はじめに
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ライターの地元のうまいものを紹介してもらいます。今回は伊藤健史さんから、地元のイチ推しの食べ物の紹介です。
伊藤健史
厚木は私を離さなかった。
神奈川県厚木市の「とん漬」
わが故郷、神奈川県厚木市がほこる地元グルメといえばB-1グランプリで一躍脚光を浴びた
「シロコロホルモン」だが、そのキャッチーな愛称で知名度を上げていったのは2000年代後半ぐらいからで、古くから地元で厚木の豚といえばやはり名物はとん漬だった。
小田急線本厚木駅の北口を出ると通りの向こうに老舗の波多野とん漬店があり、さらにバスに乗り実家のほうへ向かうと国道129号にぶつかる手前の五叉路の間に見えてくるのがかわいいブタキャラが目印の「肉の田口」本店である。厚木のとん漬といえばこのトトロボディを揺らしてほくそ笑むブタを想起する厚木出身者は私だけではないだろう。
とん漬とは豚肉を特製の味噌に漬け込んだもので、そのルーツは江戸末期にあるという。当時の武士は、牛・豚・イノシシなど四つ足の肉を食べることを嫌っていたが、ある時、荻野山中藩(現在の厚木市近辺)に大勢が集まり、料理が不足してしまった。やばいとなって、そうだ、何の肉かわからなくすればいいんじゃね?とイノシシの肉に味噌を塗り焼いて出したところ大好評だったのが始まりらしい。「うまいねえ!ところでこれ何の肉よ?」とかならなかったのだろうか。
やがて文明が開花して厚木では養豚業がさかんとなり、とん漬けも名物となった。
そんなわけで厚木で育ったぼくのソウル・フードなんですよ、と言いたいところだが実はずっと食べたことがなくて、幼い頃からバスの車内放送で、どこどこのとん漬け欲しけりゃここで降りろと耳にし、町に出てはとん漬けの看板をがんがん目にしていたが家の食事で出たこともなかったし、周りの友人知人で食べたという者もいなかった。
地元の人間はあまり名物を食べないというやつだろうか。なんというか、食材としてはあまり身近ではなく、私にとってとん漬とはコミカルでどこか達観したブタのキャラだったのだ。
初めて食べたのは実家を出て30歳も近くなってから。しかも厚木に行った同僚からおみやげでもらったものだった。
初めて見る調理前の生とん漬は肉厚のロースがひたひたに味噌に漬かっていて、こんなのうまいに決まっているだろうというものだった。
調理はフライパンにアルミホイルを敷いて、とん漬を並べ火を通すだけ。濃厚な味噌と上質なロースのうま味はご飯もビールも、なんか添えてみたパプリカやサンチュも全てをアップデートさせる。あまりの濃厚さにしばらくはいいかなと思いつつもまたちょっとするとあの味が恋しくなり、たまの帰郷の際に買い求めては舌つづみを打っている。
大人となり、厚木を出て練馬に住みながら「最寄りの駅は吉祥寺ですね」と言ったり、新宿伊勢丹メンズ館のコム・デ・ギャルソンを遠巻きに見て入らずに帰ったり、都会に染まってゆこうとする私を、厚木は決して離しはしなかったのである。
終わって解説です
学生時代2年間厚木に行っていたのですが、「とん漬」をお土産として買って食べる機会はなかったので、伊藤さんと同じ感覚です。地元すぎて食べたことないパターンです。
とん漬を魚の皿に盛るところが、伊藤さんの気の利いているところでしょう。
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