街は「部分」であふれている
ここからは森川さん、編集部石川さん、筆者(ほり)の3人で街を歩き、部分ツイートをさがす。
場所は新橋。インタビューに使った貸会議室を出た直後、目に止まったのはルノアールだ。
森川:マイ・スペースの椅子の部分。
ほり:瞬発力がすごい。
その30秒後。
森川:名物串カツのつくしの部分。
ほり:すごい、どんどん出ますね。
石川:元の言葉と意味が離れていて面白いですね。
ほり:たしかに、食品シリーズでありながら、主食と香料という距離感が絶妙ですね。
石川:はやいなぁ。
外出してからまだ3分も経っていない。ものすごい勢いで部分ツイートが出てくる。いままで気にしたことが無かったが、街は部分ツイートであふれているのだ。
ほり:私も見つけました。
森川:いいですね!
石川:僕もこの看板みて考えていたのに全然気づかなかった!
ほり:なんかもう、すべての物にあるなぁ。
石川:八百万(やおよろず)の神みたいな。
石川:いいじゃないですか。
ほり:部分の割合が大きいパターンです。
ほり:国際展示場で祭典が行われているという親和性。
石川:国際展示場の事情の部分。複数の言葉が見つかる場合もありますよね。
ほり:これはすごい。シャイガイはそもそも立ち入りしないだろうという余白の面白さもありますね。これは今考えられたんですか?
森川:はい。
石川さんがほめられる
石川:じつは今朝思いついたのがあって。「ホームルームの葬ると生むの部分」。
森川:それすごいですね!!
森川さんの目の色が変わる。
森川:葬ると生むが逆の意味になっている。
石川:でも検索したらすでに言われてました。
森川:でも思いつかないと、検索できないですからね。その部分ツイートに到達しなければ、既出かどうかを知ることすらできない。
森川さんの言葉にはっとした。検索した結果「既に言われている」と落ち込むのではなく、「同じ高みに到達した同士がいる」と、仲間を見つけた喜びに浸れるのではないか。