おれたちはココアのことを何も知らない
ココアを最後に飲んだのはいつのことだろう。記憶の限りでは小学生の頃、バンホーテン?の粉を買ってもらい何杯か飲んでみた覚えがあるくらいだ。もしかするとおれは人生で数杯しかココアを飲んだことしかないのかもしれない。
そもそもココアってどう作られてるんだ。思い出のバンホーテンのあの粉はなんなんだ。というかココアってなんなんだ。
考えれば考えるほどおれはココアに対して無知であるのだが、そんな疑問は一切解決させずにコーヒー屋をまわってみようと思う。
例えばパソコンがどう動いているのか知らずとも我々はその利益を享受できる。それと同じなのだ。
ココアを頼むとクリームをつけてもらえる
まず初めに来たのはタリーズだ。タリーズとドトールをいまいち区別できていない人は手を挙げてほしい。先生もそうだから、恥ずかしがらずに。
入ってすぐにメニューをチェック。正直どのコーヒー屋にココアがあるのかよく分かってないんだ。今まで気にしたこともなかったから。
クリーム!クリームである。コーヒーや各種ラテ飲みの方々には想像もつかないかもしれないが、我らコーヒー飲まない党にとってはクリームは気にはなっても手の届かない存在、隣のクラスの噂のあの子なのである。
ついてくるのは当たり前、なんならトッピングをさらに追加するとかしないとかでオモシロオカシクお楽しまれているそれは、「ティー」には決して付属することはない。結果として我々は指を咥えて老若男女がキャッキャするさまを眺めるほかなかったのだ。これがクリーム!
初めてのクリームにテンションが上がりすぎた。飲もう。
いや、肝心なのはココアである。
久しぶりのココアはかなり甘さを優しめにしたチョコレートドリンクといった面持ちだ。記憶の中のココアはもっとガツンとした甘味であったが、時代とともにココアの味も変わっていったのかもしれない。昔のジュースはもっと薄くてな、みたいな話もあると聞く。きっとそれと同じなんだ。
半分くらい飲んだところで、意外と甘さが口の中に蓄積されていることに気付く。ひょっとして甘い?甘いですか?くらいの速度でじわじわと糖分が侵攻を始めている。そうか、量によるこの蓄積を見越した甘さの設定であったか。
でも美味しい。全然飲める。
ドトールのココアは香ばしい
タリーズに行ったらドトールにも行かざるを得まい。繰り返すようにタリーズとドトールは区別がつかず、その実二つで一つのようなものだからだ(おれの中で)。
濃い!明らかにタリーズのココアとは違う味である。甘味だけでなく香ばしさもあり、一口にココアと言っても店によってかなり方向性が違うようだ。
もしかすると子供人気はドトールの方が高いかもしれない。タリーズとドトールはココアで区別すればよかったのか、覚えたぞ。
猿田彦珈琲のココアはあの日のココア
次に向かうは猿田彦珈琲。きっとここにもココアはあるし、おいしいんだろ。そうだろ。
注文時、「無料でクリームをお付けできますが、どうしますか」と聞かれた。そんなことを聞かれて「いや、結構だ」とダンディーぶれる成人男性などいるのだろうか。
「はい、付けてください」。聞き間違えのないようハキハキした声で答えた。
飲んだ瞬間、甘味が脳に直接届いた。甘い。それもただ甘いだけじゃない。記憶の中のココアの甘味とぴたりなのだ。あの日のココアだ!
クリームはじきに溶けてココアと一体化し、甘味ハリキリ100%だった味わいは幾分マイルドに変化した。これもまたタリーズ同様、飲み進めていくにあたっての味の設計がなされているのだ。ココアはエンジニアリングなのかもしれない。
そうじゃないかもしれない。