ただのガス容器ではない
どこかノスタルジックな郷愁に浸ったり、むき出しの姿にはらはらしたり、天空の城に見立てて哀しみで満たされたり、プロパンガスボンベは家庭のコンロや湯沸かし器だけでなく、私の心とつながっているのだ。
2016年の電力に続き、2017年4月からは都市ガスの小売も自由化、エネルギー業界変革期まっただ中の我が国において、私は何を言うべきなのだろう。
それは「ガスボンベってなんかいいですよね」という人類にとって普遍的な価値ではないだろうか。
家の軒下や建物の壁面で地蔵や道祖神のように突っ立っているプロパンガスボンベ。
当然あの中にはガスが入っていて、風呂や料理、暖房などに使う燃料が屋内へと供給されているわけだが、あの飾り気のないネズミ色で少し物々しい雰囲気を醸し出して鎮座している様がなんか良くて以前から写真で記録していた。
現在プロパンガスを利用しているのは日本全体のおよそ半数にあたる約2400万世帯、これだけの家庭にガスを届けるには効率的な入れ物が必要なわけで、あんな感じで突っ立っているものの、飲料を入れるアルミ缶などのように資源を必要な人に分配するための立派なインフラストラクチャーなのだと思うと地蔵菩薩にも負けないありがたみが湧いてくる。
あのボンベの中のガスについてもうちょっとだけ言うと、正式にはLPガス(Liquefied Petroleum Gas 液化石油ガス)という石油ガスを圧縮して液化させたもので,家庭用のLPガスはプロパンやブタンが成分となっている。圧力を加えたり冷やしたりすると液体になって気体の250分の1ほどの体積に圧縮され、その液体をボンベに入れて流通させている。
日本LPガス協会の統計によると、年間約1500万トンの需要のうち約1000万トンを海外からの輸入に頼っており、カタール、UAE、クゥェート、サウジアラビアなど中東の産油国とシェール随伴LPガスを擁するアメリカからの輸入がほぼ半々で占められている。つまりあの家の軒下のボンベの中はサウジアラビアやらアメリカやらで満たされているのだ。
ガスボンベには上端にバルブを保護するためのキャップをかぶせているものがあって、これがあると途端にキャラクター感が濃くなる。
天空に浮かぶ城で滅びた高度文明の残滓として、自然と同化するように朽ち果てようとしているロボットのような悲哀をたたえている。
園芸と絡むと何か箱庭ラピュタ的な(結局言ってんじゃん)雰囲気を想起して悲哀感が増す。
なんかだんだん文明が終焉しそうな感じになってきてしまった。
1953年に家庭用プロパンガス が導入されて以来、幾多の事故やトラブルを経ながら、ガスボンベ周りや危険監視システムにいたるまで安全性を改善させてきた。おかげで安全性はかなり確固たるものとなったが、見た目が見た目だけに「なんかあぶい!(危ない)」と感じてしまうシチュエーションがある。置き位置がやけにギリギリだったりするものだ。あぶいコールと一緒に見ていこう。
最後のはよく見たらホースがつながっていなかったのだが、散歩していていきなりこの完全無欠なサビに出くわした時は思わず後ずさりした。
自由奔放なボンベを見て肝を冷やしている身からすると、きちんと収まっている品行方正なボンベを見た時の安心感ってあるよなあと思う。ほめていこう。
坂道の途中にあったおさまりが最高だった。
人がボンベを設置したのではなく、磨崖仏でも作ろうと掘りこんだスペースにいつしか野良ボンベ達が集まって冬を越していたのに違いない。
きっちりおさまっていなくても囲ってあると安心感が染み出す。
雪国のボンベは庇に守られて安心感がある。
北国は北国でも北海道の道東方面は開けっぴろげなものが多かった。(個人の感想です)
囲いや壁など物理的なガードではなく、緑に囲まれてハードな感じを和らげメンタル面に安心感をもたらす、プロパン園芸といった趣き。
どこかノスタルジックな郷愁に浸ったり、むき出しの姿にはらはらしたり、天空の城に見立てて哀しみで満たされたり、プロパンガスボンベは家庭のコンロや湯沸かし器だけでなく、私の心とつながっているのだ。
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