ビルの稜線
最近は穏やかに晴れた日が続いて、空の様子に目がいく。
そして見上げた空はビルの群れに切り取られていて、見上げる場所によって形が違う。
山の、峰から峰へ続く線のことを稜線というが、これは言うなればビルの稜線である。
これがなんかいいなーと思っていた。「この境目の向こうは空だなー」と思うのが、なんかいいのだ。すごく漠然とした気持ちを抱いていたが、もっと別の角度から楽しんでみてもいいのではないか。
例えばいい景色としてではなく、稜線そのものを何とかして楽しめないだろうか。
ビルの稜線をなぞる
特になんの見通しも立ってないが「線」が良い、と言う話なので、その線だけを取り出して眺めてみよう。
パキッとした直線ばかりでなぞっていて気持ちがいい。線がわかりやすいのでどんどんなぞれる。頭がスッキリしてストレスが解消されている感じがした。大人の塗り絵と同じ仕組みだ。
ここからしらみつぶしになぞっていくのですが、同時になんか良かったビルの稜線を紹介します。なぞる気持ちで見てください。
そんなことを考えながら稜線をなぞった。ものすごい量のα波が出た。α波に量とかあるのか分からないけど。
なぞった稜線を眺める
景色としてではなく、線そのものを楽しむ。とりあえずそんな目標を立ててこの線を取り出した。
パソコンの画面にこれを映してしばらく眺めた。
おじさんの横顔になった。無理やりな感じもするが、見えないこともない。見立てる、というのはこういう時に使うんだな、という妙な手応えがあった。
何かを正面からでなく、他のものを一旦介して楽しもうという時、人は見立てるのだ。星座がそうだ。「星ってきれいだねー」と言うだけでは感情が収まらなくなって、あんな無茶な見立てが横行したのだ。
…星座だってそうだ、と自分に言い聞かせたら勇気が出てきた。この方向で行ってみよう。
見立てていこう
鼻の下の長い、前に出たヒゲのおじさんになった。ビルの稜線、おじさんの横顔と相性が良い。
横顔ばっかりだなー、横顔以外ないかなーと思って見る範囲を変えてみる。
星座の見立てを前例に挙げたが、全ての星座が色んなおじさんの色んな横顔だったら嫌だろうなあと思う。夏の星座も冬の星座も全部おじさん。ものすごく暑苦しい。
おじさん以外もある!
トサカが小さいので雌鶏だろう。クチバシとその下のビロビロした部分がちゃんとあるので、明らかにおじさんではない。
よく分からないものによく分からない条件のついたモチーフになってしまった。しかもまたおじさん路線に戻りつつある。
稜線をあまり活かしていない感じもするが、天狗より良いと思う。星座だってかなり無理があるやつがある。
校舎の2階から、テニスコートを眺める男子二人、みたいな様子になった。どちらかがテニス部の女子を好きで、もう片方が悩みを聞いてあげているのだろう。しかし悩みを聞いてる方も実はその子のことが好きなのだ。
トルーというのは僕のペンネームである。いや、そんなことはよくて、伸ばし棒はさすがに都合が良すぎるとか、そもそも今までと見立て方のルールが違うじゃないかとか、引っかかることは色々あると思う。しかし自分の名前で読めそうな稜線があったら細かいことは置いといて一旦「読める」という領域に引きずり込んでおきたいではないか。
「ル」が読めて、その左に「ト」と読めなくもなさそうな雰囲気があったら燃料としては十分である。
なんかいいなーと思っていたビルの稜線に自分のペンネームが刻まれていた。アメリカの大統領たちの顔が岩山に掘られてるやつあるだろう。ああいう気分だ。すごいぞ!
結局、何をしていたのか
「ビルの稜線」に注目したくて、何かに見立てて遊んでみた。
そうすることで稜線の魅力が解き明かされるわけでもなく、ただ稜線を見てしまう理由が増えただけだった。星座を考えた人もそうだったんだなと思う。星を眺めて、星について誰かとしゃべりたかったのだ。