これで自然だ
長年外出中に「鼻の穴付近で何かがそよいでいる」と思っても、確認することが出来ないでいた。そんなモヤモヤを胸に目的地に急ぎ、後になってトイレに入った時に「やはりそよいでいたか」と気が付くこともあった。
しかし、これで解決だ。
誰の目線も気にせず自分のペースで鼻くそを目ヤニを取り除くことができる。恥かしくない。未来のコンパクト鏡と言えるかもしれない。しかし、パソコン風鏡は1日鞄に入れて歩いていたら腰痛になった。恥かしさをとるか、腰痛をとるか難しいところだ。
今まで携帯電話などの電子機器を鏡にしたけれど、別に電子機器でなくてもいいのではということに気が付いた。きっとそっちの方が工作しやすいと思う。そこで目を付けたのが文学だ。文学を鏡にすればいいのだ。賢く見えるはずだ。
目ヤニを気にしているようには見えないと思う。
ロシア文学の巨匠ドストエフスキーの最高傑作「カラマーゾフの兄弟」を読んでいる好青年に見える。しかし、僕の目線の先にあるのは兄弟の話ではなく自分の顔なのだ。
この鏡はとても簡単に作ることができる。
鏡をカットする必要も無い。文庫本のサイズに収まる鏡を買って来て、そのサイズに文庫本を切り抜けばいいのだ。酒の力を借り酔った勢いで好きだ、というくらいに簡単だ。
この本は学生時代にバイト先で頂戴してきたものだ。
自分のお金で買った本を切るのには勇気がいるけれど、もらい物なので躊躇無く切れる。割り勘の飲み会は味わって食べるけれど、おごりだととにかく胃に流し込むのと同じだ。
ロシア文学をこよなく愛しているように見えて実は鏡というものが完成した。携帯電話より鏡は大きく、スマートフォントと違い本を閉じることで鏡を保護できるという利点もある。なかなかの優れものだ。
またこのカラマーゾフの兄弟は下巻だ。
そこもポイントなのだ。上巻だと読み始めたばかりの感じがするが、下巻であることで「あ、ロシア文学を読み込んでいるな」という印象を周りに与えることもできる。目ヤニをさりげなく取り除けるだけでなく、文学好青年という好印象さえ与えることができるのだ。
もちろんこの鏡を作る際はロシア文学でなくてもいい。
「世界の中心で、愛をさけぶ」的なちょっと泣ける本ならば、目頭を触って目ヤニを取ることも、鼻の穴付近でそよぐ何かを取る時も、泣いているように見えて、より自然に見えるかもしれない。ちなみに「鼻の穴付近でそよぐ何か」とは「鼻くそ」のことだ。
長年外出中に「鼻の穴付近で何かがそよいでいる」と思っても、確認することが出来ないでいた。そんなモヤモヤを胸に目的地に急ぎ、後になってトイレに入った時に「やはりそよいでいたか」と気が付くこともあった。
しかし、これで解決だ。
誰の目線も気にせず自分のペースで鼻くそを目ヤニを取り除くことができる。恥かしくない。未来のコンパクト鏡と言えるかもしれない。しかし、パソコン風鏡は1日鞄に入れて歩いていたら腰痛になった。恥かしさをとるか、腰痛をとるか難しいところだ。
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