その後はまったり
というわけで、どうにか嵐とのかけっことジャイアントショベルノーズシャークとの綱引きに競り勝った。
嵐が去った翌日、海はカフェオレのように濁り小魚すら消えていた。本当にギリッギリだったのだ。
……だが日程が二日も空いてしまった。せっかくなのでムダに広い部屋でサンドイッチとティムタム食べながらゴロゴロして過ごした。
数年前のこと。オーストラリア北東部へ虫を取材しに赴いた際、ついでに魚釣りでもしようかと訪れたビーチで地元のおっさんがとんでもない魚を釣り上げていた。
大きさは2メートルほどもある上、なにより形が異様でその存在感に度肝を抜かれた。その名は『ジャイアントショベルノーズシャーク』。
舌を噛みそうになる長ったらしい名前だが、シャークとつくから要はでっかいサメ……ではない。詳細はのちほど説明するが実にややこしい話で、分類上はシャークという名でありながらエイの一種なのである。
だが先ほども述べたとおり、その姿が非常に奇怪。そんな妙なネーミングも「ああ、まさに!」と納得してしまう容姿なのだ。
なんだこれ!超デカいし超カッコいいぞとおっさんに駆け寄り、砂浜へ引き上げるのを手伝う。
だがなにせ自分よりデカい魚である。二人がかりでも手こずる手こずる。尾を掴んだ僕は暴れられて右手首を痛めるわ、おっさんはリールを壊すわ。バタバタしながらも確保に成功!
手伝ったお礼に写真を撮らせてもらおうとした瞬間!「ヘイボーイ!お前の竿にも魚かかってるぜ!!」とおっさんが叫ぶ。遠くに立てかけた釣竿を見ると、折れんばかりに弧を描いているではないか。
オーストラリアの海、怒涛すぎる。
「アイムサーティー(嬉)!プリーズウェイト(必死)!」と叫んで竿に駆け寄るとこちらも大物の手ごたえ。しかし、手首を捻っているのでうまくやりとりができない。モタモタしていると「かわいそうだからそろそろ逃すぞー」とおっさんの声。悠然と泳ぎ去る巨大な魚影。あああああああ!間に合わんかった!!
だが!こっちの竿にも同じ魚が掛かってる可能性も…!と思いきや、こちらの獲物は「オグロオトメエイ」という大きなエイだった。
まあこれはこれで嬉しいのでよしとしようか。
おっさんと話をしてわかったことなのだが、この辺りの海域は広大な砂地で大型の軟骨魚類、特にオグロオトメエイやツカエイ、そしてショベルノーズシャークの類が高密度で生息しているのだという。
おっさんたち地元の男たちは夜な夜なスポーツフィッシング的にこうした大物を釣り上げては楽しんでいるそうだ。
日本では釣り人や漁師から敬遠されがちなエイだが、彼らからすれば大きくて力が強ければなんでもいいらしい。スポーツフィッシングというより筋トレフィッシングといったところか?
結局その晩、僕のもとにもおっさんのもとにもジャイアントショベルノーズが二度と姿を表すことはなかった。
もっとちゃんと観察したかったなあ…と後ろ髪引かれながら帰国便に乗り込む。よりによってオーストラリア滞在の最終夜だったのだ。これは帰るにしても気が気でない。こういう予期しなかった出会いというのは必ずモノにしなければならない。獲れなければ偶然の出会いで終わってしまうが、獲ってしまえば運命の出会いとして一生モノの輝かしい思い出になるものだ。
というわけで2年後。お金を貯めてまた同じビーチにやって来た。
すぐにでも再訪したかったのだが、オーストラリアはチケットだけじゃなく物価が高いんだ!特にこの辺りはちょっとしたリゾート地なので余計に割高。そんなわけで再挑戦に少しばかり時間がかかってしまった。
相手は夜行性なので勝負は日が落ちてから。ひとまず日本から持参したサビキ仕掛けで小さなニシン科の魚(現地では単に『サーディン』と呼ばれていた)を釣る。
ショベルノーズシャークを釣るエサである。これを大きな釣り針に4匹まとめて刺して海中へ投入。しばし待つ。待つ待つ待つ。
……あの晩がウソのように、魚の反応がない。
結局この夜はジャイアントショベルノーズシャークが姿をあらわすことは無く、淡々と夜が明けた。
でも大丈夫!!こんなこともあろうかと宿は四泊とってある!あと三晩もチャンスがあるのだ。これはイケるだろ!
しかし、宿でテレビを点けて愕然とした。
……嵐が来ておるのう。
しかもちょうど翌日の深夜に僕が滞在している街が暴風域に入る予報だ。
そうなってしまったら終わり。危険すぎて釣りは続行できない。嵐がすぎた翌日と翌々日も海底は荒れ、海水には大量の土砂と真水が流れ込んで濁り、魚はまともに釣れなくなるはずだ。
となると、残されたチャンスは三晩あらため翌日の日が落ちてから嵐が到来するまでのたった数時間ということになる。
あっ、無理なやつだこれ。
しかし天気ばっかりはどうしようもない。その数時間に賭けるよりほかはないのだ。
翌日、予定より早く日没直前に浜へ着いた。急いで小魚を釣り、仕掛けを投げ込む。予報より嵐の足が速いようで、すでに雨風が吹きはじめている。普段なら絶対に釣りなんかしない天気だ。雷がゴロゴロしはじめる前におとなしく宿でサンドイッチとティムタム食べながらゴロゴロするべき日和だ。ゴロゴロ日和だ。
だがこれ以上経つといよいよ続行不可能になる。待つことおよそ2時間。いよいよ雨脚が強くなってきた。「もう無理だ!また二年後!おつかれ!」と思ったその時、勢いよくリールから糸が引き出された!
「ギリギリ間に合った!!」
慌てて竿を掴むが、やたら泳ぎが速い。これは……サメの引きだ。
しかし時折ピタリと泳ぎを止め、海底にへばりつくような抵抗も見せる。これは……完全にエイの挙動だ。
ちょうどサメとエイの中間にあたる行動。これすなわちサメとエイ両者の身体的特徴を兼ね備えているジャイアントショベルノーズシャークに間違いなし!もうすぐ会えるなジャイアントショベルノーズシャーク!名前長い!ジャイショベでいいや!ここからはジャイショベって呼ぶわ!!待ってろジャイショベ!!
さあ本命だ!と意気込むもここでトラブル。リールがぶっ壊れた。強く引き込まれた際に糸を送り出す「ドラグ」という機構が働かない。ハハハ。よりによってこのタイミングでか。
だましだまし糸を巻き取り、魚が妙な動きを見せたらすぐにリールを逆転させてしのぐ。
海に引きずり込まれそうになったり、糸が切れそうになったり。ヒヤヒヤしながら格闘するうちにいよいよ暴風雨が到来。
さながら死闘の様相である。が、実態は外国人のおっさんが一人さびしく魚を釣っているだけである。
めちゃめちゃ苦労したんだから「嵐の中の孤独な格闘劇」と美化したくもなるが、それをやっちゃあエセ冒険作家だ。ここで自分に酔わない冷静さと客観性を持つのが30過ぎた大人の嗜みだと思うの。
砂浜と桟橋を右往左往。ヒーヒー言いながら、ずぶ濡れになることしばし。ようやく張りつく力も泳ぐ元気もなくしたショベルノーズシャークが水面に浮いた。
ロープを使い巨体を桟橋へ引き上げる。
勝負あり。二年越しの一匹!
さあ~、舐めるように観察するぞ~。
大きさについては言うまでもなし。
それよりそのシルエットだ。下半身はサメ。上半身はエイ。水中でああ動くわけだ。
実に不思議で奇怪で、かわいくてかっこいい魚である。
腹側から見るとまるでエイリアンのようで。また違った魅力を放つ。
特に顔の先端にある謎のクリアパーツがマジでシブい。
このナタデココ、もしくは薬研なんこつ的な半透明の部位には「ロレンチーニ器官」という生物が発する微弱な電気を捉える感覚器が詰まっている。これで砂の中に潜っているエサを探り当てるのだ。
実はジャイショベにごくごく近縁な、そっくりな魚は日本の沿岸にもいる。
サカタザメというやつだ。
そもそも、ざっくり言うとエイのご先祖様はサメである。サメが進化の過程でだんだんと海底での生活に適応していった結果、あの薄っぺらいエイになったのだ。となるとつまり、これらサカタザメ類はサメが「完全な」エイへ進化するまでの過渡期、ちょうど中間の姿を留めた生物だと言える。
進化の形としては一見すると中途半端なようだが、それは裏を返せば両者のいいとこ取りとも言えるだろう。
日本のサカタザメとオーストラリアのジャイアントショベルノーズシャークは下半身から半透明の鼻先までほぼ同じ姿なのだが、一点だけ大きく違うところがある。
大きさだ。日本のサカタザメは全長数十センチ程度だが、ジャイショベは最大で2メートル以上。今回釣れた個体はまだまだ若い個体だがそれでも160センチ以上もあった。素晴らしい。「カタチそのままでバカでかい」生きものってのはどうしてこうも魅力的なのか。
……おそらく味は日本のサカタザメ(それなりに美味い)とさして変わるまい。そもそもこのサイズを一人で、しかも旅先で食いきるのは至難。
雨風の中、桟橋の影へ三脚を立てて手早く記念撮影をし、元気なうちにリリースする。去り際に尾鰭で左手をしたたかにはたかれた。
二年前は右手だったな。これでコンプリートだ。
いよいよ嵐が到達し、冠水した道路を遡ってようやく宿へ戻った。
いい魚だった…と一息ついた瞬間、大変なことに気づいた。一眼レフのレンズ内部に無数の水滴が…。一応防水の製品ではあったのだが、さすがに嵐の中での使用には耐えられなかったようだ。
オッオウ。物価が高いからサンドイッチで節約…とかなんだったんだろうな?全部水の泡だ。
まあいいか。それだけの価値がある一晩だった。
というわけで、どうにか嵐とのかけっことジャイアントショベルノーズシャークとの綱引きに競り勝った。
嵐が去った翌日、海はカフェオレのように濁り小魚すら消えていた。本当にギリッギリだったのだ。
……だが日程が二日も空いてしまった。せっかくなのでムダに広い部屋でサンドイッチとティムタム食べながらゴロゴロして過ごした。
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