食べ比べてみよう
調べてみたら、富士そばは関東近郊圏を中心に130店舗ほどがあるらしい。海外にも店舗がある。そんな規模のチェーンで、街ごとに味が違う、とはどういうことだろう。
やってきたのは、富士そば五反田店。
出汁が体に染みる。夜に食べたのだが、この出汁の濃さが、疲れた体にいい。
夜のかけそばは、きっとどんな人の五臓六腑にも染みている。
ああ、だからこの出汁の濃さなのか、と一人納得する。
そばを食べていると聞こえてくるのが、おなじみの演歌。何の曲だと思って耳を傾ける。
藤圭子の「圭子の夢は夜開く」だった。
夜の五反田によく似合う。歌詞が耳に入る。
「夜咲くネオンは 嘘の花 嘘を肴に酒をくみゃ 夢は夜開く」
嘘を肴に酒を飲む。
そばの出汁が、酒のアテになる。ここは、五反田にいる人びとの心を癒してくれる、オアシスだ。
五反田の夜に花開く一杯のかけそばは、五反田の人々の姿を映し出している。
たしかに違う
次の日、私はたまたま自由が丘にいた。せっかくだから富士そばに行こう。食べ比べよう。
都内屈指のお洒落タウン。住みたい街ランキング上位の常連。
ある種のいかがわしさに包まれた五反田とは、対照的だ。
五反田と比べると出汁があっさりしている。店内は圧倒的に女性客が多い。もしや、女性客に合わせて、出汁の濃さをあっさりめにしているのか?
流れているには流れているが、ずいぶん音量が小さい。もしかしたら、これも女性客の多さに配慮してのことかもしれない。
演歌が流れていないだけで、かけそばの味もあっさりに感じるから不思議だ。
たしかに違う。五反田と、自由が丘では、かけそばの味が違うのだ。たぶんそれは、出汁の濃さと演歌の有無だろう。そしてそれらは、2つの街の雰囲気を映し出している。
かけそばとの対話
今まで富士そばの街ごとの差なんて、ほとんど意識したことがなかった。でも、富士そばを全身で、五感で、じっくり感じると、ずいぶん違いがある。
富士そばの一杯のかけそばは、街を写す鏡なのかもしれない。
どんぶりの中には、どんな街の姿が映っているのだろうか。
富士そばとの対話は始まったばかりだ。
五反田店
・出汁が濃い(気がした)
・演歌の音量が大きい
・総じて、歓楽街向けなのではないか
自由が丘店
・出汁はあっさり
・女性客が多め
・演歌の音量が小さい
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富士そば池袋店
池袋駅にきた。池袋駅周辺には、富士そばが3店舗ある。その細かな違いを知りたくて来たのだ。
私が初めて富士そばに入ったのはこの池袋だった。
それは、池袋駅東口から歩いて数分の場所にある「名代富士そば 池袋店」。
初めて富士そばを食べたのはいつだっただろう。たしか、小学生ぐらいだったと思うが、何年も経って富士そばの食べ比べをしているなんて頭の片隅にさえなかったろう。
当時は気づかなかったことが、ずっとよく見えてくる。
これが成長なのかもしれない。
例えば、店頭に書いてある「乱切りそば」。
疑問を抱きつつ、懐かしの店内に入ってみる。
たしかに、券売機には「乱切りかけ」とか「乱切りもり」といったメニューが書いてある。ここでは、普通のかけそばも「乱切りかけ」になるらしい。
乱切りとは、そばがさまざまな太さで切られているもので、そうすることによってそばの風味をより豊かに感じることができるらしい。
食べてみよう。
たしかに、そばの風味が普通とは違う。蕎麦の風味が強くきわだつ、そんな一品である。
実は富士そば池袋店の裏手には、昨年大規模に再開発された一帯があって、そこにオフィスビルなども多くある。彼らは、そこで働いている人たちかもしれない。
さながら、ここは大手町か、丸の内のよう。働く大人の強い味方としての富士そば。その原点の味がここにある。私の富士そばの原点もここから始まったと思うと、感慨深い。
富士そば池袋駅東口店
ここから歩いて数百メートルぐらいのところに、また別の富士そばがある。
その名も、「名代富士そば 池袋東口店」。
「池袋店」とは違うのだ。
富士そばを運営しているダイタングループはいくつかの子会社があり、それらが独自に出店場所を決めるため、近い場所での出店が行われることもある。
ここは、普通のかけそばを提供しているらしい。
先ほどの店舗に比べるとおしゃれな内装をしていて、テーブル席なども充実しているから、さきほどサラリーマンの中で感じた喧騒はそこまでない。
どちらかといえば、落ち着けるような店内だ。
乱切りの風味もいいが、やはり普通のかけそばのスッキリ感もいい。乱切りが、ツウ向けだとしたら、こちらは万人に受け入れられる味といったところだろう。
そう思って考えると、メニューも、池袋駅東口店の方が多種多様である。
この、万人に受け入れられやすい感じはどこからきているのだろう。
そうか、と思って私は机に大きく地図を広げた。
実は富士そば池袋駅東口店、池袋店と比べると、少しだけサンシャインシティに近いのである。サンシャインシティは、家族連れやカップルに人気のレジャー施設。そして池袋駅からそこへ向かうサンシャイン通りは、いつも多くの人で賑わっている。
つまり、よりバラエティー豊かな人が訪れるのが「池袋東口店」なのだ。だからこそ、万人に受け入れられやすい味と、いろいろなメニューを取り揃えているのかもしれない。
この数百メートルの差が2つの富士そばの雰囲気や味を変えるのではないか。
富士そば巡りの奥深さが少しずつわかってくる。
富士そば池袋駅西口店
池袋にあるもう一つ富士そばが「池袋駅西口店」。
この富士そばは随分とストロングスタイル。
なぜこんなにガッツリなのか。そうか、池袋駅西口の近くには、立教大学がある。もしかしたら、これは学生向けの商品なのかもしれない。
ある人が、池袋には街の全てがある、と言っていた。学生街から歓楽街、そしてオフィス街……。雑多で、多様性に満ちている池袋。
そしてそれに合わせるようにして、富士そばも同じ池袋でありながら、絶妙に形を変え続けている。富士そばが同じ街でたくさんの店を出していることが、その多様性を映しだす。
富士そばは、街の微妙な変化も見逃さない。
少しそばを食べすぎた。
落語の「そば清」を思い出す。そば食い競争をする男の話だ。池袋西口店を出てふと横を見ると、落語の寄席「池袋演芸場」があった。落語でも聞いて帰ろうか。
池袋店
・乱切りそばの風味が良い
・土地柄、サラリーマンが多い
池袋駅東口店
・あっさり食べられる美味しいおそば
・バラエティー豊かな人を受け入れてくれる懐の広さ
池袋駅西口店
・がっつりストロングスタイル
・立教大学の学生向けの味かもしれない
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漱石が変えるそばの味
さて、富士そばの街ごとの違いがだんだんと鮮明になってきた。
ここで趣向を変えて、一風変わった富士そばを食べに行ってみよう。
水戸徳川家の屋敷跡に作られた小石川後楽園。今では、東京ドームシティの遊園地で多くの人が賑わう、その近くに富士そば水道橋店はある。
かけそばを注文。到着まで店内をきょろきょろ見ていると、面白いものを発見した。
夏目漱石の名作『吾輩は猫である』の文章だ。小説の登場人物に言わせた揶揄まじりのセリフだが、それが書として飾ってある。なぜ、漱石か。
実は、水道橋店の周りには漱石ゆかりの地が多い。
近くに「吾輩は猫である」の碑があるし、足を伸ばせば漱石の旧宅もある。『吾輩は猫である』の書が飾ってあるのも、気まぐれではない。
文章によれば、そばは噛んで食べるのは風流ではないらしい。
一気呵成にそばをすすり上げる。なるほど、ちまちま噛んで食べるより、そばの風味が一気に鼻に抜ける。漱石の指南もあってか、いつもよりそばの風味を強く感じる一杯となった。
水道橋店のかけそばは、そばの風味をよく感じる。
傍に漱石がいた。彼の視線を受けながらそばを食べる。
水道橋店の味は、漱石の言葉で様変わり。いわば、漱石は水道橋店のそば職人だ。言葉はときに、最良の料理人なのだ。
料亭の記憶が流れる王子店
あるいは、東京北区は富士そば王子店。
またかけそばを注文。
どこかほっとする味である。この暖かさはなんだろうと思ったら、他の店よりもツユが熱いのだ。
なるほど、周りを見てみると、他の店に比べてゆっくりと食事を楽しんでいる人が多い気がする。
このやすらぎはどこから来るのだろう。
そう思って考えてみると、はっと気づいたのは、富士そば王子店の立地だった。
実はここには昔、江戸でも有数の料亭である、「扇屋(おうぎや)」があったのだ。
王子は、明治時代に日本へ来た外国人によって「日本のリッチモンド」と呼ばれていた(リッチモンドはロンドン郊外にある自然が美しい観光地)。
江戸時代から明治時代にかけての王子はそれほど自然が美しい観光地だったのだ。
江戸から日帰りで行ける観光地として人気で、休日になると、江戸からさまざまな人が集まり、余暇を楽しんだ。今でいうと、熱海や湯河原といったところだろうか。
そうか、ここは昔の料亭。
今も昔もこの地で食事を食べる人は、風光明媚な自然に身を委ねながら、ゆっくりと料理の味を楽しんだのである。
富士そば王子店には、料亭としての土地の記憶が流れ続けている。
富士そばの味を変えるもの
それぞれの富士そばの味は、ツユの濃さと、そばの風味だけで決まるのではない。
そばを食べる人、街や店舗の雰囲気、そして街を取り巻く歴史がその味を変えていくのだ。
きっと、それが富士そばの街ごとでの味の違いになっていくのではないか。
そして次に紹介するのは、そんな街の歴史が富士そばの味を特異なものにしてしまった、そんな店舗である。
水道橋店
・夏目漱石ゆかりの街で食べるそば
・漱石の言葉を見ながら食べると味が変化する
・結果、そばの風味を強く感じる一杯に
王子店
・ツユが他の店よりも熱い(気がした)
・他のお客さんも、みんなゆったりしている
・かつての料亭「扇屋」の記憶が流れているのかもしれない
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浦安店のはなし
千葉県の浦安は、東京ディズニーランドがある街。かつては漁師町として栄えたが、今では東京のベッドタウンとしての役割が大きい。ディズニーランドがあるとはいっても、浦安駅前にはごく一般的な、住み良い住宅街が広がっている。
しかし、よく耳をすませてみよう。店内には、浦安からの呼び声がたしかに聞こえてくるはずなのだ。
例えば、この張り紙はなんだろう。
このメニュー、他の店では見たことがない。なぜあるのか。
食べてみよう。
すぐさま、私は気付いてしまった。
そう、出汁のかつおぶしが濃いのだ。風味が、今までの店とは比べ物にならないくらい違う。
あさり丼に、かつおぶしが濃いツユ……。
一体これらは、私たちになにを訴えかけているのだろう。
漁師町、浦安
最初にちらりと書いたが、実は浦安、かつては一大漁師町だったという。
1971年に漁業権を放棄して以来、大きな産業としての漁業は見られないが、今でも、漁師町のなごりは残っている。
それが、越後屋蛤店だ。
焼き蛤や焼きあさりは浦安の名物だそうで、越後屋蛤店はその歴史を物語る。
そう思うと、メニューに「あさり丼」があったのも、うなずける。浦安ならではのメニューだったのだ。
あるいはそこに、かつての漁師たちの面影を見ることも難しくはない。
その面影が、ツユにも影響してしまうのだ。
富士そばのかつおぶしは、種類こそ2種類(東京の阿部鰹節株式会社と静岡の小林食品株式会社)だが、その量は店ごとに変わるという。店ごとの味の違いは、ここから生まれるのではないか。
そして、漁師たちの亡霊は、富士そば浦安店のかけそばに、かつおぶしを多く投入させるのだ。それはあたかも、漁師たちが自分たちの存在に気がついて欲しいかのように。
しかし、もうひとつ、決定的な亡霊がいる。
漁師と猫の亡霊が
富士そば浦安店のすぐ近くに、「猫実(ねこざね)」という変わった地名がある。
鎌倉時代、この辺りに津波が多いため、その防潮堤として植えられていた松の木に「根来さね」(根のところまで水が来ないでください)と込められた願いが地名となり、それが転じて、「猫実」という可愛らしい地名に変化したのだという。
しかし、普通に考えて「根来さね」が「猫実」に変化する理由がわからない。
ここで私はひとつの仮説を考えてみた。
浦安はもしかすると、猫の亡霊にも取り憑かれているのではないだろうか。
その猫の面影こそが、「根来」を「猫」に変えた。
そして猫である。
猫なのだ。
猫。
そう、猫といえばかつおぶしである。
この猫の亡霊こそ、富士そば浦安店のかつおぶしの風味を濃くしているもう一つの原因ではないだろうか。
驚くべきことに、そう考えるとすべてのつじつまが合うのだ。
なぜなら、猫はかつおぶしが好きだからだ。猫がそばを食べる場合も、かつおぶしが濃いほうがいいに決まっている。
漁師と猫の面影こそ、富士そば浦安店のかけそばの味を決めている。
浦安の歴史について、私は何も知らなかったし、まさかこれほどまでに調べることになるとも思わなかった。
しかし、富士そばのかけそばが私に、歴史の扉を開いてくれたのである。
富士そば、恐るべしである。
浦安店
・ツユのかつおぶしが濃い
・漁業の街の歴史を受け継いでいるのだろう
・漁師と猫の亡霊が、かつおぶしの量を増やしている
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そろそろ紙面も尽きてきたようだ。富士そばをめぐるこの旅にも終止符を打とう。
最後にめぐるとしたらどこか。今まで訪ねたことのない遠い富士そば。
そうだ、川越なんてどうだろう。
オーソドックスな川越店
小江戸と呼ばれ、都内からの観光客が多い川越。川越駅から歩いて数分のところに「富士そば川越店」がある。
小江戸でそばなんて、粋な計らいだ。
食べてみると、非常にオーソドックスなかけそば。富士そばは元々、「夜でも安心してそばが食べられる場所を」という現会長の思いから創業されたそうだが、まさにその「安心の味」がする。
これぞ、富士そば。いつでもどこでも同じ安心感があるのだ。
いや、しかしちょっと待てよ。
同じ味では、連載的にまずいのではないか?
私の脳裏に一点の不安が立ち込める。
北方最前線、川越店
しかし、私ははっと気づき、地図を広げた。
そう、富士そば川越店、富士そば全店の中でもっとも北にある富士そばなのだ(※執筆時。現在は、日本の最北端「北海道」に富士そばが誕生した。このあとも川越店=富士そばの北限ということでなんやかんや言ってますが、ご笑覧ください)。富士そばが出店している範囲を「富士そば圏」とするなら、いわばその境界にあたるのが川越店なのだ。
では、富士そば川越店が富士そば圏の北限にあることはなにを意味しているのか。それを知るためには、川越の歴史をたどらねばならない。
川越は、川越城を基点として鎌倉時代から権勢を誇った都市。江戸時代には江戸幕府の「北の守り」としての役割を担った。「江戸」を背後からしっかり守るのが川越の役目だった。
それは、富士そばでも同じなのではないか。
つまり、川越店では最もオーソドックスなそばを提供することにより、東京を中心として広がる富士そば圏を、その境界線上でしっかりと守っているのである。
いわば、富士そばの守護を担うのが、この富士そば川越店だとはいえないだろうか。
だからこそ、川越の富士そばはどっしり、威風堂々とオーソドックスでなくてはならない。
境界線上の富士そば、再び
もう一度、地図を広げる。あるいは、ホームページを。
いま、私は富士そばの北限にいる。そうすると気になるのは、南の端の富士そば。いわば、もう一つの境界線上の富士そばだ。
それはどこか。
藤沢である。
これは、行くしかない。もう一つの境界線上の富士そばである藤沢店はどうなっているのか。
なんともオシャレな富士そばだ。
そばを頼む。
味はといえば、乱切りそばの風味がよく、まさに新時代の富士そばだ、とでもいわんばかり。味や店内、すべてにおいてどこか進取の精神を感じる富士そばだ。新しい風が吹く。
革新の富士そば?
単純に新しい富士そばの店舗だということもできるが、川越店と比較してみればその特徴をもっと深く見ることができる。
川越が、江戸の守りとしてオーソドックスな富士そばを守り継いでいるのだとすれば、藤沢の富士そばは、そんな富士そばに新風をもたらす革新の富士そばだ。
富士そば圏の境界を担う2つの店舗は、このようにして富士そばを支えているのかもしれない。
川越店
・富士そばの北限
・オーソドックスな味
・江戸の守りとして栄えた街であるため、富士そばの味も守り継いでいるのではないか
藤沢店
・富士そばの南限
・乱切りそばの新しい味
・富士そばに革新をもたらす進取の店舗
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変わらない部分と変わる部分
変わらない部分と変わる部分。
最後に訪れた川越店と藤沢店で感じたその2つは、どちらがいいというものではなく、両方あって安定する。
思えば、この連載で巡ってきた店舗のかけそばは、たしかに大体は同じような味をしていたかもしれないが、細かい部分で意外なほどに差があった。
私はその差をめぐってきたわけだが、どの店舗にも流れていたのは、変わらない部分の安心感でもある。
その2つがあってこそ、富士そばは富士そばなのである。
北限と南限の富士そば、そして様々に回ってきた富士そばは、私にそれを教えてくれたような気がする。
藤沢で私は、そんなことを考えていた。
かけそばは、空になっていた。