「骨のない魚」でWebを検索してみると、今は「人工的にあとから骨を丁寧に取り去った魚」の話題がたくさん出てくる。そういう魚があるのを知ってはいたが、いろいろ賛否があるらしい。ここでは云々しない。
でも、ふだん食べているものの「しくみ」がわかった。まだまだ「しくみ」をしらずに口にしている食べ物があるのだ。「しくみを知る」、そう思うと、魚をさばくことも面白くなってきた。
次はいよいよ「鶏をしめる」に挑戦するしかないだろう。
骨のない魚を作りたい。といっても、昨今出回っている「骨を丁寧に取り去った切り身」ということではない。またも例の漫画に刺激を受けてのことだ。
小学館ビッグコミックスピリッツの「美味しんぼ」に、「骨のない魚」という話が出てくる。まあ要は、魚の中身を取り出して皮だけにし、肉を練って詰めたものである。
初めて魚を一からさばいたということもあり、写真をとりまくる。全ページほとんど、ヒカリモノ写真のオンパレードになってしまいました。
※2004年10月に掲載された記事を、AIにより画像を拡大して加筆修正のうえ再掲載しました。
その「骨のない魚」、「美味しんぼ」では、成績不振におちいったレーサーがその元凶である不眠症を、「骨のない魚をごちそうします」という主人公の謎の一言で克服する話として登場する。
骨のない魚ってなんだろう?なんだろう?……と考えるうち眠ってしまっていたレーサー。私は彼ほどひたすらに思いつめたりはしないが、その描写から、なかなかにひかれるものではある。
で、決めた。今日は骨のない魚を作るぞ。
作中では、全長50cmはあろうかというボラの類の魚を使っているが、魚をさばいたこともない私、いきなりそんな大物には挑戦できない。失敗したときのことを考えるととても恐ろしい。足がすくむ。そこで買ってきたのは、「いわし」だ。千葉の「生いわし 刺身用」と、札には書いてある。
さて…。魚の原型をとどめるのが必須の料理なので、自分で魚をさばくことが要求されるというわけだが、正直初めてのことだけに少々気後れがする。
買ってきた翌日、つまり賞味期限を1日過ぎ、やっととりかかることにした。幸い、いわしのさばき方は手持ちの本に載っている。
気がついたら、お湯を沸かして焼きそばに注いでいた。何やってるんだ私。
とにかく3分待って湯切りをすまし、食べ終わって落ち着いたらとりかかろうと思う。何事も心の平静が必要だ。
うろこはすでにあらかたとってあったので、もうザクザクいってしまおう。ハラは決まった。一番ふくよかそうな1匹を取り上げ、これを外側とする。
なんだ。簡単だ。もっとこう、指でおそるおそるつまみながらの作業になるかと思っていたが、まったく平気だ。平気な上、魚を握っていると何か安心感さえ感じるのはなぜだ。
犬のおなかをなでているときの心持ちがする。犬といわしって何か共通点あったか?
内臓がいっしょくたになってお腹から引き出されるのを見ていると、生き物のしくみが実感せられる。もうごちゃごちゃになっているが、ちゃんといろいろな器官があったんだなとか、反面なんと簡単に分解できるんだろう、とか。丸大ハンバーグのCMに出てきた森の巨人から見れば(古い)人間も同じように見えるんだろうな、とか。
ふつうの開きと違い、ここでは頭を落とさないことにしているので、頭の中の贓物が出にくくて困る。食べるとき頭の中からズルズルッと何かくっついてきたら。そんなことはないと思うが、ちょっといやだ。
最後、皮をできるだけ傷つけないようにして身をかき出すのが難儀でしょうがない。中国の料理人もここが正念場だろうと勝手に想像し同情する。
うなぎの皮でできたカバンがあるが、あれもそうとう難儀だろう。長いし。途中でぶん投げたくなるに違いない。
次は中身の詰め物だ。残りの3匹に合体願おう。
今度は頭を落としちゃってかまわないので、楽は楽。だが、「頭を切り落とす」という作業は、精神的に負担が大きい。「すぱっ」「ごろん」である。
生物が生物として認識されるのに、頭の有無は重要だ。「頭だけ」でも1個の生き物として認知できるが、「頭なし」だと単なる「もの」に見えるのだ。その頭を切り落とすのだから、なんだか包丁も重く感じる。うわー。
古代彫刻「サモトラケのニケ」なんかもそうだよな・・・腕から先に羽が生えて、いっぱいに広げて躍動感があるけど、頭がないんだよねー。そうなると、自然に目はその体の細部に行くよなー・・・頭があったらそっちに気をとられて、躍動感がうすれるかも・・・などと考えながら、包丁を動かす。
アウアウ言ってるうちに、なんとか肉を集めることができた。4匹分で100gとなった。多いのか?少ないのか?どうなるか不安だが、ここにネギと酒と生姜と醤油と片栗粉を適当に加えて詰め物とします。
詰めていくうちにふと思ったが、この詰め物、何のことはない、いわゆる「いわしハンバーグ」だ。「骨のない魚」とは、「いわしのいわしハンバーグ詰め」だ。
ということは、同じことを豚でやるとすると、「骨のない豚」は「豚のハンバーグ詰め」になるのか。いや、ハンバーグは合挽きだから、牛も混ざってくると、その場合は…と考えているうち、詰める作業が終わる。
詰め終わったのはいいが、お腹が開いている。これでは風邪をひくぞ。心配なので、毛布をかけるのではなく、ラップを巻いて電子レンジで蒸すことにしてみた。
1分ずつ様子をみながら温めていった・・・はずなのだが。ころあいになったころ、胴体が真っ二つになっていた。こ、これは!大ショック。完全な魚の形を保持できなかったことに大ショック。せっかく今まで細心の注意を払って復元してきたのに。
しかし、レンジから取り出しラップをはずし、ピタッと左右を合わせてみたら、下のようになった。とりあえず完成。「骨のない魚・フィーチャリングいわし」だ。
見た目はなんということもない、一尾の魚。しかし箸を立ててみると…中はいわしのハンバーグだ。そのままバリバリ食べられる。見た目は魚丸ごとなのに、体の中が違うロジックの世界になってるかと思うと、ちょっとした笑いがこみ上げてくる。
心配だったお腹の割れも、肉が膨張して皮となじみ、きれいになっている。結局、40g、2匹弱で1匹がいっぱいになった。2匹で1匹。超人バロム1である(かなり古い)。
だがこのようにレンジでチンしたままでは、皮がぺったぺった歯に張り付き非常に気持ちが悪い。せっかく形も定まったことだし、焼いてみることにした。それが下の写真だ。なんだかメザシみたいだが、これは香ばしくておいしかった。
「骨のない魚」でWebを検索してみると、今は「人工的にあとから骨を丁寧に取り去った魚」の話題がたくさん出てくる。そういう魚があるのを知ってはいたが、いろいろ賛否があるらしい。ここでは云々しない。
でも、ふだん食べているものの「しくみ」がわかった。まだまだ「しくみ」をしらずに口にしている食べ物があるのだ。「しくみを知る」、そう思うと、魚をさばくことも面白くなってきた。
次はいよいよ「鶏をしめる」に挑戦するしかないだろう。
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