特集 2020年2月11日

良い景色を前にして踊ろう

旅先で良い景色を前に、ただ写真を撮ってないか。踊るという選択肢もあるのだ

良い景色を前に私達は何をすべきか。

カメラが普及してからは写真を撮ってきたわけだが、かつて自分の思い出としていた写真は今や他人に見せるものになった。目的が変わったのにやってることは同じでいいのだろうか。

スケッチがいいと聞いた。記憶によく残るらしい。古くからは俳句を詠んだりしてたわけだ。「都庁来庁記念」の観光スタンプだってその一つだろう。ここに踊るという選択肢も加えたい。

2006年より参加。興味対象がユーモアにあり動画を作ったり明日のアーという舞台を作ったり。

前の記事:雪の宿をなめると聴こえる雪の宿の音

> 個人サイト Twitter(@ohkitashigeto) 明日のアー

SNSをながめていると引っかかってる人がタイムラインに流れてきた。

引っかかっているぞと思った。そういえばこういうことを最近してないなとも思った。大人になると人は街に引っかかったりしない。

彼らは白井愛咲さんとKEKEさんの二人によるアグネス吉井というダンスのユニットである。

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KEKEさんと白井愛咲さんによるダンスユニット「アグネス吉井」下高井戸に来てもらう
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街歩きの一つとしてダンス

アグネス吉井の二人のメインの活動は人前で踊ることではなく、街歩き×ダンスの活動「もやよし(※)」をWEBに載せることだそうだ。その中の動画の記録がSNSに流れてきたのだった。

「ふだんは路線図見てなにかありそうだなと思ったところを下調べもせずに来てますね」という。今日は筆者の土地勘のある下高井戸に来てもらった。

※もやよしとは『モヤモヤさまぁ~ず』のアグネス吉井版であるらしい

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「あ、市場があるね」雰囲気がある場所を探してぶらぶらする

 駅に降りてからぶらぶらと散歩がはじまる。市場を見たり古い建物を見たり、一般的な街歩きである。

「ブラタモリとか好きで影響されてたりするんですけど、専門家のような街歩きの知識があるわけでもないし、フィジカルに街を見るほうに重点を置いてます」という。

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「すごいね。お米屋さん?」「すごいね! 自主米ってなんだろう?」一般的な街歩きというか散歩が行われる
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フィジカルに街を見る

"フィジカルに街を見る"とはどういうことだろう。

「斜めだなーとか曲がってるなーとか」
「ちゃんと調べたら建築法とか背景が出てくるのだろうけど、目に入ってきた形とか地形とかを素直に感じ取るんです」

なるほど、あまり考えずに見たままに反応するということだろうか。でもこの辺りものふつう散歩と大差ないだろう。

「変だね」「これもちょっと変だね」 とここで大きな木の根っこが気になりだした二人。

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「これすごいな、先に木があったのかな」ここまでは一般的な街歩きなのだが
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アグネス吉井はこのあと沿ってみる
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なぜ沿うのか

「我々のよくやることの一つなんですけど、体を沿わせる」
「ほんとそれだけなんですけど(笑)"沿う"っていうのがけっこうあるんですよね」

アグネス吉井はへんな木を見つけて体を沿わせる。それも一つのダンスとして。それを動画や写真に収めてWEB上に掲載する。そうしたダンス×街歩きがアグネス吉井のもやよしの活動なのだという。

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変わった形の公園にてアグネス吉井は立ってみる

玉川上水公園にはちょっと大きな遊具がたくさんある。二人はやはり気になっているようだ。

「どうだろう、このコースを周回するっていうのは…?」
「でもけっこう大きいからさあ」
「……」
「……巡礼とかやる?」
「よし、巡礼やるか」
「ハイスピード巡礼」
「それやってみようか」
「ハイスピードだとかつぐやつがいいのかな」
「やってみようか」

一体なんなんだ、ハイスピード巡礼のかつぐやつとは…!

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アグネス吉井はかついで回る。これがハイスピード巡礼のかつぐやつか

 

一体どうしたんだ!?と思っていたが、話を聞くとこのような動きにも理由があるという

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自分でなく、場所を見せたい

そもそもアグネス吉井の二人はどうしてこういうダンスになっていったのだろうか

「場所のよさを見せたいというのを一番重視しているんです」
「この場所の特性が一番映せる動きがなにかなって考えて」
「ちなみにここだとこういうレーンの形だよというので沿って動く。そして長さがあるからそこそこのスピードでいかないと見るのに長くなってしまう」

なるほど、場所の特性が動きを決めているのだ。振り付け by 場所だ。

ちなみにかつがない巡礼はこういう形なんだそうだ。めちゃめちゃ運ばれてるな…

「自分を見てほしいっていう感覚が我々にあんまりなくて」
「たとえば同じ野外のダンスだと『踊ってみた動画』とかありますけど、あれは見せたいのは"私"ですよね」
「私達は"景色"を見せたいので私達のからだは主役じゃなくていいんです」
「これを見てここ、こういう形なんだなって気づいてもらえたらいい」
「変だねって写真だけ撮るのではなくて、ぼくらがカーブを回ることでより強調する」

「蛍光ペンで大事なところに印をつけるみたいな作業ですね」
「ここを見てください、この曲線が、って」

そう言われるとこれはそんな特別なことでもない気がする。タージマハルをつまんだりピサの斜塔を支えて写真撮ったりするやつだ

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「こんなにわくわくしない遊具あるかな…」たしかに地味な色合いの地味な動物であるが、うちの娘は小学校に上がるまで座りまくった遊具である
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「座るとしっくりきた」さすがフィジカルに街を見る派だ

――腑に落ちました。場所の特徴をとらえて際立たせる、それって街歩きの一つの形ですよね。スケッチしたり、俳句詠んだり…

「とはいえやってくうちに言語化されてったところもありますけど」
「最初はただ沿いたい、ただ転がりたいっていうところもあって」

転がるやつ。下が暗渠になっていて流れを示しているようだ 

――あ、それだ! 引っかかってるのを見て、そういえばこういうことしてないなと思って。それって自分でもめちゃめちゃ引っかかりたいんでしょうね

「大人になったらあんまりやらなくなっちゃうんですけど、昔は引っかかってたはずなんですけどね」
「ダンスのいいところは通常やんないことをやっても許されるというのもあると思っていて。やってもいいんだぞと自分でも思えるような。」
「日常の規範から外れるところというか」
「やると楽しいんですよ、けっこう。あんまり地面に寝転がったりしないじゃないですか。普通に暮らしていると」

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白井さんが立っているこの機関車はうちの子供がよく立っていたところだ。筆者もよく立っていた。でもそれは子育てという理由があったからできたことだ

話の流れ上一回やってみましょう、ということになった。アグネス吉井の二人にはこの日「汚れてもいい白い服で来てください」と言われていた。

汚れてもいい白い服とはなにか。そんな禅問答に頭をもっていかれながらも自分で変なことをやれることに少し喜びを感じている。

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ここがいいから大北さんちょっと沿ってみましょうかと提案される

――あの、すいません、これ顔はどういう顔すればいいんですかね……

「景色を見せるために体をつかうので景色の一部みたいな感じですかね」
「もう木になりきってください、私は木ですという」

――木です! 私が木です!!

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「私が木です!!」こうして木になった。感想はない。木は何も思わないから
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木になる昼下がり

今自分は学芸会の木なんかよりもよっぽど木だ。自分でないなにかになるのは基本的に楽しいものだ。

しかし「ちょっと公園行って木になってくるわ」と言い残して父が出ていったらどう思うだろう。これは大いに不安を与える。

なので子供と公園で遊んでいる状況で「ちょっと木になってみる遊びをしよう」と提案したとしよう。これでもだいぶぎりぎりだ。血がつながってなかったら通報されていただろう。

その点、ダンスはいい。木の私が許されている。木に体をそわせながら感じたのは自由のうま味だ。日常の規範という刑務所から出てきたシャバの空気である。

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「ここもわりといいかもしれない」「二人でいけますねこれ」と二人で木になるアグネス吉井の二人。きっと木の気持ちになっているのだろう、わかるよ…

 

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なんでここがこうなっているの?という違和感をピックアップすることが多いという。住宅街に入ったが高級住宅街はおばちゃんが見張りでついてきたり視線が厳しいそうだ

 三人でやらせてもらった。慣れてきた。理屈もわかってきた。だがこうやって動画で見ると(…なんだこんなことしてるんだ!)が蘇ってくる

  

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この2つある飲料用水道が気になったようだ「どうしよう、水を飲む?」「顔で受けたらわかりにくいかな」
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そうして二人が選んだのがこれだ。ただ、目の前にいる

――……今のは動いてないですね。ダンスってこんなに動かないものなんでしょうか?

「うーん、我々が"動かないがち"というのもあるでしょうね…」
「動かなさでいうと、もしかしたら最左翼かもしれない……」
「ダンス動画とか言いながら完全に動かないとかありますしね」
「ダンスなんですか?とはよく聞かれますけど、我々はダンスのつもりでやってますね」

――お客さんを入れてやるような公演はやらないんですか?

「この二人の組み合わせでやろうとすると舞台がむいてなかったんですよね」
「椅子にぎゅーって座ってなんかやってくれるだろって期待されてるなかでやるにはささいすぎちゃった」
「外で踊ってSNSでペラっと見てもらうくらいの距離感がいいかなーって」

 これもダンスだ。心を無にして運ばれていったので感想はない

取材協力 アグネス吉井

 


記念写真からも自由になる

なぜ人は写真に撮られるときにピースをするのだろうか。ピースがお決まりになってることをさっぴいても、この瞬間を残すにおいてピースであることを示したいからだろう。自分の状態を体で表現しているのだ。

これは別に自分の状態でなくてもいいだろう。木の形がおもしろければ木に沿うし、暗渠が流れていれば転がる。踊ってもいいわけである。

「私は平和です」でなくても「ここは大涌谷です」ピサの斜塔は倒れそうです」「これはペンです」を体で示してもいいのだ。

転がったり引っかかったり、踊ることは自由である。自由の何がいいのかというと突き詰めていうとくだらなさが許されるところだ。そもそもが人間が引っかかったりしてくだらないところが良かったのだ。私達ももっと自由に街を転がっていたいし、人が転がってる自由な街を歩きたい。

iPhone11のカメラは3つもついていてダサい。今は転がってるほうに"いいね"がつきますよみなさん。

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