座椅子を買おう
いろいろやってみたが、それなりに新鮮な気持ちで仕事に臨むことには成功したと思う。ただこれを3日間つづけたら、確実に飽きるだろうなという自信もある。結局は単調にならないように、手を替え品を替え刺激が必要なのでしょう。あとそんなことよりも座椅子を買うのが先決だなと思いました。
緊急事態宣言の前後から、じわりじわりとテレワークの日が増えている。それで今日はいっちょ試しに、機内モードでテレワークをやってみようと思う。いやいや違うんだ、スマホを機内モードにしてテレワークするんじゃあない。どうせ座りっぱなしのテレワークなら、長距離フライト中のつもりで仕事してみようじゃないか。
この時世に自宅で安全に仕事をさせてもらえるというのはありがたいことである。テレワークが存在し得ない職場で業務に精励されている方が大勢いる一方で、本当に恵まれている。インフラを支え、医療を支え、会社を支えて働いているかたがたに心からの感謝の念を送りたい。
さはさりとて。おれは自宅で仕事をするのが慣れない。すでに1か月以上自宅で勤務しているが、一向に慣れない。
問題の根っこは、多くのテレワーク体験者が語っているように、自宅の自席で座りっぱなしという状況がつらいのだ。資料もクラウドにあるしミーティングもテレビ会議でできるのは便利だが、とにかく立ち歩く機会が皆無。せいぜいトイレか、お茶をいれるときくらい。上司からは「各自、適当に休みながらやってくれ」と勧められているがなかなかタイミングもつかめない。
それでふと思った。これは飛行機の長距離フライトのシチュエーションに似ている。
海外旅行が好きで長期連休のたびにどこかにでかけているが、実は飛行機の中はあまり得意ではない。狭い席で長時間座りっぱなし、閉鎖空間であまり身動きは取れない。だがそれでもなんとか耐えられるのは、仕方がないと割り切れるからなのか。いや、機内という非日常の雰囲気を楽しんでいるからだろうか。あるいは単に旅行の高揚感によるものなのかもしれない。
いずれにしても、何かと気詰まりなテレワークに、長距離フライトの要素をいろいろ取り入れてみることで、少しは気が紛れるのではないか。検証してみた。
検証の当日。普段通勤をするとき以上に早起きした。気持ちを機内モードに持っていくために、いろいろと小道具を用意しなければならないのだ。
そして1時間ほどかけて苦労してセッティングした自席から見える景色は、こうだ。
やたらとごちゃごちゃしてウルサイ絵面だが、この視界の中には、さまざまな要素が入り乱れている。
オレンジはパソコンやサブディスプレイなど、テレワークの要素。グリーンは片付けても拭いきれなかった生活感の要素。
そしてブルーが今回の企画のキモである、フライト中の要素だ。たとえばこのアメニティセット。
いつか東欧に飛んだときに利用した、ターキッシュエアラインのもの。
ターキッシュは、とにかく親切丁寧でサービスが素晴らしかった印象がある。当然アメニティも充実していたのだが、使用せずにそっくりそのまま家に持ち帰ってあった。
この中から靴下とスリッパをチョイス。さらにベトナム航空っぽい色味のブランケットにすっぽり包まれば、機内で定番のくつろぎ体勢に。
テレワークに欠かせないアイテム、イヤフォンはアスタナ航空でもらったものを使おう。マイクはついていないので、聞き流しでOKなテレカンのときに。
さらに、自分の中では機内でしか飲まないドリンクの代名詞、オレンジジュースも用意。コップはもちろんちょっと硬くて小さめのプラカップだ。個人的には、この些細なアイテムがいちばん刺さった。手に取るたびに一瞬飛行機の記憶がよぎるのだ。
それからもうひとつ。まだ離陸前の大事な儀式が残っていた。時計の時差合わせだ。時差ボケ防止には、機中から到着地点の時間帯にあわせて過ごすことが肝要である。また搭乗した瞬間に時計を合わせる習慣をつけることで、乗り継ぎ便がある場合のミス防止にもつながる。ただ今回は時差はないからな…どうするかな。
とりあえず12時間巻き戻しておいた。見た目には変化なし。ちなみに写真では伝わりづらいのだが、机に敷いているマットも、機内の無愛想なテーブルの質感に近いやつを選んでいる。
ではいよいよ準備完了。だんだんと心の中の機内モードが盛り上がってきたところで、仕事を始めたいと思う。これから業務終了まで、9時間に及ぶ架空のフライトが始まる。いってきます!
チームメンバーに本日のタスクの連絡を入れる。今日の仕事の開始であり、テイクオフだ。
開始から1時間後の印象としては、まずまず快適であった。へたったクッションがいまいちなのは相変わらずだが、ブランケットのぴっちりした密着感が集中力につながっているような気がする。在宅勤務のTipsにも「寝巻きのまま仕事するのは避ける」というのが往々にして挙がっているが、やはり服装は集中力に影響を及ぼすようだ。
途中、チームメンバーとのテレビ会議があり、会議後の雑談で機内モードで仕事していることも話してみた。「今日はね、気分を変えて飛行機の中のつもりで仕事してんですよ」。
ややウケしたのと、それぞれのテレワークの悩みを教えてくれた。面白かったのは「私が家を出たあと、自由業の夫がいつもこんなにもダラダラ過ごしていると知って怒りが沸いた」、「妻も在宅勤務で、キッチンやトイレで出くわすのがなんか恥ずかしい」というやつ。家族と暮らす人はまたいろいろと悩みがあるようだ。
トイレに立ったついでに、ふとキッチンで換気扇が目についた。部屋の空気がよどんでいるような気がして、ついスイッチを入れてみる。
「ゴゴオォォォォォォオオ」と唸りを上げる様子が機内の環境音みたいでちょっと面白かったので、しばらくそのまま仕事をした。
仕事中でもフライト中でも、お楽しみの時間といえばランチである。もちろん今日は、機内食をいただくことになる。ぶっちゃけると、わざわざ朝の7時半から準備していたのは、ほぼこの機内食のためだ。
キャビンクルーが持ってきてくれるはずはないので、自分で冷蔵庫から取り出して、メインディッシュをチン。一応、おまじないとして一人で呟いておいた。ビーフ or チキン?
このキッチュな機内食セットは、手近で揃えられる範囲で、最大限それっぽく見えるように努力したつもりである。
以上がおれの考える「最もそれっぽい機内食」のメニュー、つまり機内食のイデアだ。願わくば丸パンは個包装、小さなバターと丸いカップに入った謎の水があれば完璧だったが。
ではさっそくいただきます。
うーん、我ながらこのメイン料理、チキンのクリームソースがけはなかなかうまい。機内食らしく味をぎゅんぎゅんに濃い目にしたのもこだわりのポイントだ。
ウソ。思いがけず濃くて重くて、食べきることができなかった。まあ機内食ってへんな時間に食べさせられるから実際に食べきれないことも多いので、これもリアルを追求したということにさせてもらいましょう。残りは晩ご飯で食べました。
さてランチを終えてもまだ昼休みに多少時間の余裕がある。こういうちょっとした時間に楽しみたいのが、自席の目の前にセッティングされている機内情報誌である。
ここでも本物の機内情報誌があれば素晴らしい小道具になったのだが、今回は残念ながら「それらしい」表紙の冊子で代用する。
中央にあるのは、JICAの広報誌「mundi」。中面も結構、機内情報誌っぽい。
こういうのを読んでいると、しみじみと海外旅行に行きたい気持ちが湧いてくる。一日も早い疫病の克服を願うばかりだ。
ちなみにデイリーポーターの編集部の皆さんに「機内でいつもやる習慣」を聞いたところ、機内情報誌とともに安全のしおりを熟読するという意見があった。これは持ち帰り不可だろうから、もちろん我が家にはない。
家にあった安全のしおりは、これくらいだ。
さて午後の仕事も頑張らなければならないが、昼いちばんというのは鬼門である。これはテレワークに限ったことではないが、午前中の疲れも蓄積しているところに満腹感から来る眠気とも戦うことになる。
そこでこれである。
タブレットに飛行機の窓からの写真を写したものだ。これを下のように配置し、疲れたら視線を横に向けて、バーチャルなフライトの風景を眺めて気分を変えようという試みだ。
しかも写真はスライドショー形式で次々に入れ替わり、世界各地を巡るようになっている。
さきほどまでケアンズの空のはずが、富士山が現れ、次の瞬間にはグランドキャニオン。さらにはコートジボワールの夜空に、真冬のシベリア。時空を軽々と飛び越える。
これが思いのほか、よかった。一瞬だけでも機内にいるのではないかと錯覚させてくれる。仕事に疲れたときに眺めるのが、またモニターに映された景色というのがディストピア感があるが、ふとしたときに視線のやり場があるというのは結構たすかる。割と実用的なテレワークのTipsになるのではないだろうか。
2時間後。いつものことながら、このあたりでだんだんと腰が痛くなってくる。30分に一度くらい立ち上がって、簡単にストレッチをする。
さらに1時間後。
さあいよいよ到着が近づいてきた。ラストスパートである。
最後の45分は、シートベルトサインが点灯して動けないという設定で、ぐわっと集中して企画書を仕上げた。チームメンバーに業務報告を送り、本日の仕事はこれにて終了である。
それに合わせて、架空のフライトも無事到着、機内モードも解除ということになろうかと思うが、こちらはまだ終われない。機内での最重要イベントが済んでいない。
各国のエアラインがその国の代表的銘柄のビールを出してくれるのをいつも楽しみにしているが、今日はリッチに日系の航空会社で帰国する途中という設定でプレミアムモルツに。おつまみはまたもウズベキスタン航空だけど。本日もたいへんお疲れさまでした。
いろいろやってみたが、それなりに新鮮な気持ちで仕事に臨むことには成功したと思う。ただこれを3日間つづけたら、確実に飽きるだろうなという自信もある。結局は単調にならないように、手を替え品を替え刺激が必要なのでしょう。あとそんなことよりも座椅子を買うのが先決だなと思いました。
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