法律上は京都奈良鎌倉と並ぶ古都である逗子。
古都としてめぐってみても、鎌倉に負けない魅力があると思う。
今回の小旅行で、すっかり逗子派になってしまいました。
あとは大仏建立ですね。
神奈川県逗子市。
鎌倉と葉山と横浜に囲まれて、セレブがハーバーでヨットしてるイメージがあるけれど、実は京都・奈良などと並ぶ古都であることをご存じだろうか。
鎌倉市とともに、古都保存法における10市町村のうちの一つなのである。
ご存じだろうかといいながら私自身最近知ったのだけど、
古都という目線で逗子をめぐるとこれが楽しい小旅行となった。
東京のベッドタウンである神奈川県北部出身者にとって、湘南の海沿いの街というのは妙にキラキラして見えるものだ。
だからこそ古都とのギャップを感じるのだけど、鎌倉ほどの全国的知名度はないだろうから、先にどんなイメージの街か写真で説明したい。
さまざまな顔を持つ魅力的な街なのである。
そして、(県北部出身者からみると)これだけキラキラした陽気な場所でありながら、古都でもある逗子。
そう考えると、なかなか面白い街に思えてこないだろうか。
しかもその古都は、カリフォルニアとは対照的な仄暗い顔をもっている。
それを是非紹介したいのだ。
山々という天然の城壁に囲まれた鎌倉。
その東隣に位置する逗子は、言ってみれば城への入り口にあたる。
それゆえ鎌倉以上に崖だらけ。急峻な地形は当たり前なのだ。
そんな周囲の山々を通って鎌倉へ至る古道が、いくつか現存する。
人馬が通れるように山を人工的に開削した道だ。
それらを「鎌倉七口(かまくらななくち)」と呼び、そのうちのひとつ「名越切通(なごえきりどおし)」が逗子市側に含まれている。
ここが見応えたっぷりなのだ。
名越切通へ行くには、逗子から鎌倉方面へ抜ける小坪隧道というトンネルを通る。
周りからはけっこう大きくガサガサと生き物の動く音が聞こえてくる。なんだろか…
ここまで来るともう切通が見える。
険しい地形に、そそり立つ岩肌。
観光としてはわりと地味扱いされがちな切通だが、見ての通り全然地味じゃない。
ただ、これが鎌倉時代のままかというと、そうではないらしい。
この狭さは防御施設としての切通の象徴として語られてきたが、実は近年の発掘調査の結果、後世の地震などにより崩落した跡だということがわかった。
かつての切通は270cmかそれ以上の道幅があったのではないかと推測されている。
この巨石もかつては敵が通りにくくするための防御施設だと語られてきたが、後世になって落下した可能性が高いそうだ。
切通は鎌倉時代以降、明治に至るまで主要な道路として使われていた。
だからこそ、通りやすいように修復されながら使われていたというのが実態らしい(名越に限らず、現在みられる切通はほとんどが後世まで大切に修復・改変された姿である)。
そこらへんが世界遺産になかなかなれない理由かもしれないが、実際に行くとそんなことがどうでもよくなるくらい迫力たっぷりなので素直におすすめである。
名越第二切通の脇道をのぼっていくと、山上の明るい平地にでる。
ここがもうひとつの重要史跡・まんだら堂やぐら群である。
「やぐら」とは鎌倉近辺に多数存在する、中世の横穴式の納骨窟もしくは供養堂のことだ。都市部にある今のお墓と違い、都の周縁に作られた。
やぐらがこれだけいっぺんに見れる場所はここしかなく、(逗子にあるのに)鎌倉の文化遺産としてよく登場するのがここである。
ちなみにこのやぐらの起源として、中国南宋から渡来し鎌倉・建長寺を開いた蘭渓道隆(らんけいどうりゅう)がもたらした地下式抗という墓制が、湧水が多く地下式抗を作りづらい鎌倉の自然環境に合わせて変化したものではないか…という説が近年唱えられているようだ。
古都保存法による歴史的風土保存区域は鎌倉市内を中心に989haあるが、そのうち逗子市の範囲はこのあたりの6.8haだけ。とはいえそこに二つの重要な史跡が含まれているんだから、大事なのは広さじゃないのだ!
1966年に急速な開発の危機にさらされた鎌倉市が中心となって作られたのが古都保存法(正式名称:古都における歴史的風土の保存に関する特別措置法)である。
古都・鎌倉全域を面として保存するために、朝比奈切通のある横浜市と名越切通のある逗子市を追加指定するように県と各市に働きかけたが、逗子市のみが追加指定となった。さすが逗子。このあたりの事情は、鎌倉市が発行した古都保存法施行50周年記念冊子(pdf版、P16-19)が詳しい。
(なお、世界遺産候補としては横浜市もちゃっかり入っている)
古都の範囲以外にも、逗子は楽しい歴史スポットが沢山あるのでもうすこしお付き合いをお願いしたい。
そのひとつが名越切通の近くにある猿畠山法性寺(えんばくさんほっしょうじ)である。
法性寺は日蓮宗の寺院で、1321年開山。日蓮の直弟子の1人、日朗の墓があるというお寺だ。日蓮って有名な僧の中でもアグレッシブな人生を送った人なので、余計に冒険気分が盛り上がる。
どこへ連れていかれるんだろう…という山道をすすむ往路は長く感じるが、実際は名越切通から15分ほど。こちらにも寄ると高い満足感が得られると思う。
逗子のお寺は、ちゃんと鎌倉の有名人の名前も出てくるのだ。海雲山岩殿寺(がんでんじ)は後白河法皇が坂東三十三観音(浅草寺なども入る由緒正しい観音霊場)の2番目に定めたという古刹。
あの頼朝や北条政子も参拝したことが歴史書『吾妻鏡』に出てくる。
この道を頼朝達も通ったのかもしれない。
鎌倉に比べて観光客がすくなく、静かな雰囲気は古刹感が3割増しである。
逗子のお寺といえばここは外せない…というのが医王山神武寺(じんむじ)。頼朝も関係しているため紹介させてほしい。
逗子でも別格のお寺と言われるのが神武寺。東逗子のやっぱり山の上にあるが、このあたりには頼朝の父、源義朝の屋敷「沼浜亭」があったと言われている。
ここは鎌倉の名刹にも負けない雰囲気があると思う。
名越切通から行くにはちょっと遠いけど、一日かけるならぜったいに寄るべき場所だ。
最後は逗子らしく海へ。逗子マリーナから鎌倉方面の海を見ると、石が盛り上がった場所がみえる。
これが鎌倉幕府のアジアへの玄関口、和賀江島の遺構である。1232年に伊豆や小田原の安山岩を使ってつくられた。
今では崩れてしまっているが、日本最古の現存する築港遺構なのだそうだ。今でも当時の中国製陶磁器片が打ち上げられることがあるという。
ここは海の上にあるが、鎌倉市と逗子市のちょうど中間にある。逗子、重要な遺跡をけっこうもらっているんだなと思った。
法律上は京都奈良鎌倉と並ぶ古都である逗子。
古都としてめぐってみても、鎌倉に負けない魅力があると思う。
今回の小旅行で、すっかり逗子派になってしまいました。
あとは大仏建立ですね。
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