9:00 音楽と共に目覚める
2026年7月27日、仕事が休みの月曜日。朝9時過ぎ。私はiphoneのアラームと共に目を覚ました。
こうやって今日一日、曲が聞こえたらひたすらカウントしていく。「そもそも“曲”の定義とは?」等、ややこしい問題も浮上したが、独断と偏見で今回は以下のようにルールを設定した。
・曲が聞こえたらカウンターを押す。長くても短くても1曲は1曲
・メロディの抑揚があって少なくとも1小節以上あるものを曲とする(あくまで今回は)
・よって「ピピピッ」「チーン」などの効果音はカウントしない
私はiphoneのアラームに効果音ではなく不穏なメロディを選択しているので、曲としてカウントしたわけだ。
10:15 テレビという名のジュークボックス
だが見事に二度寝してしまい、いつの間にか10時15分になっていた。まずい。11時から映画を予約してるのに。慌てて布団から飛び出る。
番組もCMもほんの数秒で目まぐるしく曲が変わる。映画に遅刻しそうなのに、カウントに忙殺され身支度ができない。「頼む!」。妻にカウンターを託した。
しかし、妻は曲が変わっているのにボーっとテレビを見ていて全然気付かない。服にアイロンかけながら「ほら!曲変わってるじゃん!カウンター押して!」と指示していたら、「なんでこんなことやらなきゃいけないの!」と不機嫌になってしまった。
「ギャーッ!」。不穏な空気が流れるリビングに、突然妻の叫び声が響いた。何故か彼女の首元にてんとう虫が止まっていたのだ。振り払われて転がり落ちたてんとう虫を外に逃がしたりしているうちに、2曲くらいカウントし忘れたっぽい。この調査、厳密にやろうとすると相当大変だ。
10:50 地下鉄
最寄り駅まで走っていくと、幸いちょうど電車が来た。映画館のある日比谷駅までは5駅。駅に着くたびに発車メロディが聞こえてくるので自動的に5曲追加、と思ったのだが、駅によっては反対のホームの発車メロディも聞こえてきて2カウントになることもある。やはり気が抜けない。
ちなみに近くの人のヘッドフォンから音漏れなど聞こえてきたらそれもカウントしようと思っていたがそういうこともなく、発車メロディ以外は静かだった。
11:10 曲の洪水
日比谷駅に到着したのが10時59分。予告編があるので映画本編は11時15分くらいに始まるはず。ギリ間に合うぞ。駅構内を急ぐ。
しかしビックカメラに入店した途端、驚いた。
店内のBGMや商品の宣伝用モニターから聞こえてくる曲が音の塊となって襲い掛かってきた。多分15曲くらい同時に流れてるのではないか?しかし個別には認識できないので、曲として“聞こえて”はいない。はっきり認識できたものだけをカウントしたら意外に数は伸びなかった。
11:15 映画
映画館に飛び込むとまだ予告編を上映していた。良かった。間に合った。
着席した途端、角川映画祭の予告編と共に『セーラー服と機関銃』『Woman "Wの悲劇"より』などが矢継ぎ早に流れてきた。(そっか。映画音楽もカウントしなきゃいけないんだ…)。今日だけは映画を見ない方が良かった気がするが、いつもの休日を過ごすことが大事なのだ。
『デッド・マンズ・ワイヤー』は70年代アメリカで実際に起きた事件をもとにした作品で、約100分間、常に緊張状態が続く作品だった。しかし常に曲のことを意識している私は、終始違う意味の緊張感を強いられていた。せっかくの映画鑑賞が台無しだ。
だが図らずも「映画にとって音楽とは何か?」ということをあらためて学ぶ機会にもなった。曲が流れる、止まるタイミングを意識していると、監督や映画音楽作曲家の演出意図が理解できる。でもそんなこと考えずにのめり込んで見たいので、もう二度とやりません。
13:20 コメダ珈琲の意外な一面
次の予定まで2時間ほどある。腹も減ったし書いておきたい原稿もあったので、コメダ珈琲に入った。
店内BGMが変わるたびにカウンターを押していると、意外なことに気付いた。例えばドトールは選曲のセンスの良さがたびたび話題になるが、コメダもボサノバを中心に適当な選曲をしていないのが伝わってくる。コメダって意外にブラジル感を大事にしてるんだな。
しかしカウントが忙しくて、ノートPCを出す暇すらない。結局カツサンド食ってカウンターをカチカチ押してるだけの90分になってしまった。


