゴールテープを切りたい

喉元過ぎれば熱さ忘れる。体育嫌いをアイデンティティとしていたわたしだが、年々その恨みつらみは薄れている。定期的に治りかけのかさぶたをむしり取ることでなんとか怒りの鮮度を保っているが、それが人生において必要な行為なのかはまだわからない。とにかく、体育恨み道〜成人編〜は意外にも茨の道なのだ。

そして、そのかさぶたむしり活動の最中に思い出したのが、『ゴールテープ』という存在だった。

社会人。体育が嫌い。大人になった今でも大抵の物事を「体育よりマシか、否か」で判断している。(ライターWiki

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無縁の存在

ゴールテープを切ったことがない。走るのが遅いからである。
徒競走で1位をとるなど考えにも至らないほどの運動音痴にとって、ゴールテープとは50m先にぼんやりと確認したことがあるだけの”像”だ。
『どうやら1位を獲得したものだけがそれに触れられるらしい』と、まことしやかに囁かれているが、その実態は謎に包まれている。

一生無縁だと思っていたゴールテープ。正直、気になる存在ではある。

学生時代、徒競走で1位を獲る経験はできなかった。しかし、ゴールテープを切ることは今からでもできる。
わたしはAmazonでゴールテープを購入した。

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意外と薄い

ゴールテープが届いた。


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素材は布。

布か紙の二択で予想していたが、そうか、布…。たしかに、紙製の使い捨てだったらめっちゃゴミ出て大変か…。あと、布ということは駆け抜けたくらいでは切れなさそうだが、「ゴールテープを切る」って物理的に切ってるんじゃないのか。

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透けるほど薄く、そよ風でなびくほど軽い。

自分が思い描いていたゴールテープは2枚仕立てだったので驚いた。実際は、布端の処理もしていない、ペライチの布だった(ものによるかも)。

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いざ走ろう

ゴールテープの質感を確認したところで、いざ走ろう。

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友人の加藤(※)にテープを持ってもらう。(※筆者の友達。最近はスナックに勤めている)
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走る筆者

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怖い!!!!!!

ゴールテープを前に怖気付いて、立ち止まってしまった。この動きは完全に、大縄に入るタイミングをミスった時と同じだった。

気を取り直してもう一回。

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今度は走り抜けた

人生で初めてゴールテープを切った感想は、『罠みたいだな』。

腹に紐が当たる感覚は捕獲に近い。そんな感想、徒競走で一位だった人から聞いたことない。罠(ゴール)に向かって全力で突っ走るの、結構怖いぞ。

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ゴールテープを切った後はモジモジした(不慣れ)
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Amazonにありがとう

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何度か練習してみる

練習している内に、徐々に恐怖心は薄れていった。テープが触れた感覚さえも追い越す勢いで走る、これはまさに『ゴールテープを“切る”』と表現するのが正しい。

学年1の鈍足だったわたしがこんなことを一丁前に言えるなんて、すごい時代である。Amazonありがとう。

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マラソン風に手をあげて突っ切ると爽快感が増すことも知った。『振った腕がテープに絡むかもしれない』という心配が消えるのもいい。そんなことをわたしが案ずる必要性は皆無なのだが、想像してしまうのだから仕方ない。

ていうか、スタートダッシュの練習はよく聞くけど、ゴールテープを切る練習って聞いたことないな。

徒競走1位の人も、初めてゴールテープを切った日があって、きっとそれは本番での出来事だったはずだ。彼らは練習なしで、ためらわずにテープに向かって突っ走った。これはすごいことだ。やはり1位をもぎ取る人は度胸が違う。

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手は放すべし

せっかくなので、ゴールテープを持つ係もやってみる。

運動音痴とは、ゴールテープを切った経験がないのは言わずもがな、ゴールテープを持つ係に抜擢されることもないのである。(もちろん、大縄を回したこともない)

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走者がゴールしたと同時に、握ったテープが手からシュルルルルと引き抜かれる。その瞬間、容赦のない摩擦が起きる。めちゃ熱い。ヤバい。

摩擦で熱くなった手を振っていると、加藤から『テープを手から離すんだよ。走ってる方も引っかかって危ないでしょ』という正論を言われた。たしかに……ゴールテープって、手から離さないといけないのか…。

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体育の記憶

ゴールテープを持つ係の加藤も、徐々に技術が上がってきた。
テープが腹に当たる時の感覚が、どんどん自然に、そしてその存在自体も当たり前になっていく。

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ゴールテープが待っている。わたしのために…。
そう図々しい錯覚を起こした時、初めてわたしにとってのゴールテープが、“像”から“実体”に変わった。

この瞬間思い出したのは、ある運動会の日の記憶だった。

学生時代のわたしの徒競走の結果は万年4位、つまりビリだったわけだが、一度だけ3位になったことがある。同じ走順だった子の内の1人が転んだからだ。
練習の時は毎回1位を獲得していたほどの実力者であった彼女は、4位のフラッグの前でうずくまって号泣していた。わたしはその姿を見て『ビリって泣くほど嫌なことなんだ』と思った。

いや、普通に悔しくて泣いているのはわかるのだが、ビリが当然の星に生まれたわたしにとって、それは完全に麻痺している感覚だった。
わたしがゴールテープを”像”と認識していたのと同じように、彼女にとってもまた、4位のフラッグの前に並ぶ人間たちは”像”だったのだろう。そして不運にも当事者となったことが引き金となり、それが“実体”に変わった時、平常心を失うほどの屈辱を感じたのだと思う。

よっぽど慰めの言葉をかけようとしたが、わたしのような学年トップの運動音痴が運動神経の良い子に同情するのは失礼な気がしたので、黙って時間が過ぎるのを待った。


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そして、あれから20年ほどの月日が経った今、わたしはゴールテープを切り、そしてその存在の一片を掴んだ。こんな未来を誰が予想しただろう。あの時のあの子がこの姿を見たら、何を思うだろう。何も思わないか…。とにかく、諦めなければ夢は叶う。Dream come true…

と、ここまで思いふけって、そういえばわたしは体育を憎んでいたことを思い出した。危ない。ミイラ取りがミイラになるところだった。能動的に体育の記憶を蒸し返すたびに、なぜかこの敵対関係が雪解けしそうになる。

やはり、体育恨み道〜成人編〜はかくも険しい茨道である。

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編集部からのみどころ
僕も同じく体育嫌いなのですが、大人の体育嫌いはメンテナンスが必要というのは完全に同意です。そして人生において必要な行為なのか不明というのも同意。そしてそのことがこの記事全体に「良い話なんだかどうなんだかよくわからない」もやっとしたエッセイ味を足してくれていました。奇妙な味のスパイスを舐めた気分になる良作です。(石川)

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