量り売りは楽しいぞ
酒の量り売りっていえばあれだ。モノクロの映画でやつれた顔の男が、人目を忍んで薄暗い店に入り、無言のやり取りで酒を買い求めるような。まあ実際にそんな映画はみたことないのだけど、なんとなくそういうアングラな響きを感じ取ってしまう。しかし一方で、その仄暗い雰囲気に言い知れぬワクワクを感じるのも事実。
大阪きっての飲み屋街、福島エリアにある「タンサンバル ポゴ」さん。飲食店の自粛要請を受けて閑散とした通りにあって、ビカビカに飾った外装が目立つ。モノクロ映画のイメージとは対極だ。
上の写真で喧伝しているように、現在は自慢のカレーを中心にしたテイクアウトの業態で営業されているのだが、普段は個性豊かなクラフトビールを常時10種類近く取り扱うビール専門店だ。店先にディスプレイされた、生ビールを注ぐためのハンドルがそれを物語っている。いいな。かっこいいな。一家に一台は欲しいよな。
そして肝心な情報はこちら。
「樽生クラフトビールもテイクアウトOK!」おおこれだ、本当にやっているぞ…!
店舗の外装に輪をかけて元気いっぱいな、店長の薗田さんが迎えてくれる(のちほどお話を伺います)。ちなみにこのとき、店内にはカレーのめちゃくちゃいい匂いが漂っていた。晩飯前の無防備な鼻をこれでもかとくすぐってきて、危うく本来の目的を忘れそうになる。あの、カレーじゃなくて、表の看板にあったビールのテイクアウトをお願いしたいのですが…。
この日、量り売り用に用意されていたのは2種類のクラフトビール。「柑橘感が強くジューシーな味わい」か。「トロピカルでドライな仕上がり」か。いやー、どちらも気になるな。だってビールがジューシーですよ。トロピカルですよ。
大手メーカーのスカッと爽快でシンプルなビールももちろんうまい。だがクラフトビールの付け入る隙のないような、過剰な味と香りがおれは大好きだ。幸せな二択に悩む。
しかし、いま悩まなければならないのは、二択どころの騒ぎではない。どれだけの量を買うかという新しい悩みの種もあるのだ。
仕組み上は1ml単位でオーダーできるわけだ。控えめに500mlくらいにして、明日は違う種類を買いに来てもいい。でもせっかくならたっぷりと買って、贅沢感を味わうべきか。えーと値段でいえば、1リットルなら1800円か。毎日一杯ずつ飲むとして、2リットルあれば1週間近く持つな。頭の中でさまざまな計算を巡らせながら、自然と顔がにやついてくる。
量り売りの楽しさは、こうやっていろんな選択肢を思い浮かべながら、うんうんと悩むことにあると思う。
突然ながら、おれは海外旅行では「市場」めぐりが外せない性質だ。
品物が無限に並んでいて、買いたいものを買いたい量だけ注文するという、プリミティブな商習慣に惹きつけられる。10個入りの卵パックや6個入りのチーズを買うときとは違い、脳みその普段使わない部分が活性化されるような不思議な魅力が、量り売りにはあるように思う。
よーし、決めた!今日はせっかくの量り売りなのだ。ここはドンといこうじゃないか。トロピカルなやつを!1500mlください!
ビール専用容器 グラウラー
ところでビールを持ち帰る容器とはどのようなものか。なかなかイメージの湧きにくいところでしょう。こちらです。
グラウラーと申します。ビール専用の水筒をやらせてもらっています。主な特徴としては、保冷力がずば抜けていること。炭酸が抜けにくい特別設計になっていること。
実はこのグラウラー。ずっと前から欲しくて、昨年の冬に安く売っていたのを見つけて衝動買いしてしまったもの。暖かい季節になったら、グラウラーにたっぷりビールを入れてピクニックに出かけよう。キャンプや野球場に持っていってもいいな。そんな夢想をしながら春を心待ちにしていたところに、コロナの直撃だ。おれはいじけた。大いにいじけた。しかしグラウラーもまた、部屋の片隅で埃をかぶっていじけていた。
少し遅くなってしまったが、このたび無事にデビュー戦を迎えさせてあげることができて嬉しい限りだ。
ちなみにグラウラーは、アメリカ発祥の文化。かの地はクラフトビール天国で、都市ごとに小さな醸造所があるし、個人による自家醸造も盛ん。缶やビンに詰めて流通させるほどの生産量ではないところも多く、そんなときにグラウラーが活躍する。市民が醸造所にグラウラーを持って、直接ビールを買い求めるスタイルで、ビールの量り売りが定着しているのだ。うらやましい。
量り売り文化は日本に根付くか
ではお店のシーンに戻り、いよいよグラウラーにビールを注いでもらいます。
「ご注文ありがとうございま~す、1500mlっすね!お待ちください!」
これがビールの冷蔵庫。計器やバルブがずらっと並んでいる。いいな。かっこいいな。これも一家に一台だな…。
グラウラーの内部にアルコールを吹き付けて消毒したら、炭酸ガスを充填する。
いきなり直球の質問で恐縮ですが。量り売りシステム、個人的にはとっても楽しいのですが、売れ行きはどうですか?
「まだ始めて2日目なのでなんとも言えませんけど、そんなにたくさん売れる感じではないですね。カレーとか店で売ってる缶ビールのほうが出てます笑」
自粛要請という苦境の中で始めた量り売りですけど、普段の営業時にも販売するというのはやはり難しいんでしょうか。
「やりたいのはやまやまなんですけどね!結構大変なんですよ、酒類販売の免許をとるのが」
「酒税が絡むのでルールがいろいろややこしくて。ウチでやるにはまず店を改装して、酒販売の専用ブースを新たに確保しなきゃならないんで。あとは免許申請の代行業者を頼むのに30万円くらいかかるのがね…」
おおう、30万かー!酒のテイクアウトには何かしらの許可がいるのだろうと漠然としたイメージはあったが、これは簡単な話ではないな。
となると、本来はそんな煩雑な手続きが必要でありながら、いま薗田さんがビールの販売ができているのは…
「はい!それもやっぱりコロナの関係っすね」
コロナの関係。ここで薗田さんが指摘しているのは、今年4月に制度化された「期限付酒類小売業免許」のことだ。ごく簡単に言えば。行政が飲食店にテイクアウト業態への移行を促すにあたって、飲食店で酒を販売しやすいように規制緩和するよというもの。
これのおかげで飲食店は、比較的簡単に店舗でアルコール販売の許可を得ることができるようになった。フードだけでなく、利益率のいいドリンクが販売できるとあって、即効性のある救済措置だ。
一日も早く店を再開させたかった薗田さんは、税務署での受付開始当日に申し込んだそう。
この特例措置を待ち望んでいた同業者も多く、今では大阪市内のビール専門店でもかなりの割合で量り売りシステムを取り入れ、一斉にスタートさせている。つまり少し大袈裟だが、アメリカ発のビール量り売りが、いま日本で新しい文化として芽吹こうとしているともいえるのだ。
「正直コロナで経営はヤバイんですけどね。でもある意味これもいい機会かなと思って!消費者の方が量り売りでクラフトビールとの新しい接点をもってもらえるのであれば、マイナスばかりでもないかなと。むしろプラス。そう思って僕はやってますね!」
薗田さんのエネルギッシュな前向きさには、ひたすら頭が下がる。最近、アウトドアグッズとしてもグラウラーの人気が高まっていることだし、この勢いのままぜひビールの量り売りが文化として定着すれば、一人のビールファンとしてもこれほど嬉しいことはない。
ただこの特例措置。忘れてはならないのが、「期限付」ということだ。どの店も量り売りが許可されているのは、免許取得からたったの6か月。ルール制定の背景を考えれば致し方ないのだが、一年も経てば、この文化は何事もなかったかのように消え去ってしまうかもしれないのだ。それはもったいなさすぎる。なんとかこの文化、日本でも根付きませんかね…?
「まあ、ハードルは高いと思いますけど、ウチではテイクアウトのビールは、店で飲むよりもかなり安い価格に設定してますよ。5月いっぱいは利益度外視で今よりさらにお安くしようと思うので、とりあえずこの機会に量り売りを試してみてもらえたら嬉しいっすね!!」
押忍、微力ながら応援させていただきます…!
なおビールの量り売りには興味あるが、グラウラーなんて持っていないよと言う方もご安心ください。こちらのお店では、特殊なペットボトルに好きなビールを詰めてくれるシステムもある。これはこれで、新鮮で楽しい。
おれたちはもう缶ビールに縛られない
ビール屋さんからの帰り道。できるだけ揺らさないようにゆっくり自転車を漕ぎながら、しみじみ思う。今日はいい買い物したよな。
不思議なもので、グラウラーのずっしりとした重量を感じながら家路につく間に、ただの水筒にじわじわと愛着が湧いてくる。ビールを満載して命が灯ったグラウラーは、なんかもう「うちの子」って感じなのだ。
さてここからは応援も兼ねて、樽生注ぎたてのビールが家庭の冷蔵庫にある良さをねっちりと語りたい。
執筆時はゴールデンウィークも半ばに差し掛かった頃。自粛ムード一色でかなり味気ない連休になってしまったが、グラウラーがやってきてからは、途端に生活が華やいだような気がする。冷蔵庫にビールがたっぷりあるだけで、人は幸せで穏やかな気持ちになるのだ。
薗田さんによれば持ち帰った当日は泡が立って状態がよくないということなので、この日は大人しく寝かせておいてあげた。
そして翌日の夕方。まだ日が高い時間帯だが、満を持して開栓する。買ってきたビールは「セゾン」と呼ばれるタイプ。ベルギービールの一種で、通常は暑い季節に飲むために仕込まれる。折しもこの日の関西地方は、5月上旬だというのに各地で夏日を迎えた。セゾンを飲むには絶好の気候というわけだ。
この陽気。この気持ちのいい風。本来なら公園に連れ出してやりたいところだが。せめてもの親心でベランダに出してあげた。
留め具に手をかけると、隙間からバシュッ!!と勢いよく炭酸ガスが弾けだして、樹脂のフタを思い切り跳ね上げる。はっはっは、あんまりはしゃぎすぎるんじゃないぞ。
トロピカルでスパイシーな香りがふんわりと立ちのぼる。
記念すべき一杯目。うちの子の晴れ舞台にふさわしく、パイントグラス(約470ml)と呼ばれる大きなビールグラスになみなみ注いだ。ではいただきまーす。
あまりのうまさに恐れ慄いた。なんだこれは。この味は言葉では形容しきれないが、グレープフルーツと梨が樹上で完熟して、いよいよ腐り落ちる寸前。両方の果実から滲み出てきた果汁の最初の一滴が、発酵しかけたパイナップルの果肉に落ちてきたような。そんな奇跡のうまさだった。
このあと、不可抗力的に一瞬で干してしまった。すぐさま、おかわり!といきたい。が、欲望にまかせて飲んでしまうと、今日中に1.5リットルを空にしてしまう自信がある。それはダメだ。このビールは長くゆっくり楽しむべきなのだ。
悩んだ末に、結局グラウラーの柔軟性に少しだけ甘えることになった(約150ml)。でも、缶やボトルではこうはいかないぜ。いま飲みたい分だけ飲む。この懐の深さがグラウラーのよさなのだ。
翌日のランチ。近所のカレーをテイクアウトした。スパイシーなカレーにはビールが合うのは言うまでもない。
だが、この食事における主役はあくまでもカレー。ここでビールがでしゃばりすぎるのは品がない。
そう、今は足つきのグラスでランチに華を添えるくらいがちょうどいいのだ(約250ml)。これはお店で頼むグラスビールのサイズ感だな。飲食店ではグラスビールってジョッキにくらべて割高だから、卑しい損得勘定が働いてなかなか頼まないのだけど、今日はグラスビールをチョイスできる心の余裕がある。
その夜はオンライン飲み会。ただ所用があって1時間たらずで中座しなくてはならない。そんなときにお供させるべきビールは、350ml缶か。あるいは500ml缶か。
これがおれの答えだ。
そもそも、この「350mlか500mlか問題」というのはなかなかに根が深い。日本中のコンビニでは毎晩、数百万の大人たちがこの問題に答えを出そうと頭を悩ませている。決断には多岐にわたるパラメータが絡むせいだ。曜日、飲み始めの時間、その日の体調、一日の仕事の達成度、懐事情、おつまみの塩分、家族の機嫌、翌朝の起床時間、翌朝の会議の面倒くささ、翌朝の会社のいきたくなさ…
これらすべてを子細検討、勘案熟慮し、ディシジョンメイクするわけだが、それに対してコンビニからの選択肢はたったの2つ。いいのか?本当にそんなことでいいのか?
本来、100人いれば、100通りの晩酌があるのだ。この多様性の時代に、グラウラーは「好きな量だけ飲めばよろしい」と自決の権利を与えてくれる。おれたちはもう四角四面な缶ビールに縛られることはないのだ。
今度はぜひ青空の下で
…つい熱が入ったが、なんとなく伝わっただろうか。とにかく。グラウラーが自宅の冷蔵庫にあるということは、いつでも"ちょうどいい"ビールを飲んでいいということなのだ。フレキシブルに、過不足なくおれのビール欲を満たしてくれる。
ただこうしてちょこちょことビールを楽しむたびに、グラウラーの中身が確実に軽くなっていくのを感じていた。飲めば減る。そんなのは当たり前のことなのだが、どうしても切ない気持ちになる。
テイクアウトから4日目の夕方。持ち上げた手応えから、いよいよお別れのときだと悟る。フタを開けると、健気で控えめな、プシッという炭酸ガスの音。
初日に感じたフレッシュな香りも、すっかりはかないものになってしまった。それでもどうにか、繊細な風味を閉じ込めようとしてくれていたのだね。ありがとう。おかげで最後まで楽しく飲むことができたよ、グラウラー。近いうちに、今度は青空の下に連れて行ってやるからな。
疫病により刻々と社会の状況が変化しているが、そのたびに新たなキーワードも生まれる。この記事を書いてるうちに飛び出してきたのは"新しい生活様式"だ。もちろん政府発表のそれには含まれていないだろうが、おれとしては「ビールは量り売りでテイクアウトするのもアリ」という生活様式も提唱しておきたい。国民の皆さまにおかれましては、ぜひ機会があれば実践よろしくお願いします。
大変な状況の中、取材協力いただいたお店はこちら。
タンサンバル ポゴ
大阪市福島区福島2丁目9−10
https://www.instagram.com/tansanbar.pogo