チカを受け取り、極上の天ぷらをふるまってくれた和田さんの友人家族が遊びに来て釣りに行った時は、お子さんの長靴にチカが1匹入ったまま本州へ帰って行き 、親が見つけてびっくりしたらしい。
思い出と共ににチカは海をこえるのだな。
チカは海を越える
昼前の時点で200匹は超えただろうか、とにかく数えきれないほど釣れた。
「食べ方もワカサギに近いです。その日にうちに天ぷらや唐揚げにしたり、食べきれない時は南蛮漬けにしたり、大きいのは一夜干しにして塩焼きにしたり冷凍保存したりします。もちろん冬以外の季節でも釣れますが、やはり冬場のものが甘味が増しておいしいと思います」
――しかしこれだけ釣れるとそれでも食べきれないんじゃないですか。
「そうなるとチカのもらい手を探すことになります。出会った人にわけたり、ご近所さんを訪問してピンポン押して『チカもらって!』とやったり(笑)」
西尾さんはさっそく駐車場で会った知人に袋につめたチカを渡していた。いきなり釣りたての生魚をどしゃっと渡されても自然に「ああこらどうもすいません」と受け取っていた。
私はこの時、自宅の庭にマイ天文台を作って天体写真を撮っているべらぼうな人、和田直人さんを取材するために釣り場のすぐ近く、野付半島の民泊「ポンノウシテラス」に宿泊していた。
「伊藤さんにも当然持って帰ってもらいます。和田さん(和田徳子さん:和田直人さんの奥様でポンノウシテラスのオーナー)の分もお渡しするので」
和田さんは外出していたので持ち帰ったチカを冷蔵庫に入れておくと(冷やすためでなく凍らないよう)、そこからチカコミュニケーションがはじまり、その夜の食卓にさっくりとあがっていた。
和田さんに下ごしらえをしてもらったチカを持ち帰り、東京の練馬でチカを揚げたり焼いたり食べたりしてみた。
作るたびに標津の友のグループメッセンジャーに写真を投稿し、チカコミュニケーションは続いていた。
チカは野付の刺すような寒さと極白で水平な世界とそこで会った人たちの余韻を練馬に残し続けた。食べても食べても終わらず、むしろ冷凍庫で繁殖してるんじゃないかとすら思えたチカは唐揚げを作ったらなくなった。
小さな体に標津や別海の暮らしを凝縮し、忘れられない絶景の下で泳ぎ回るチカは魂のふる里となってまた私の心を彼の地にいざなうに違いない。