キャビア、我が家にきたる
僕の住む宮崎県は国産キャビアの先進地といわれている。1983年に旧ソ連から親善の証として贈られたチョウザメ(キャビアの親)を、県の水産試験場が引き受けたことがそのはじまりらしい。
今回もらったキャビアも宮崎県産のものだが、さっそくその御姿をご覧いただこう。40年の歴史に想いを馳せてもらいたい。
サイズはBB弾よりひと回り小さいくらいで、色はグランドピアノみたいに光沢のある上品な黒色。指先でビンの角度をかえてみると電池でも入ってんじゃないかと思うほどピカピカに光っている。
例えが無機物に偏ってしまったが、褒め言葉である。作り物のようにキレイなのだ。
しかしどれだけ美しくても所詮はお魚のたまごである。おにぎりの具にでもなれれば御の字の存在だろう。
それが、言うに事欠いて26,000円である。ほとんど家賃の値段だ。数年前に住んでいた5畳一間のアパートの家賃は28,000円だった。はたして一月のあいだ雨露を凌げるほどの価値がこの魚卵にあるのか。
キャビアを味わう
それでは味をみてみよう。キャビアのテイスティングには作法があるようなので、調べて分かる範囲で方法に従うことにした。
まずは同梱されていたシェルスプーンで手の甲にキャビアを乗せる。
次に手の甲に乗せたキャビアの色や形などを確認する。
なにせBB弾に例えるくらいだから、おべっかのひとつも思い浮かばない。濡れそぼってんなぁと小さく思った。
あとはひと思いにパクっといくだけ。いった!
う、うまい!!!
日頃はキャビアどころかコンソメにすら縁がなく、朝昼はガムで済ませて夜はカップ焼きそばにマヨネーズとデスソースをぶっかけて食べている僕の味覚でも分かる。
このキャビア、明確に、うまい。
ほのかな塩味とねっとりとした舌触りに「こんなもんか」と思った次の瞬間、イクラを100倍濃厚にしたかのような魚卵の旨さが口の中で炸裂。
後味にもまったく嫌な感じはなく、あとに鼻から抜ける香りもまったく生臭くなくてポジティブなイメージが続いていく。
かといって高貴で近寄りがたい味かと言われるとそういう訳でもなく、地に足のついた馴染み深いうまさである。一切の隙がなくてうろたえてしまった。
テイスティングはまだ続く。
キャビアをもう一度同じ要領で食べたあと、キャビアを乗せていた手の甲ともう一方の手の甲を擦り合わせて、残るにおいを嗅がないといけないらしい。
最後のはよく分からなかったが、これでひと段落である。
しかしどうだろう。キャビアを味わう一室にしては、壁に使われている木材に節が多すぎやしないだろうか。こんなに節だらけの壁をあなたは見たことがあるだろうか。
こんな節だらけの壁の畳敷きのウサギ小屋で高貴なキャビアを食べていいのか。
あまりの扱いの悪さにチョウザメはホロリと真水の涙を流している(淡水魚なので涙に塩分がないのである)。
よし、タワマンまではいかずとも、せめてキャビアが似合うような景色のいいところに行こう。そして絶景を望みながら食すのだ。そうすべきだと思った。
景色のいいところにきた
キャビアを保冷バッグにいれて景色のいいところにやってきた。
澄んだ空にたなびく雲が日の出を宣言するかのように黄金色を抱いていて…いや、ぼく普段こんなこと言わないんですけど、キャビアで舞い上がっているので、失礼しました。いい景色です。
ほら、キャビアにはこんな風景がぴったりなのサ。
それでは、美しい景色を見ながらキャビアを頂戴しよう。
…む!これは!!!
お、おもろうま~~~~い!
先述の爆発的なキャビアのうまさが、開放的な風景にまったく似つかわしくないので(外で気軽に食べるには洗練されすぎている)、違和感があっておもしろうまい!
うまい!きれい!うまい!きれい!あ~~おもろい。視覚と味覚が同時にハイレベルなもので刺激されると人は笑うしかなくなるのだ。
これまでキャビアのことを権威を笠に着るいけすかないやつだと思っていたが、考えを改めたい。彼のいまの立場は圧倒的な実力があってこそ築かれたものなのだ。
ビバ、キャビア。
このあと、そのまま出社してお昼ごはんにキャビアだけを食べた。それはそれでうまかった。