以下、青字は大北、緑字は石川がお送りします。 |
実家は分譲住宅地の一角にある。家の周りは帰省のときによく見ている風景なので、今回は少し歩いて住宅地を抜けたあたりを見に行くことにした。小学校時代のことをいろいろ思い返し、ノスタルジー気分万全で家を出たのだが…。
なんだこの田舎ぶりは。いきなり度肝を抜かれた。確かに見慣れた風景なのだが、改めて見てみるとこんなに田舎だったとは。眼前に見えるのは一面の「山」「草」「畑」。ぼくのなつやすみか。冬なのに。
⇒子供は田舎に無自覚
石川の地元ほど田舎感はないが都会感もないのがわが町。大阪の中心部まで電車で40~50分。ベッドタウンと呼ばれる一帯に住んでいた。その中でも家ばかりある地域がわが町だ。かつて新田ばかりだったところで昔からの集落はほんの一部。歴史などは特にない。住んでいる人も新しい人が多かったように思う。当時は田舎だなあと思っていた。それは店がなかったからだ。今ここを訪れると住宅地ってそんなもんだぜえと言いたくなる。
⇒子供はお店が欲しい
このあたりは今も昔も畑ばっかりだ。
農地脇の草むらには、秋になると彼岸花が咲いてきれいだった。
昔はここにバケツやタワシが置いてあって農具だか野菜だかの洗い場になっており、「さわるな!さわったらすぐしぬ!」と書いた板が立てかけられていた。当時の幼心にも「それはちょっと子供だましすぎる」と感じていたが、今考えると、あの彼岸花は何かを象徴していたのかもしれない、と思う。いや思わない。
⇒子供は疑りぶかい
花はないが電車ならあるぞ。電車の車庫があるのだが、今訪れると珍しいものだ。とはいえ電車に興味はなかったし、周囲には興味があった子供もいなかった。そしてこの辺で遊ぶと危ないだろうし、相当怒られるだろうというのは子供心に分かっていたのでここでは遊んでいない。「さわったら死ぬぞ」という無言の圧力が電車にはあったように思う。
⇒子供は「死ぬかもしれん」とかすぐ思う
「小さいころはあんなに広かった道が、今ではこんなに狭く見える」。ノスタルジーの定番パターンだ。しかし今回実際歩いてみての感想は、「こんなもんだな」だった。期待していたほど狭くは感じない。ああ、確かにこのくらいだったな、という感じ。自分が成長していないということなのか。
⇒子供でも道幅感覚は正確
いやいや、成長を感じたものもある。小さいころはこういう家のすきまで鬼ごっこやかくれんぼをするのが好きだった。こんな狭いところを走り回っていたのだ。小学生に家の周りを走り回られるのは今思うと嫌なものだったろうなあと同情する。今、ここは走れないだろう。入れないかもしれない。小さかったからこそ遊べた場所で今となっては何の価値もない場所だ。
⇒子供は狭いところが好き
鬼ごっこは確かによくやったが、相手が人間ではないときもあった。 通学路に養鶏場があり、よくニワトリが逃げ出しては道路を歩き回っていた。遊びのネタに貪欲な小学生にとっては、かっこうの餌食だ。一方でニワトリにとってはいい迷惑なわけで、せっかく柵の中から抜け出したとたん、大量の小学生に追い回される。さぞかし絶望的な気分だろう。
⇒子供はニワトリの気持ちがわかっていない
鶏舎!通学路に鶏舎とはなかなか風情のある話だなあ。通学路の途中には田んぼがあった。写真の側溝はかつて田んぼの側溝だった。田にはカブトエビがいた。折りしも理科の教科書の1P目にはカブトガニが天然記念物だという話が載っていた。見事に勘違いした僕はカブトエビをそれは大事に持ち帰って死なせては罪の意識にとらわれていた。そして絶望していたのだ。
⇒子供は「天然記念物」などすごそうな肩書きに弱い
通学路といえば、うちの通学路には自販機がひとつしかなかった。これがその貴重な自販機。唯一の買い食いポイントだ。クラスの悪いやつらはここでコーラを買っていた。
⇒子供にとってアメリカンはワル
悪いやつらとは何のことだ。自販機といえばチェリオ。他社の自販機で買うやつは珍しかった。チェリオは安く量が多かったが、しかしそれでも自販機で買うやつは少なかった。スタンダードなのはビンのチェリオを駄菓子屋で買うというものでそれが最安だった。そこで味を覚えてやっと自販機に踏み入れたとしてもチェリオだったのだ。今でもチェリオを見ると買ってしまう。オレンジのチェリオやライフガードは郷愁を誘う味だ。
⇒子供はビンのチェリオが大好き
昔はなかったのだが、小学校の近くにも100円自販機ができていた。非行の原因になりそうだ。けしからん。
⇒子供は100円でワルぶれるので経済的
タイヤの穴に顔を入れて、遠くからボールを投げて当てにいくという罰ゲームがあったのを思い出した。当時本気で怖かったが、今となってもそりゃ怖いだろうさという思いだ。ただおでこに当てればそれほど痛くないので、よくこの罰ゲームは執行された。ここに連れてこられる理由が「鬼にタッチされた」とかなのだから、子供の世界はよくわからない。今は論理の世界に生きているのだなあと思う。
⇒子供はひどい刑罰を好む
子供特有の世界といえば、呪いの石というものがあった。神社の脇の石垣に「おじいさんとおばあさんの顔がついた石」が埋まっていて、それを触ると呪われるのだ。最初は「触ったら呪いで死ぬ」という噂だけだったのだが、そのうち「触った日におなかを壊した」という証言者が現れ、噂は真実味を増した。今考えたらそれはただの食べすぎかなんかじゃないのか。 小さいころに見たときは石の模様に老人の顔が2つ、くっきり浮かび上がっていたように思ったのだが、今見たらどの石かわからなかった。
⇒子供はオカルトに傾倒しがち
ここはよく遊んだマンションの車置き場。なんでここで遊んでたのか考えたら、ここは車もあまり出入りしない、そして何より地面に線があったことが大きい。線があると非常に遊びやすい。ドッジボールでテニスをする感覚の「天大中小」という遊びをよくした。ここ以外でも線があればすぐに何かして遊んだような気がする。子供の遊びにおいては線の重要度が高い。
⇒子供は線が好き
ここでよく友達としゃべった。なぜここでしゃべったかというと、石があったからだ。土の上に頭を出している石を何気なく掘ってみたところ、全然掘れない。掘れば掘るほど、石は意外と大きく、もっと深くまで埋まっている。
けっきょく掘り出すのに1ヶ月くらいかかったと記憶しているが、子供のころの記憶なので実際はせいぜい2,3日といったところだろう。そんなに根気強いわけもなし。
⇒子供は埋まっているものをすぐ掘る
その話、わからなさがリアルだなあ。この高架下の金網の中は空き地になっていてよく遊んだ。金網でボールが外に出ないので、野球やドッジボールをよくした。ここでばかでかい上級生、いのさんをからかってきっちりシメられたのを思い出した。泣いて謝ったなあ、あの時。身長差20cmはあったのになんであんなことしたのかわからない。多分『ろくでなしブルース』という漫画の影響下にあったのだと思う。この場所でジャンプもよく回し読みしていた。
⇒子供はジャンプを読み込み過ぎる
見知らぬ上級生に虫取りあみを強奪されたことがある。あれは怖かった。
しかしそれ以上に怖かったのがこの道だ。左側の車が停めてある部分は昔は塀になっており、そのむこうから大きな木がせり出していた。そして春になると、その木から極彩色の芋虫が落下してくるのだ。おかげでこの道には常時5~6匹の芋虫が常備されており、当時から虫が苦手だった僕は、ここを通るときはいつも半泣きだった。
一度、友達の背中に虫がついてしまったことがあるのだが、そのときはおかしくて仕方がなかった。あんなに怖い虫も、人の背中につくととたんに愉快なおもちゃになるので不思議なものだ。
⇒子供は人の不幸が好き
不思議といえばシグマ模型店の電話番号が消えていた。写真補正したわけではない。つぶれたのだ。なんでつぶれたかといえば、シグマのじいちゃんが死んじゃったのだ、多分。生きてたらごめん。当時みんなここでミニ四駆を買っていた。友人でミニ四駆を買って組み立て鑑賞するのが趣味のやつがいた。「動かせよ。」と当時は思ったが、今は周りにこういう感じの人が増えたのでなんとも思わない。
⇒子供は間違った楽しみを見つけたりする
鑑賞するといえばエロ本だと思います。
ここにエロ本が沈んでいたときのパニックぶりときたらなかった。当時の僕たちには棒でつつくことしかできず、つつけばつつくほどエロ本は破れて分解し、流されていくばかりだった。
いまの子なら写メール撮って友達に送ったりするのだろうか。解像度のせいでせいぜい「古雑誌が沈んでいる」くらいのことしか判別できないであろう画像を見て、送られたほうは何を思うのか。子供の想像力なら低解像度も補えるのか。
⇒子供は大切なものを触りすぎて壊してしまう
よくエロ本が落ちていたのは学校の隣にある公園の側溝だった。かなり頻繁に落ちていたので、もしかしたらエロ本交換所のような場所だったのかもしれない。「読み終わったエロ本はここに捨ててください」と貼り紙があったのかもしれない。当時エロ本はすげーと思ったが、大変気持ち悪くもあった。吐きそうになったのを覚えている。
⇒子供はエロ本が好きだが怖くも感じる
エロ本の落ちているスポットはなぜか学校の近くに多かったように思う。子供にも大人の世界を覗かせてやろうという、捨てる人の粋な計らいだったのか。
ということで右に見えているのが小学校だ。道の幅は昔とあまり違うと感じないと書いたが、意外だったのは、生垣が思ったよりも低いということだ。広さには鈍感だったが、高さには敏感だった。自分の成長をやっと実感でき、安心した。
⇒子供は他人の粋な計らいに助けられる
学校の門の前に立ってみた。たしかに門の低さに驚いた。まあこんなもんだろうという写真になっているが、当時はもっとばか高いものだと思っていたのだ。門を越えるのに一苦労だったので別のルートを使っていたが、今なら軽く越えられることだろう。「学校の門で遊ぶと死ぬ」と当時言われていたのであまり触らないようにしていた。聞き分けのよい子供だったのだなあと思う。だからこんなにいい大人に。すばらしい。
⇒子供の目線は低い
子供の条件がかなりそろった。そろそろ昔遊んだ場所めぐりはここまでにして、「子供ってどんなだったか」というテーマに戻ろう。
総括
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「死ぬかもしれんとかすぐ思う」「アメリカンはワル」「天然記念物などすごそうな肩書きに弱い」あたりの底の浅さはいかにもといった感じだが、「ひどい刑罰を好む」「人の不幸が好き」あたりはかなりブラックだし、埋まっているものを掘り出しはじめるわ、線とかに異様に執着するわ、でこれはもう相当変でいやな奴なんじゃないかと思う。
遊んだ場所をめぐり、町を走り回ると当時の自分に出会えた気がする。ハロー、自分。出会えた子供の自分はそうとう変なやつだった。しかし2人の調査で、結果お互い変でいやな奴だったのだ。だからこれはもう子供のころのみんなにあてはまるのではないだろうか。みんな変だった。みんないやなやつだったのだ。
みんな大人になれてよかったなあ。
大人ってすばらしいと力強く言いたい。