名作をウェブ化 2022年6月12日

三夜連続掲載・江戸川乱歩作「幽霊」第1夜

江戸川乱歩が大正14年(1925年)に発表した短編「幽霊」を3回に分けて掲載します。挿絵の代わりとなる写真を撮り下ろして追加しました。

幽霊に取り憑かれた富豪とは!?今回は第1夜です。

・仮名づかいや漢字表記、改行位置を変更してあります。また作中に登場する小道具を現代のものに置き換えてあります。構成・撮影:林雄司

1894年三重県生まれ。小説家。推理小説、ホラー小説が多い。


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「辻堂の奴、とうとう死にましたよ」
 腹心のものが、多少手柄顔にこう報告した時、平田氏は少からず驚いたのである。

大金持・平田氏

もっとも大分以前から、彼が病気で床についた切りだということは聞いていたのだけれど、それにしても、あの自分をうるさくつけ狙って、仇を(あいつは勝手にそう決めていたのだ)うつことを生涯の目的にしていた男が、「彼奴のどてっ腹へ、この短刀をぐっさりと突きさすまでは、死んでも死に切れない」と口癖の様に云っていたあの辻堂が、その目的を果しもしないで死んでしまったとは、どうにも考えられなかった。
「ほんとうかね」
 平田氏は思わずその腹心の者にこう問い返したのである。

「ほんとうになんにも、私は今あいつの葬式の出る所を見届けて来たんです。念の為に近所で聞いて見ましたがね。やっぱりそうでした。親子二人暮しの親父が死んだのですから、息子の奴可哀相に、泣顔で棺の側へついて行きましたよ。親父に似合わない、あいつは弱虫ですね」

私は今あいつの葬式の出る所を見届けて来たんです。

それを聞くと、平田氏はがっかりしてしまった。邸のまわりに高いコンクリート塀をめぐらしたのも、その塀の上にガラスの破片を植えつけたのも、門長屋を殆どただの様な屋賃で巡査の一家に貸したのも、屈竟な二人の書生を置いたのも、夜分は勿論、昼間でも、止むを得ない用事の外はなるべく外出しないことにしていたのも、若し外出する場合には必ず書生を伴う様にしていたのも、それもこれも皆ただ一人の辻堂が怖いからであった。

外出する場合には必ず書生を伴う様にしていた

平田氏は一代で今の大身代を作り上げた程の男だから、それは時には随分ずいぶん罪なこともやって来た。彼に深い恨みを抱いているものも二人や三人ではなかった。

といって、それを気にする平田氏ではないのだが、あの半狂乱の辻堂老人ばかりは、彼はほとほと持てあましていたのである。その相手が今死んでしまったと聞くと、彼はホッと安心のため息をつくと同時に、なんだか張合が抜けた様な、淋しい気持もするのであった。

その翌日、平田氏は念の為に自身で辻堂の住いの近所へ出掛けて行って、それとなく様子を探って見た。 

それとなく様子を探って見た

そして、腹心のものの報告が間違っていなかったことを確かめることが出来た。そこでいよいよ大丈夫だと思った彼は、これまでの厳重な警戒を解いて、久しぶりでゆったりした気分を味わったことである。

久しぶりでゆったりした気分を味わった

詳しい事情を知らぬ家族の者は、日頃陰気な平田氏が、にわかに快活になって、彼の口からついぞ聞いたことのない笑声が洩れるのを、少なからずいぶかしがった。

ところが、この彼の快活な様子はあんまり長くは続かなかった。家族の者は、今度は、前よりも一層ひどい主人公の憂鬱に悩されなければならなかった。

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辻堂の葬式があってから、三日の間は何事もなかったが、その次の四日目の朝のことである。書斎の椅子にもたれて、何心なくその日とどいた郵便物を調べていた平田氏は、沢山の封書やはがきの中に混って、一通の、かなりみだれてはいたが、確かに見覚えのある手跡で書かれた手紙を発見して、あおくなった。

見覚えのある手蹟で書かれた手紙を発見して
この手紙は、俺が死んでから貴様の所へ届くだろう。貴様はさだめし俺の死んだことを小躍して喜んでいるだろうな。
そして、ヤレヤレこれで安心だと、さぞのうのうした気でいるだろうな。ところが、どっこいそうは行かぬぞ。俺の身体は死んでも、俺の魂は貴様をやっつけるまでは決して死なないのだからな。
なる程、貴様のあの馬鹿馬鹿しい用心は生きた人間には利き目があるだろう。たしかに俺は手も足も出なかった。だがな、どんな厳重なしまりでも、すうっと、煙の様に通りぬけることの出来る魂という奴には、いくら貴様が大金持でも策の施しようがないだろう。
おい、俺はな、身動きも出来ない大病にとっつかれて寝ている間に、こういうことを誓ったのだよ。この世で貴様をやっつけることが出来なければ、死んでから怨霊になってきっと貴様をとり殺してやるということをな。何十日という間、俺は寝床の中でそればっかり考えていたぞ。その思いが通らないでどうするものか。用心しろ、怨霊の祟りというものはな、生きた人間の力よりもよっぽど恐しいものだぞ。
辻堂

筆蹟がみだれている上に、漢字の外は全部片仮名で書かれていて、随分読みにくいものだったが、そこには大体右の様な文句が記されていた。いうまでもなく、辻堂が病床で呻吟しながら、魂をこめて書いたものに相違ない。そして、それを自分の死んだあとで息子に投函させたものに相違ない。

「なにを馬鹿な。こんな子供瞞しのおどし文句で、俺がビクビクするとでも思っているのか。いい年をして、さては奴も病気のせいでいくらか耄碌していたんだな」

俺がビクビクするとでも思っているのか

平田氏は、その場ではこの死人の脅迫状を一笑に附してしまったことだが、さて、段々時がたつにつれて、何とも云えない不安がそろそろと彼の心に湧き上って来るのをどうすることも出来なかった。

どうにも防御の方法がないということが、相手がどこからどんな風に攻めて来るのだか、まるで分らないことが、少からず彼をイライラさせた。彼は夜となく昼となく、気味の悪い妄想に苦しめられる様になった。不眠症がますますひどくなって行った。

一方に於いては、辻堂の息子の存在も気掛かりであった。あの親父とは違って気の弱そうな男にまさかそんなこともあるまいが、若しや親父の志をついで、やっぱり俺をつけ狙っているのだったら、大変である。

そこへ気づくと、彼は早速以前辻堂を見張らせる為に傭ってあった男を呼びよせ、今度は息子の方の監視を命じるのであった。

今度は息子の方の監視を命じるのであった。

それから数ヶ月の間は何事もなくすぎさった。平田氏の神経過敏と不眠症は容易に回復しなかったけれど、心配した様な怨霊の祟りらしいものもなく、又辻堂の息子の方にも何等不穏の形勢は見えなかった。

流石用心深い平田氏も、段々無益なとりこし苦労を馬鹿馬鹿しく思う様になって来た。 

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ところが、ある晩のことであった。

平田氏は珍しく、たった一人で書斎にとじ籠って何か書き物をしていた。屋敷町のことで、まだ宵の中うちであったにもかかわらず、あたりはいやにしんとしずまり返っていた。時々犬の遠吠が物淋しく聞えて来たりした。

「これが参りました」
突然書生が入って来て、一封の郵便物を彼の机の端に置くと、黙って出て行った。

「これが参りました」

それは一目見て写真だということが解った。十日ばかり前にある会社の創立祝賀会が催された時、発起人達が顔を揃えて写真を取ったことがある。平田氏もその一人だったので、それを送って来たものに相違ない。

平田氏はそんなものに大して興味もなかったけれど、ちょうど書きものに疲れて一服したい時だったので、すぐ包紙を破って写真を取出して見た。

包紙を破って写真を取出して見た。

彼は一寸の間それを眺めていたが、ふと何か汚いものにでも触った時の様に、ポイと机の上にほうり出した。

そして不安らしい目つきで、部屋の中をキョロキョロと見廻すのであった。
しばらくすると、彼の手がおじおじと、今ほうり出したばかりの写真の方へ伸びて行った。しかし広げてちょっと見ると、又ポイとほうり出すのだ。二度三度この不思議な動作を繰返したあとで、彼はやっと気を落ちつけて写真を熟視することが出来た。

気を落ちつけて写真を熟視することが出来た。

それは決して幻影ではなかった。目をこすって見たり、写真の表を撫なでて見たりしても、そこにある恐しい影は消去りはしなかった。ゾーッと彼の背中を冷いものが這い上った。彼はいきなりその写真をずたずたに引裂いてストーブの中に投込むと、フラフラと立上って、書斎から逃げ出した。

写真をずたずたに引裂いてストーブの中に投込むと、

とうとう恐れていたものがやって来たのだ。辻堂の執念深い怨霊が、その姿を現しはじめたのだ。

そこには、七人の発起人の明瞭な姿の奥に、朦朧もうろうとして、殆ほとんど写真の表面一杯に拡って、辻堂の無気味な顔が大きく大きく写っていたではないか。

019.jpg
辻堂の無気味な顔が大きく大きく写っていたではないか。

そして、そのもやの様な顔の中に、真暗な二つの目が平田氏の方を恨めしげに睨んでいたではないか。

平田氏は余りの恐しさに、丁度物におびえた子供の様に、頭から蒲団をひっかぶって、その晩はよっぴてブルブルと震えていたが、翌朝になると、太陽の力は偉いものだ。彼は少しばかり元気づいたのである。
「そんな馬鹿なことがあろう筈はない。昨夜ゆうべは俺の目がどうかしていたのだ」
 強しいてそう考えるようにして、彼は朝日のカンカン照込んでいる書斎へはいった。見ると残念なことには、写真は焼けてしまって跡形もなくなっていたけれど、それが夢でなかった証拠には、写真の包紙が机の上にチャンと残っていた。

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よく考えて見ると、どちらにしても恐しいことだった。若しあの写真にほんとうに辻堂の顔が写っていたのだったら、それはもう、例の脅迫状もあることだし、こんな無気味な話はない。

世の中には理外の理というものがないとも限らないのだ。それとも又、実は何でもない写真が、平田氏の目にだけあんな風に見えたのだとしても、それではいよいよ辻堂の呪にかかって、気が変になり始めたのではないかと、一層恐しく感ぜられるのだ。

二三日の間というもの、平田氏は外のことは何も思わないで、ただあの写真のことばかり考えていた。

平田氏は外のことは何も思わないで、ただあの写真のことばかり考えていた。

若しや、どうかして同じ写真屋で辻堂が写真をとったことがあって、その種板と今度の写真の種板とが二重に焼付けられたとでもいうことではないかしら、そんな馬鹿馬鹿しいことまで考えて、わざわざ写真屋へ使いをやって調べさせたが、無論その様な手落のあろう筈もなく、それに、写真屋の台帳には辻堂という名前は一人もないことも分った。

写真屋の台帳には辻堂という名前は一人もないことも分った。

それから一週間ばかり後のことである。関係している会社の支配人から着信があったので平田氏が何心なく電話を耳にあてると、そこから変な笑声が聞えて来た。

電話を耳にあてると、そこから変な笑声が聞えて来た。

「ウフフフフ……」
 遠い所の様でもあり、そうかと思うと、すぐ耳のそばで非常な大きな声で笑っている様にも思われた。こちらからいくら声をかけても、先方は笑っているだけだった。
「モシモシ、君は××君ではないのかね」
 平田氏が癇癪を起してこう怒鳴りつけると、その声は段々小さくなって、ウ、ウ、ウ……と、すうっと遠くの方へ消えて行った。

平田氏はいきなり電話を切ると暫くの間じっと一つ所を見詰めて身動きもしないでいた。そうしている内に、何とも形容出来ない恐しさが、心の底からジリジリと込み上げて来た。……あれは聞き覚えのある辻堂自身の笑声ではなかったか……平田氏はその電話が何か恐ろしいものででもある様に、でもそれから目を離すことは出来ないで、あとじさりにそろそろとその部屋を逃げ出すのであった。

そろそろとその部屋を逃げ出すのであった
この作品は青空文庫収録「幽霊」(江戸川乱歩)を元に、旧かな遣い・旧漢字を変更しデイリーポータルZのレイアウトで読みやすいように改行と写真を追加しました。また、作中に登場する電話機などの小道具は現代のものに置き換え、それにあわせて表現を一部変更しています。
元の青空文庫の情報
底本:「江戸川乱歩全集 第1巻 屋根裏の散歩者」光文社文庫、光文社
   2004(平成16)年7月20日初版1刷発行
   2012(平成24)年8月15日7刷発行
底本の親本:「江戸川乱歩全集 第一巻」平凡社
   1931(昭和6)年6月
初出:「新青年」博文館
   1925(大正14)年5月
入力:門田裕志
校正:岡村和彦
2016年6月10日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
 
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