河原の風は強い
街中を歩いているときはそれほどでもなかったのに、河原に出た途端ひんぱんに転倒するようになった。河原の風は町よりも強いようだった。一人だと気づかないようなことに気づけるのも、なにかと一緒に散歩する魅力ですね。
私がこのごろ得た気づきに「琵琶湖の形はよく見ると犬っぽい」というのがある。
形が犬に似ているのなら、犬の代わりに琵琶湖を散歩させてもいいのではないだろうか?私の見立てでは、10m離れて目を細めてみたら区別がつかない程度には大差ないはずだ。
ちょうど寒さで外に出るのが億劫になりがちだった昨今、琵琶湖犬を連れて街に繰り出そう。
滋賀や京都で子供時代を過ごす人は、義務教育で「近畿の水瓶」の異名をもつ琵琶湖についてみっちり学習させられるのだが、他の地域の人にはあまりなじみがないかもしれない。
まずは琵琶湖の形を見てほしい。
これを少し傾けてやる。
琵琶湖大橋より南がしっぽ、湖北と呼ばれるエリアが頭、そして絶妙な位置に竹生島(ちくぶしま)という無人島があって、これが目である。
初めて気づいたときは感動した。これは、脚がないことに目をつぶればほぼ犬だ。しかも、これまで見つかった隠れ犬としては最大級じゃないか。
散歩をするためには、とにもかくにも散歩させられる大きさの琵琶湖を作らなければならない。材料には、柔らかくて切りやすいポリエチレンの板を選んだ。軽いから引っ張って歩くのも楽ちんだ。
平面的な琵琶湖のシルエットさえ模倣できればいいので、工作としては簡単な部類である。
左右反転させたものをもう1枚作った。これを貼り合わせれば、右から見ても左から見てもきれいに琵琶湖のシルエットが浮かび上がるという寸法だ。
ただの図形から勝手にイマジネーションを広げてしまう人間の本能を逆手にとったのがだまし絵だ。老婆に見えたり若い女性に見えたりする作品が有名だが、琵琶湖を本棚に置いて眺めたりしているうちにだんだんこれが琵琶湖や犬以外のものに見え始めた。
さっきまで犬だったのに、人面魚にしか見えなくなってきた。魚なら、手足がないのも不自然に見えない。なおさらよくない。
……言葉だけだと、うまく伝わっているか不安なので絵を描いてみた。
しっくりくる。一瞬だが「これはこれでありかな?」とも思った。しかし私が散歩に連れ出したいのは醜いモンスターじゃないんだな。かわいらしい犬、犬なんだ。なんとかモンスターを追い払って認識を犬の方にもどさないと......。
犬の顔の絵を描いた。
少し鼻が大きすぎる気がしたけれど、おかげでさっきまで人面魚に振り切れていた針が、だんだん犬の方により戻されてきた。
ふたたび犬に見えるようになったところで、二つを貼り合わせて外へ。仕上げに脚を取り付けて立たせたら、琵琶湖犬の完成だ。ワンワン!
長らく犬には大型、中型、小型という3つの区別が存在してきたが、この日新たなジャンルが加わった。
サイズは小型犬で形は琵琶湖。なので、湖型犬と名付けようと思う。
さっそく散歩だ。
犬の散歩というと、はしゃいだ犬が飼い主をぐいぐい引っ張っていくイメージがあるけれど、動力をもたない湖型犬が自分から動くことは決してない。
こちらがリードして引っ張ってやらないといけないのだ。
有名人フライデーされるときのありがちな構図に「マスクをして小型犬を抱えスマホを見ながら歩いている」というのがある。
そういうのを見るたびに「自分の脚で歩かせればいいのに」と疑問だったけれど、今日わかった。小さな犬の歩調に合わせるよりも、抱えて運んでしまったほうが楽なのだ。
しかし琵琶湖を抱えて歩いていると思うと、なんだか自分まで大きくなったようで無駄に気分がデカくなる。
途中でパン屋に立ち寄った。
普通の犬と同じで湖型犬も店内に入れないだろうと思って外に待たせておいたのだが、買い物を終えて出てきたら風にあおられて倒れてしまっていた。本物の犬なら一大事だ。
小さめの犬を飼っている人はだいたいみんないつも犬のことを心配しているが、その気持ちが少しわかった。
しかし踏まれて割れたりしてなくてよかった。そんなことになったら悲しいし、企画としてもそこで終わりだった。
そんなこんなで京都市内を流れる賀茂川の川辺までやってきた。犬の散歩といえば、やっぱり川辺だろう。
賀茂川は琵琶湖から流れてくるわけではないけれど、そこは同じ水ということで湖型犬も興奮しているようだった。
パンくず目当てに飛来したハトが、近づいても大丈夫かどうか計りかねて遠巻きに見ていた。このあたりの鳥はとても図々しくて、普段なら人の足もとに落ちている食べ物を平気で拾いに来るのだけれど、さすがにどう接していいかわからないようだ。
最後のコマ撮りが終わるころには日が傾いてきたので、そのまま帰宅した。
琵琶湖を散歩させるのは、思ったよりも楽しかった。初めてのことでいろいろ気づきがあったのと、壊さないように気を使ったせいもあるかもしれないけれど、最後には不思議な愛着のようなものまで生まれたようだ。こういうのも情が移ったというのだろうか。
どんどん散歩に行って、なにかを見つけよう。相方は必ずしも生き物でなくてよいのだ。
街中を歩いているときはそれほどでもなかったのに、河原に出た途端ひんぱんに転倒するようになった。河原の風は町よりも強いようだった。一人だと気づかないようなことに気づけるのも、なにかと一緒に散歩する魅力ですね。
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