文字がない時代の営みを、モノを通して好きに言う
茨城県の古墳から見つかった土器を、「茨城の土器じゃない」と言う樫村さん。一体どういうことだろう。
樫村さん:
土はうち(茨城)の土だと思う。でも土器の形は茨城っぽくないんだな。だからこれはよそから移動してきた人が、作ったんだろうと思いますよ。
樫村さん:
別の調査現場では、千葉県で主だった加曽利式土器の他に茨城県・千葉県北部に特徴的な阿玉台式土器、さらに長野県の勝坂式土器が一緒に出てくるなんてこともある。これがなにを意味しているか。物々交換ですよ。
石川さん:
物々交換?
樫村さん:
長野の人たちは刃物に使う黒曜石を、茨城の人たちは塩や海産物をそれぞれ土器に詰めて交換したわけです。
我が家にも、自分で買ったタッパーのほかに、いつの間にか実家からのお裾分けやら、友達の家で借りたやつやら、てんでバラバラのタッパーが集まっていたりする。それと同じことだろうか。
でもそれが、県を跨いで、地図も車も道も、言葉もない時代に行われていたとなるとミッションインポッシブルすぎるだろう。わたしだったら、ここからつくば駅まで地図無しで帰れと言われてもぜったいにたどり着けない!
樫村さん:
これが我々が退化して失ってしまった動物的勘ですねえ。
3yk:
それにしても、土器ひとつで、ここまで暮らしぶりがわかるものなんですね。
樫村さん:
たとえば、一般に弥生土器といえば、装飾のないすべすべした様子を思い浮かべますが、茨城や東北は弥生時代に入っても縄目模様の土器を作り続けていたことが調査からわかっています。
九州地方では稲作が始まって、煮炊きをするようになって土器の形状や装飾具合も変わっていったけれど、こちらの人々はわざわざ稲作をしなくても採集で食生活は事足りていた。だから新しい文化がなかなか入ってこなかったのでしょう。
樫村さん:
新潟県の特徴的な火焔型土器、あれは長い冬のあいだ、やることがない人々が装飾に凝ったんじゃないかとされています。厳しい寒さに、炎が恋しくなって早く春よ来いと。そういう願いであんな形に飾ったんだろうと。
お話を聞くうち、目の前の欠片がひとつずつ、ピカピカと光っているように見えてきた。
手に取った欠片が組み合わさったときの興奮よ!すごいすごい、手の中で物語が再生されようとしているのだ。これはたまらない。ひとつまるっと復元できたらそれはもう嬉しいだろうなあ。
足りないピースを補う執念
とはいえ、土器が完璧に復元できることは稀で、大体どこかが欠けて不完全なものが多い。欠片では想像できない様子を補うのが次の工程である補修作業だ。
石膏や、歯医者さんでつかう型取り剤を用いるのだそうだ。補填した箇所をわかるように白いままにするか、鑑賞のノイズにならないように土器に合わせて着色するか、専門家の中でも議論されていることが色々とあるらしい。
こんな!ほんの数cm!!これから土器の展示を見るときは、その復元に関わったひとたちの粘り強さと胆力にも思いを馳せてほしい。わたしもきっと、土器を見るたびに思い出すことだろう。
土器を隅々まで知り尽くす
遺跡を発掘し、遺物の整理や修復が終わって、最後にはそれらすべてを記録にまとめるという作業が待っている。
記録するのは出土品だけではない。
こうして締切と探究心の狭間で戦い作り上げたのが報告書である(しかもこの報告書、図書館で気軽に読めるからすごい)
石川さん:
情報量が凄まじいですね……!!
3yk:
あっ、この報告書の場所、仕事でよく通りますよ。バンバン家が建って人口も増えて、今年新しく小学校も開校した地域です。
3yk:
あれ?ということは、発掘した遺跡はもう残っていないんですか?
本橋さん:
そうですね、遺跡は調査したあとは更地になります。遺跡を壊さなければならない場所だからこそ、わたしたちは発掘調査をするんです。