今から二十年以上前に、小説の新人賞を受賞した。その僕のデビュー作を読んで、先輩の作家が質問をした。
「”筐体”って言葉が出てきたけど、あれなに?」と。
作中に「パックマンの筐体」が出てくるのだ。ゲームセンターに置かれていたテーブル型で、ブラウン管の画面が埋まっていて、レバーがついている、あれだ。
……あれは「筐体」としか言いようがない。
僕はゲームとかデジタルなガジェットが大好きでどっぷり漬かって生きてきたものだから、ごく自然に出てきた言葉だったが、一般的にはかなり専門性の強い単語だったわけだ。
筐体みたいなものを自然と思って小説を書いていくと、一般的な人たちの興味や知識との間に相当な乖離が生じてしまうだろう。それはときに、小説のノイズになる。
そのことだけで決めたわけではないのだが以後、自分の中のある部分(ゲームやデジタル好き)をあまり出さないようにして小説を書いてきた。
それから四半世紀近くたった。
気付けば街にはLEDの画面があふれ、皆がスマホをいじり(なんなら全員が掌に「筐体」を持ってるといってよい)、朝のテレビ番組ではニンテンドースイッチで芸能人が遊びまくっている。
中学からずっと「やり」続けていて身に着いたゲームやデジタル的な(「筐体」的な)歴史や文化を、なんだか解禁しても大丈夫な気が(やっと)してきた。
それで今度出る僕の新作小説集にはMSXパソコンが出てくる。
1983年(今から41年前)に発売された低価格のコンピュータで、僕の青春でもある。
MSXはパソコン名ではなく「規格」なので、当時の(主に)家電メーカーから実に様々なデザインのものが作られた。写真はキヤノンのもの。
「パソコンのキーボード」みたいだがそうでなく、これでパソコンです。
キーボードと本体が一緒になってます。MSXの多くは一体型で、家庭用のテレビに接続して用いた。ファミコンのように。
そう、MSXパソコンはファミコンと同じで、ハードディスクやCD-ROMのような「モーター」が(ほぼ)入っていないので、頑丈だ。今でも案外、すっと起動して、当時のプログラムも動く。
パソコンがずっと壊れなくて、使っていた人間だけ衰える(なんなら死ぬ)、示唆的な様相は文学のモチーフになると思ったわけだ。
小説の本編は、我ながら面白いものができた。
それで、どうせなら小説の表紙をMSXで描いてみようと思い立った。
今でも動くんだから、役に立てたいではないか!
きっかけ
この発想の根幹には、実はデイリーポータルZが関わっている。
斎藤公輔さんのUV-EPROMの記事は小説本編にも出てくるし、同じ斎藤さんの「レトロPCのような写真が撮りたい」が、決め手になった。
制限のあるたった8色で描かれる美しさよ!
記事では「PC-88」というパソコンの性能に準じて絵を描いているが、今回はMSXだ。
(インターネット以前、パソコンは会社ごと、国ごとに異なる性能、個性でわんさと作られて、地ビールやどぶろくしかない酒文化みたいなことになっていたのだ)。
MSXは15色(自由に選べるのではない、あらかじめ決められた15色)を使用できるのだが、PC-88と比べてもドットがとても粗い。
たとえばこんな写真の画像が
こんな風になる
PC-88とはまた異なるローファイさではないだろうか。
ざらっとした質感と「がんばって分かるように描いてます!」的なけなげさも加味されて、独特の味わいがある(と思うのは僕だけか?)。
ただ、ここまでドットが粗いと、単行本の表紙まで引き伸ばしたらモザイクのようになってしまうだろう。
さすがにそれでは見栄えしないので、何枚かの画像を並べるデザインにしてもらうことにした。東京スカイツリーとか自撮り棒とか、1980年代にはあり得ない画像をMSX化したものを載せて「え、いつのことですか?」と思わせたい。
また、たくさんの画像を載せるのであれば、写真の加工をするだけでなく、せっかくだからイラストを新規に実機で描いてもらってはどうかという話になった。
話になったというか、僕が提案したのだが。
というのも、当時パソコン雑誌をみていて、一度でいいから「タブレット」を使ってみたかったのだ。
(なお、当時の中学生が「パソコンをやる」というのは「パソコン雑誌を熟読する」のと同義だった。ゲームだけでなく音楽もCGもワープロも、とすべて使いこなすほどには金を持っていないので、そのぶん雑誌を読みつくすのである)。
MSXパソコン用のタブレットは雑誌に載るだけで、周囲のパソコン仲間たちの誰も持っていなかった。同時期に「マウス」が普及してそっちで足りることになったのか、雑誌でもみかけなくなっていった。
だが、近年の漫画家たちの作画にはペンタブ、液晶タブレットが必須になっている。
(タブレットよ、雌伏のときをどう過ごし、どのように復権していったんだ、と思う)。
それでここは一つ、人気の漫画家に大昔のMSXとタブレットを渡して、悪戦苦闘してほしい!
漫画家登場
現役のMSXパソコンに対して(?)、現役の人気漫画家、鶴谷香央理さんに引き受けてもらえることになった。『メタモルフォーゼの縁側』が大ヒット、繊細な風景に定評のある人だ。
こんな酔狂にも付き合ってくれる鶴谷さんは、過去に拙著『問いのない答え』文庫版の表紙も描いてもらったことがある。
それにしてもあれだ。何も知らずに引き受けちゃってまあ、さぞかし困るだろうて。
……急に悪い魔女のようにほくそ笑むのはなぜかというと、MSXパソコンは「ドットが粗い」「色が15色しかない」という以外にもう一つ、描画の制限があるのである。
これは文字で書いても、口頭で言ってもすぐには理解してもらえないことなのだが(書くか言うしかないので書くが)、MSXパソコンは「横8ドットごとに2色までしか使えない」のである。
分かるだろうか。
上の図でいうと、座標1,13に新たに緑色を入れると、13~16まで緑色になってしまう。
座標、1,10に緑色を入れると9~12まですべて緑色になる、ということ。
この制限はMSXだけでない、同時期のパソコン「ぴゅう太」や、セガの初期のゲーム機にもあった(同じグラフィックチップを積んでいたのである……グラフィックチップも「筐体」と一緒で、先輩に質問されたかもしれないな)。
8ドットの境を超えれば3色目を置ける(が、また次の8ドット目まで、あと一色しか使えない)ので、MSXのある種のゲームをみていると、涙ぐましい努力でカラフルに描画しているのが分かる。
で、だんだん「そのこと」で感動したりする(ここに載せられないが『グラディウス』のボスの描き方などで)。
とにかく、絵を描いているとインクが不意に横にぴっと飛んで付着してしまう感じといおうか(これを通称「色化け」現象と呼ぶ)。鶴谷さんごめん、苦労ぶりを取材させてくれ!
タブレット探し
この企画には「MSXアソシエーション」という団体が協力してくれることになったが、彼らの手元にもタブレットはないという。
マウスやトラックボールならあるそうだが、僕としてはぜひタブレットで描いてほしい。今、最新のタブレットで作画している人に大昔のを触って(苦闘して)ほしいのだ。
SNSで公募したら二人、手を挙げてくれた。
どちらの人にお願いしようかと迷っていたらアソシエーションの人は「どちらからもお借りしたほうがよい」という。「壊れていたときの予備」があったほうがよい、と。
それもそうか、と着払いでお二方から送ってもらった。
七月某日、アソシエーションさん指定の場所に伺ったら、そこでも一台キープしていて、兼ねて憧れのタブレットが三台も集まった!
パイオニアと東芝と日立のタブレットのはずだが、左上のボタンや右上のランプや、ペンを置く凹みまで同じ。(これを「OEM供給」というのだが、その言葉もパソコン雑誌で僕は知りました)。
今の漫画家さんが使うタブレットには筆圧検知があるし、液晶タブレット(通称「液タブ」)なんか、下絵を表示させながら描けたりするのだが、そんなこと到底できない、ただX座標Y座標を出力するだけの装置だ。
でも、モノとして安っぽさは感じない。どんな物品もその黎明期って、なんでもちゃんと作られてる気がする(普及してほしいから慎重に、故障しにくい設計で作るはず)。
パソコン一式もMSXアソシエーションの人が用意してくれた。
安全地帯の84年のヒット曲に『ワインレッドの心』があるが、ワインレッドはまさに80年代の色だ。このころの家電品の「黒以外にも選べるバリエーション」の定番だ。
さらにモニタの電源が「つまみを引っ張る」だったことに一同、頭の隅で消えかけていた無駄な記憶をくすぐられて、滅茶苦茶もぞがゆく!
お絵かきソフト『グラフィックマスターラボ』はSNSで呼びかけた人から貸してもらったのだが……このタイトル画面がまたいい!
先述の「横8ドットの制限」を巧妙に避けての精緻な描画に、ぐっとくる(馬の手綱が横にまっすぐなところなどに涙ぐましい工夫を感じずにいられるか)!
しかし、ぐっときている場合ではないので
「鶴谷さん、お願いします!」早速、描きはじめてもらう。
開始はスペースキーだろうと押したら、めちゃくちゃ大きなメロディが流れて一同驚いた。