特集 2021年12月6日

鎌倉が好きならば、古都・逗子へも行こう

神奈川県逗子市。

鎌倉と葉山と横浜に囲まれて、セレブがハーバーでヨットしてるイメージがあるけれど、実は京都・奈良などと並ぶ古都であることをご存じだろうか。

鎌倉市とともに、古都保存法における10市町村のうちの一つなのである。

ご存じだろうかといいながら私自身最近知ったのだけど、

古都という目線で逗子をめぐるとこれが楽しい小旅行となった。

平成元年生まれ。令和から原始まで、古いものと新しいものが好き。

前の記事:オレンジジュースと強炭酸水を交互に飲むとおいしい

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カリフォルニア感あふれる陽キャな街、逗子

東京のベッドタウンである神奈川県北部出身者にとって、湘南の海沿いの街というのは妙にキラキラして見えるものだ。

だからこそ古都とのギャップを感じるのだけど、鎌倉ほどの全国的知名度はないだろうから、先にどんなイメージの街か写真で説明したい。

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海沿いには1970年代に作られたヨットハーバーのあるリゾートマンション群、逗子マリーナがあったり、
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冬でもヤシがフサフサだったり、(背の高いワシントン椰子は零下でもギリ耐えることができるのだそう)
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その横は突如崖になっていたり、
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稲村ケ崎越しに富士山がめちゃ大きく見えたり、
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日本のビバリーヒルズと呼ばれる豪邸群・披露山庭園住宅があったり、
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(ちなみに市の平均年収は全国の市町村のうち26位。県内では鎌倉市、葉山町に続いて3位である)
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その上にある披露山公園には太平洋戦争の砲台跡にサルがいたり、
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鎌倉の鶴岡八幡宮に対抗して亀岡八幡宮があったり、
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バブリーな場所のすぐ脇にはのどかな漁港の雰囲気もあったり、
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駅前は洒落たお店と地方都市の風情が混在していたり、
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もちろん鳩サブレーも売っていたりする

さまざまな顔を持つ魅力的な街なのである。

そして、(県北部出身者からみると)これだけキラキラした陽気な場所でありながら、古都でもある逗子。

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古都保存法で指定された10市町村。京都、奈良、明日香、斑鳩……錚々たる顔ぶれの中に逗子が! 「古都を守り、継承する 〜古都保存法の概要〜」(国土交通省作成)より部分引用

そう考えると、なかなか面白い街に思えてこないだろうか。

しかもその古都は、カリフォルニアとは対照的な仄暗い顔をもっている。

それを是非紹介したいのだ。

 

崖と高低差の町、逗子は武家の都・鎌倉の城外である

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逗子駅から逗子マリーナへ最短で行くためには、こんな要害を通らなければならない

山々という天然の城壁に囲まれた鎌倉。

その東隣に位置する逗子は、言ってみれば城への入り口にあたる。

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この記事はそんな逗子の地形を伝えたいので縦写真を多用させてもらいます

それゆえ鎌倉以上に崖だらけ。急峻な地形は当たり前なのだ。

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だけどその脇にお洒落なパン屋があるのが逗子
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こちらは披露山公園への坂道
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どこへ行ってもこのワッフルたちと友達である

そんな周囲の山々を通って鎌倉へ至る古道が、いくつか現存する。

人馬が通れるように山を人工的に開削した道だ。

それらを「鎌倉七口(かまくらななくち)」と呼び、そのうちのひとつ「名越切通(なごえきりどおし)」が逗子市側に含まれている。

ここが見応えたっぷりなのだ。

 

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逗子が古都たるゆえん、名越切通は貫禄たっぷり

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わずか90cmの隙間しかない名越切通の第一切通

名越切通へ行くには、逗子から鎌倉方面へ抜ける小坪隧道というトンネルを通る。

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急峻な地形のため歩道が狭いわりに交通量が多く、ちょっとこわい
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この崖の上が名越切通
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名越切通へ向かうための階段がトンネル脇にある
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下に道路を挟んで、向こうの崖の上にも家々がある(高さ数十メートルはある)
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史跡へ向かう道としてはかなりワイルドな山道をしばらく登っていく

周りからはけっこう大きくガサガサと生き物の動く音が聞こえてくる。なんだろか…

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名越切通の看板を見つけてやっと安心する

ここまで来るともう切通が見える。

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逗子側から見た第一切通。先には第三切通まである

 険しい地形に、そそり立つ岩肌。

観光としてはわりと地味扱いされがちな切通だが、見ての通り全然地味じゃない。

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むしろ派手じゃないか!
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もっとも絵になる90cmの道幅。すごい!

ただ、これが鎌倉時代のままかというと、そうではないらしい。

この狭さは防御施設としての切通の象徴として語られてきたが、実は近年の発掘調査の結果、後世の地震などにより崩落した跡だということがわかった。

かつての切通は270cmかそれ以上の道幅があったのではないかと推測されている。

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すこし先にある第2切通。こちらの方が元の姿に近いそうだ
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こちらはその先にある第三切通
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2つの巨石が道の中ほどをふさいでいる

この巨石もかつては敵が通りにくくするための防御施設だと語られてきたが、後世になって落下した可能性が高いそうだ。

切通は鎌倉時代以降、明治に至るまで主要な道路として使われていた。

だからこそ、通りやすいように修復されながら使われていたというのが実態らしい(名越に限らず、現在みられる切通はほとんどが後世まで大切に修復・改変された姿である)。

そこらへんが世界遺産になかなかなれない理由かもしれないが、実際に行くとそんなことがどうでもよくなるくらい迫力たっぷりなので素直におすすめである。

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ちなみに物音は主はタイワンリスだった。ドタドタしてかわいいんだけど駆除対象の外来種。そこら中にいて5匹は姿を見た

 

葬送地としての古都、巨大なまんだら堂やぐら群

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春と秋に限定公開する中世の葬送施設・まんだら堂やぐら群

名越第二切通の脇道をのぼっていくと、山上の明るい平地にでる。

ここがもうひとつの重要史跡・まんだら堂やぐら群である。

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岩壁に人の高さほどの横穴が多数彫られており壮観だ。周辺もあわせて150窟、約750の石塔が存在する

「やぐら」とは鎌倉近辺に多数存在する、中世の横穴式の納骨窟もしくは供養堂のことだ。都市部にある今のお墓と違い、都の周縁に作られた。

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下から見上げるやぐら群

やぐらがこれだけいっぺんに見れる場所はここしかなく、(逗子にあるのに)鎌倉の文化遺産としてよく登場するのがここである。

ちなみにこのやぐらの起源として、中国南宋から渡来し鎌倉・建長寺を開いた蘭渓道隆(らんけいどうりゅう)がもたらした地下式抗という墓制が、湧水が多く地下式抗を作りづらい鎌倉の自然環境に合わせて変化したものではないか…という説が近年唱えられているようだ。

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鎌倉時代に日本で考案したと考えられている五輪塔が沢山入っている。供養塔なんだけどコロコロしてちょっとかわいい

古都保存法による歴史的風土保存区域は鎌倉市内を中心に989haあるが、そのうち逗子市の範囲はこのあたりの6.8haだけ。とはいえそこに二つの重要な史跡が含まれているんだから、大事なのは広さじゃないのだ!

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裏側にも石窟がつづいている
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発掘調査によると、人工的に作られたこの平地にかつては葬送のための木造施設や火葬場があったそうだ

1966年に急速な開発の危機にさらされた鎌倉市が中心となって作られたのが古都保存法(正式名称:古都における歴史的風土の保存に関する特別措置法)である。

古都・鎌倉全域を面として保存するために、朝比奈切通のある横浜市と名越切通のある逗子市を追加指定するように県と各市に働きかけたが、逗子市のみが追加指定となった。さすが逗子。このあたりの事情は、鎌倉市が発行した古都保存法施行50周年記念冊子(pdf版、P16-19)が詳しい。

(なお、世界遺産候補としては横浜市もちゃっかり入っている)

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崖の上に立つ逗子の古寺はアドベンチャー感が強い…!猿畑山法性寺

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山の頂上にそびえる法性寺の仏塔

古都の範囲以外にも、逗子は楽しい歴史スポットが沢山あるのでもうすこしお付き合いをお願いしたい。

そのひとつが名越切通の近くにある猿畠山法性寺(えんばくさんほっしょうじ)である。

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第三切通の脇道を上っていくと…
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だんだん地形が険しくなってくる
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落ちたらヤバい崖づたいに進むと…
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見晴らしのよい尾根にでる
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さらにすすむと「お猿畠の大切岸(おおきりぎし)」と呼ばれる800mにわたる中世から続く石切場にでる
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近くには鎌倉時代につくられたとされる石廟もあり、
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脇道を下っていくと、崖の上に建つ法性寺が木々の合間からみえる
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山道を下ると見応えのある崖と石窟が!
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猿畠山法性寺の奥の院にたどりつく
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2匹の黒猫がお堂の上にいて、秘境に立つ山寺の門番のようだった(実際は超眠そうだったけど)
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日蓮が焼き討ちにあった後、籠ったという伝説のある石窟

法性寺は日蓮宗の寺院で、1321年開山。日蓮の直弟子の1人、日朗の墓があるというお寺だ。日蓮って有名な僧の中でもアグレッシブな人生を送った人なので、余計に冒険気分が盛り上がる。

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さらに石の階段を、
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のぼっていくと…
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頂上に冒頭で紹介した石の五重塔がある
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見晴らしがよく、遠く海までみえる

どこへ連れていかれるんだろう…という山道をすすむ往路は長く感じるが、実際は名越切通から15分ほど。こちらにも寄ると高い満足感が得られると思う。

 

岩殿寺……源頼朝が厚く信仰した坂東三十三観音のひとつ

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721年、徳道上人と行基菩薩が開山したという岩殿寺山門

逗子のお寺は、ちゃんと鎌倉の有名人の名前も出てくるのだ。海雲山岩殿寺(がんでんじ)は後白河法皇が坂東三十三観音(浅草寺なども入る由緒正しい観音霊場)の2番目に定めたという古刹。

あの頼朝や北条政子も参拝したことが歴史書『吾妻鏡』に出てくる。

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逗子の寺はやっぱり登らされる
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遠くにうっすらと海まで望むことができる
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1727年に作られた観音堂。横からせり出す木もかっこいい
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岩殿の由来となった石窟式の奥の院
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裏手を登っていくと、かつては坂東三十三観音一番の鎌倉・杉本寺への古道があったそうだ

この道を頼朝達も通ったのかもしれない。

鎌倉に比べて観光客がすくなく、静かな雰囲気は古刹感が3割増しである。

 

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頼朝が神馬をおさめたという逗子随一の名刹、神武寺

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724年開山、頼朝が政子の安産を祈願して神馬を納めたという神武寺

逗子のお寺といえばここは外せない…というのが医王山神武寺(じんむじ)。頼朝も関係しているため紹介させてほしい。

逗子でも別格のお寺と言われるのが神武寺。東逗子のやっぱり山の上にあるが、このあたりには頼朝の父、源義朝の屋敷「沼浜亭」があったと言われている。

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麓には線路をはさんで義朝がたてたといわれる五霊神社もある
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ここの狛犬はゆるくてかわいい
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神武寺もやはり岩山の上に建てられててかっこいい
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鐘楼も非常に立派なつくり
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岩盤の上にたつ山門
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イノシシもそりゃ出るよなと思う
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仁王門へ登っていくと…
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門越しに見える、
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1598年に建てられた薬師堂がある

ここは鎌倉の名刹にも負けない雰囲気があると思う。

名越切通から行くにはちょっと遠いけど、一日かけるならぜったいに寄るべき場所だ。

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墓地の奥には鶴岡八幡宮の舞楽士・中原光という人の墓である、みろくやぐらがある
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没年である1290年に作られた弥勒菩薩像が今も残る
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逗子は鎌倉の葬送地としての一面もあるのだ
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腹が白いので二ホンリスなんだろうけど、逗子に二ホンリスっているのかな…。

 

貴重な鎌倉時代の港跡、和賀江島は鎌倉市と分け合っている

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すこしだけ顔を出す港跡

最後は逗子らしく海へ。逗子マリーナから鎌倉方面の海を見ると、石が盛り上がった場所がみえる。

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干潮なら近くまでいけるそうだ

これが鎌倉幕府のアジアへの玄関口、和賀江島の遺構である。1232年に伊豆や小田原の安山岩を使ってつくられた。

今では崩れてしまっているが、日本最古の現存する築港遺構なのだそうだ。今でも当時の中国製陶磁器片が打ち上げられることがあるという。

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石碑もたっている

ここは海の上にあるが、鎌倉市と逗子市のちょうど中間にある。逗子、重要な遺跡をけっこうもらっているんだなと思った。

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水がきれいで驚いた
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近くにはわりと無造作に鎌倉時代の井戸があったりする
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最後は富士山をみながらお別れしましょう

 

法律上は京都奈良鎌倉と並ぶ古都である逗子。

古都としてめぐってみても、鎌倉に負けない魅力があると思う。

今回の小旅行で、すっかり逗子派になってしまいました。

あとは大仏建立ですね。

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乗り回しても1/3しか電池が減らなかった電動シェアサイクルに感謝

 

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