ニッチな趣味は続けることが大事なのでは
あるものに、なぜか心惹かれる、なぜか好きだ。といった、趣味の初期衝動は、意外とすぐに冷めてしまう。
しかし、そこを冷まさず、消さず、うまい具合に種火を温存しつつ、適宜に燃料を投下し、心のなかで育てていけば、いつかはきっとこころの芯となるような趣味になるかもしれない。
とにかく、趣味や興味というものは、持続させることが大事である。
乗客はたがいに息をひそめつつ、他の客の様子をうかがう。
赤信号で停車したバスが、アイドリングストップでエンジンを切ると車内は静寂に支配され、ウインカーの音だけが静かに響く。この交差点を右折すれば、次の停留所まで200メートルもない。
「もう、だめだ……、おれが、おれが押すしかない……」誰にも気づかれぬよう、肘掛けに設置してあるボタンをぐっと押しこむ。
「ピンポン、つぎとまります」無機質な音声がスピーカーより放たれると、車内に張りつめた空気がいっきにとける。
夜の底が白くなった。停留所にバスが停まった。
こんなふうにバスの降車ボタンを押す瞬間こそ、路線バス乗車の醍醐味だろう。
そんな、バスの降車ボタンを集めている、降車ボタンマニアがいる。
降車ボタンマニアとして有名な、石田岳士さんのお宅にうかがった。
高校生の頃から40年以上バスの降車ボタンの収集を続けている石田さんは、集まったバスの降車ボタンを、パネル状にまとめ、展示できるようにしている。
このパネルに取りつけられた降車ボタンは、すべて実際に押すことができ、チャイムやブザーとともに、ちゃんと光る。
このパネルは、各種のイベントにも呼ばれることがあり、実物を見たことがあるという人も多いかもしれない。
子供たちが夢中になるだろうな、というのは容易に想像つくが、石田さんの話によると、意外と若い女性にもめちゃくちゃウケるらしい。
かつて、バスや路面電車には車掌が乗っており、乗客がどこで降りるのかを車掌が把握していたため、降車ボタンは必要なかった。しかし、ワンマン運転が広がると、乗客がどこで降りるのか運転手に知らせるしくみが必要になってきた。
そこで登場したのか運転手に降車を知らせるための降車ボタンだ。
初期の降車ボタンは、ボタン自体になにも書いてなく、光ることもなかった。さらにいうと、ボタンの形をしてないものすらもあった。
便宜的に「ボタン」と呼ぶが、ひもを引っ張ったり、ゴムチューブを押すタイプのものもある。アメリカのバスでは、このゴムチューブタイプのものも多いらしい。
ちなみに、ゴムチューブタイプの降車ボタンは、本物を参考に、石田さんが自ら作ったレプリカだ。
時代がすすむと、現在の形に近いものに近づいてくるのだが、その前に、象の頭を正面から見たときのような形の停車ボタンが登場する。今ではなかなか見かけないが、ちょうど、ボタンの部分が象の鼻のようで形がかわいい。
ただ、このタイプは古すぎて製造メーカーが不明のものも多い。
さらに時代が進むと、停車ボタンが点灯するようになる。
なお、バスの停車ボタンが点灯するのは、日本独自の文化で、日本製のバスが輸出されていた台湾や韓国といった一部の国以外では、点灯しないものが今でも一般的だ。
さて、光る方向で進化を続ける日本の降車ボタン。点灯する部分と、ボタンの部分に別れたものが主流になってくる。
現在、降車ボタンの大まかなデザイン(取りつけネジの間隔など)は、規格が定められて決まっているが、その規格の元になったのが、上の降車ボタンである。
ぼくの記憶の中のいちばんふるいバスの降車ボタンは、たぶんこのタイプだったような気がする。
最近は、ボタンを押してから光る場所に書いてある文字は「とまります」で統一されている。しかし、下段やボタンに書いてある文言は意外とバリーエーションがある。上の写真の降車ボタンは、同じメーカーの製品だが、下段に書いてある文言がけっこう違う。特に、右下のものは、見づらいけれど、広告が入っている。
なお、ボタン部分にわざわざ「ボタン」と念押しのように書いてあるのは、四角いデザインが災いしてか、押す場所が分かりづらく、文言の書いてある場所を押し間違えるひとが多かったためらしい。
そして、ボタン内部の光源が、電球からLEDに変化し、形がシュッとしはじめて、現在使われているものに到る。
かつてはさまざまなメーカーが降車ボタンを製造していた。しかし、現在はレシップ株式会社(岐阜県)と、株式会社オージ(東京都)の2社にほぼ集約されてしまった。
この2社の製品の見分け方は、最近のものは、ボタン部分が丸いものはレシップ製、四角いものはオージ製とみてほぼ間違いないだろう。(※注 レシップの最新版は、丸ではなく半円状のものもあり、形が違うものもあるので注意)
石田さんによると、オージ製は、わかりやすさを優先した堅実なデザインが多く、レシップ製は、最先端を行く挑戦的なデザインが特徴で、それぞれ好みはあるけれど、どちらも一長一短あるという。
一見、すべて同じように見える降車ボタンだが、よく見るとこまかなデザインの工夫がされているのがわかる。そのひとつが、誤押下(ごおうか)防止のためのデザインの工夫だ。
ボタンを、軽い力でも反応するよう、押しやすく大きくすると、今度はカバンのカドや腕があたって、意図せず押してしまう「誤押下」が増えた。そのため、誤押下防止のため、カバーを取りつけたものが上の写真の降車ボタンだ。
しかし、押しやすくするためにボタンを大きくしたのに、カバーで覆って押せる範囲が狭くなってしまうのも本末転倒だ。
そこで、ボタンの位置がすこし沈み込んだタイプの誤押下防止タイプの降車ボタンが作られた。
誤押下防止タイプの降車ボタンは、肘掛けなど、間違えて押されやすい場所に設置してあるものはこうなっている。
今度バスに乗ったときは、気をつけて見比べてみてほしい。
――石田さんがバスの降車ボタンを収集するきっかけになったのはなんでしょう?
石田さん「元々バスが好きだというのはあって、高校生のころ(今から40年ぐらい前)バスの写真を撮影するために、バス会社の車庫に写真を撮りにいったんです。するとバス会社の人が『兄ちゃん、バスが好きならそこの廃バスの降車ボタンいっぱいあるから、ひとつ持っていってもいいよ』って、くれたんですよ、当時はバスのマニアというジャンルが、あまり認知されていなくて、珍しがられたんでしょうね」
――今だと、ちょっと考えられないですね。それ以降、入手された降車ボタンというのはどうやって手に入れたんですか?
石田さん「ネットオークションが多いですね」
――ぼくも、ネットオークションを使いはじめた1999年頃は、よくヤフオクでバス停とかをふざけて落札してましたけど、今は値段がグイグイつり上がるから、なかなか買うのが難しくなってきてますね……。降車ボタンもけっこうな値段がしそうですが、一番高いものはいくらぐらいですか?
石田さん「でも、いちばん高くても6千円ぐらいですね、ただ、イーベイとか、海外から発送してもらう場合は、送料の方が高くなってしまうこともありますね」
――降車ボタンをこうやって、パネルにまとめるというのは、いつからやってたんですか?
石田さん「おそらく、2007年か08年ごろからですね、今このパネルは6代目で、最初はこんなに大きくなかったです」
このパネルは、降車ボタン以外はすべて石田さんの手作りで、配線もすべて石田さんが行っている。
降車ボタン一個づつ、着脱可能なユニットになっており、今後、コレクションが増えてもある程度はそのまま追加できるようになっている。
また、各種イベントで呼ばれたときに、現場で故障してもある程度修理できるように、予備の部品も入れてある。
――降車ボタンを40年前に集めはじめたときは、インターネットなんてなかったですよね。
石田さん「そうですね、資料もないですし、だから、だたひたすらバスにのって見てまわるしかなかったですね」
――修行みたいですね。
石田さん「バス好きはけっこういるんですけど、降車ボタンマニアとなるとなかなか同好の士が見つからないんですよね。それでも、3人ぐらいはいましたけど、いまはどこに行ったのか、わからないですね……」
――こういったニッチな趣味の分野は、インターネットで情報発信できるようになってずいぶんかわりましたね。石田さんが降車ボタンのサイトを開設したのはなにがきっかけだったんですか?
石田さん「最初は、降車ボタンの絵をノートの隅に描き起こしてたんですよ、で、これをまとめてネットで公開したのが最初だったんです」
その時代から比べると、降車ボタンのカプセルトイなどが次々に発売されるなどして、降車ボタンというものへの認知度は比べ物にならないほどあがった。石田さんは、降車ボタンのカプセルトイが発売される何年も前から、降車ボタンのキットを自分で作って組み立てていた。あの手のおもちゃの元祖といえる。
あるものに、なぜか心惹かれる、なぜか好きだ。といった、趣味の初期衝動は、意外とすぐに冷めてしまう。
しかし、そこを冷まさず、消さず、うまい具合に種火を温存しつつ、適宜に燃料を投下し、心のなかで育てていけば、いつかはきっとこころの芯となるような趣味になるかもしれない。
とにかく、趣味や興味というものは、持続させることが大事である。
▽デイリーポータルZトップへ | ||
▲デイリーポータルZトップへ | バックナンバーいちらんへ |