チンドン屋が身近になった
子どものころから単語は知っているけど謎の存在だったチンドン屋の謎が晴れた。昭和式で目で耳で広告を感じて楽しんでもらうお仕事だったのだ。
衣装も各自個性があり、音楽を真面目にやってきた人がチンドン屋となり演奏して小咄で人々を喜ばせる、伝統芸能だったのだ。
なにかチンドン屋で広告したくなってきた。
チンドン屋をご存知だろうか。
チンドン屋という言葉は聞いたことがあるかもしれない。僕は小学校の時に飛び交ってた言葉だった記憶がある。また大人になってからも何度か見たような気がする。カラフルな服装を着て太鼓をたたき、なにかを宣伝しながら街を練り歩く人、というイメージがある。
もやっと知っている「チンドン屋」が集まる「チンドン祭り」という祭りが愛知県の名古屋と岐阜の間にある一宮市で開催されると聞いた。
チンドン屋が同時にいくつも見られるイベントなんて早々ない。もう行くしかないのである。
祭りの会場の最寄り駅は、名鉄尾西線の荻原(はぎわら駅)駅というところで、この萩原は昔の宿場町から続く渋い商店街だ。
商店街はこの日ちんどん祭りに合わせた縁日のようで、地元の子供たちや家族連れが楽しんでいた。なんだか最近みない光景な気がして、歩いているだけで懐かしく楽しい。
イベントの開始にはまだ早かったようで、まずは駅の近くの静かな喫茶店「フレンド」で昭和な雰囲気を浴びながら待った。
「きたわよ!チンドン屋!」
なんとまったりしていたら、店のおばちゃんが嬉しそうに声をかけ、チンドン屋3人組がチンドンチンドンと音を鳴らしながらやってきた。
喫茶椅子に座りながら目の前でチンドンドンと練り歩くのを見られるなんてなんと不意をつかれる祭りなのか。
演奏を終わらせるや「いやー、いいですねえ!萩原商店街、すばらしい!私達も食べたい!」と店をべた褒めしてまた演奏をはじめて去っていった。
「嬉しいわあ、コロナで3年ぶりかしら!」
その様子に店のおばちゃんも興奮する。チンドンイベントは地元の人々の定番のイベントらしい。
「また別のチンドン屋さんが来るわよ!」
そんなおばちゃんの声とともに別のチンドン屋が演奏しながら入ってきた。やはり元気をばらまいてた。
喫茶店フレンドで楽しんでいるとすっかりイベント開始の時間になってしまったのでお店の人にお礼してイベント会場へ出発した。
イベント会場に指定された駐車場に行くと多くの人だかりが。近づくにつれ、演奏をしている音が聴こえてくる。
チンドン屋が集まってセッションしていたのだ。
東京音頭など、様々な音楽を各チンドン屋が即興でセッションした。すごい。
今回チンドン屋の大集結イベントがあると知って、なんの楽器から構成されているのだろうと気になっていたのだ。
バンドでいうドラムメンバーは必ずいるが、他のパートは金管楽器だったり木管楽器だったりアコーディオンだったり、構成はいろいろ。
ドラムパートもチンドン屋によって少しずつ楽器が違う。
おまけにそれぞれのチンドン屋で、服のコンセプトも違うのだ。みんな和服かと思ったらそうでもないのだ。
セッションが終わると、各チンドン屋が商店街を歩いていく。それにあわせてついていった。
ついた先がメイン会場で全チンドン屋が揃う。日本全国チンドン大会メイン会場といっても商店街のお祭りのようなほのぼのした空間で、人がいすぎて大変ということもなく、とてもいい。
それにしても、改めて一言でチンドン屋といっても、よーくみるといろんな違いがあるものだ。ビジュアル系バンドやお笑いコンビくらいの幅広さがある。
表彰の基準は、音楽や見栄えだけではないらしい。
チンドン屋はもともと、昭和30年代に一宮で、商店主みずから女装して大売り出しを練り歩き、パフォーマンスを行ったのがそのはじまりなんだそう。
店番そっちのけでやるものだから店をやりくりする奥様から不満が噴出し、だったら決まった時期にということで、昭和41年から祭りとしてチンドン祭りがはじまった。
だからこそコンクールでは、スポンサーとなる商店街の店を題材に、いかに人を惹きつけられるかを技術・アイディア・口上・服装・笑いとユーモアで判定するのだ。
なるほど各チンドン屋が店ののぼりをつけていたのはそういうことだったか。
子どものころから単語は知っているけど謎の存在だったチンドン屋の謎が晴れた。昭和式で目で耳で広告を感じて楽しんでもらうお仕事だったのだ。
衣装も各自個性があり、音楽を真面目にやってきた人がチンドン屋となり演奏して小咄で人々を喜ばせる、伝統芸能だったのだ。
なにかチンドン屋で広告したくなってきた。
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