もちろん帰りは電車を使った
帰りの電車内で、自宅からスタート地点までの移動を含む総歩行距離を確認したら、25キロを超えていた。当たり前だが、よく歩いたなあ。もちろんこんなことを毎日やるのは無理。古典の世界はフィジカル・モンスターであふれていたに違いない。平安時代のイメージがかなり修正された瞬間だった。
山を下りた。歩き疲れてきた。下り坂では足にダメージが蓄積する。
私の中の、文使いとしての下人の心境にもある種の変化が。これまでは、いっそ主人の手紙を捨てて引き返して「お姫様はあなたのことが嫌いだそうです」などと言ってごまかす選択肢もないではなかった。しかし、行程の半分を過ぎるとその手は使えない。引き返すよりも、さっさと目的地まで行ってしまった方が楽だからである。
住宅地をひたすら歩く。疲れて集中力が落ちてきているので、あまり書くことがない。あっても気がつけない。
同行者が一言
「脚が牛になったみたい」
と呟いた。疲労によって感覚が鈍くなってきているということらしい。
言われるがままに上を見上げた。電線が走った空以外なにもない。何に注意しろと?
そして、ついにゴールが目前に迫ってきた。
私が下人だったら、ようやく到着した達成感と、恋文の返事をもらって、即来た道を引き返さないといけない絶望感の板挟みになって、笑うか泣くか決められないだろうな。というか、よく反乱が起こらなかったものだ。
さて、脚の疲労に押しつぶされそうになりながらなんとか宇治橋までやってくることができた。だが、真のゴールはもう一つ別に設定してあった。橋を渡ったところにおわします、ある方のところへ行くのだ。
作品を読んでどれだけ感動しても、作者に感想が届けることは絶対に叶わないのが、古典の悲しいところだ。だからせめて作者の像に語り掛けよう。「あなたの作品、最高でした!」
きらびやかな平安貴族の世界はなにかとキラキラな描写がされがちだが、そこには汗と埃にまみれた舞台裏があるのだ。
前述の国語教師は「平安貴族はやることがないからエロいことばかり考えていた」というようなことを言っていた。当時は、たしかにそうかもしれないと思った。ただ今回、宇治まで歩いてみて思ったのは、やることがないから恋愛のことばかり考えていたというよりも、恋愛にかかるコストが高すぎてほかのことに割く余裕がなかったんじゃないかということだ。
以前よりも古典の世界を少しだけ深く理解できたような気がしたのだった。
帰りの電車内で、自宅からスタート地点までの移動を含む総歩行距離を確認したら、25キロを超えていた。当たり前だが、よく歩いたなあ。もちろんこんなことを毎日やるのは無理。古典の世界はフィジカル・モンスターであふれていたに違いない。平安時代のイメージがかなり修正された瞬間だった。
「あなたの作品、最高でした!」
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