日本のどこか、もしくはガンダーラにあるというおじいちゃん、長女、次女、三女......これからもこんないい感じの出会いも期待しながら、家族を大きくしてゆきたい
これは家族になるんじゃないか
10年ほど前、散歩していたら居酒屋「さんなんぼう」に出くわした。
少し後、友人と旅行で熊本あたりを走っている時に目前をよぎり、とっさにシャッターを切ったのが次南坊。
「これは家族になるんじゃないか」
さんなんぼう、じなんぼうと立て続けに現れるとはなんたる僥倖。きっと家族を揃えるべしという神の啓示に違いない、ビッグダディ顔負けの大家族を築こう、書を捨てよ町へ出よう。あ、インターネットで検索するのは無粋なのでたまたま見つけたものに限るのね、というマイルールのもと、この世界で離れ離れになった家族を集める尊い試みが始まった。アウトドア般若心教ならぬアウトドア家族である。
しばらくして無事長男を発見。
鳥取では頑固で立派なおやじが仁王立ちしていた。
迫力と包容力に満ちている母も現れた。
わずか2年ほどで父母に息子3人が参集したがここからその勢いはぴたりと止まり、結局5人家族どまりかというムードのまま月日は流れた。
新宿の母ならぬ船堀の祖母
時はめぐって2020年、私に訪れた春の兆しは梅の花ではなく、東京は船堀駅の近辺をぶらぶらしていたら目が合ったひとつの看板だった。
突然の祖母との遭遇、さらにこの店は今まで出会ってきたファミリー達とちょっと違った様相を呈している。
「ちょっとくれば」
なんだろう、首根っこつかまれて連行されるのでなく、別に嫌ならいいいけどもしあれだったら来たらいいんじゃないのというほのかな提案性。
この感じはまさに、静岡の伊豆でセミの幼虫やコガネグモを家に持ち込んでもにこにこしながら温泉まんじゅうを食べさせてくれた私のおばあちゃんのスタンスではないか。
こんな私でも行っていい場所なのかもしれない。
しかし、だ...
「なんか側面にラグジュアリーな女性描いてあるんですが.......」
ばあちゃん家はこの側面に女性が描いてあるビルの5階にあるっぽい。
なかなか侵入するのに勇気がいる雰囲気、というかそもそもこのビル今の時間帯は全体的に寝てんじゃないのという気がしてならなかったが「ちょっとくれば」にちょっと行ってみたいマインドを抑えきれず、エレベーターに乗り込んだ。
ばあちゃんは広義の親戚
「ばあちゃん家くれば」へのアンサー欲は高まるばかり。後日、日が暮れて、あの側面に女性が描かれたビルが活気付くであろうという時間に再訪してみた。
煌々と輝く看板を見て、これは間違いなくくればと言われているだろうと5階まで上がり、おそるおそる扉を開けるとすぐ目の前にこじんまりとしたコの字カウンターがあり、すでに席の大半は先客で賑わっていた。
注文を切り盛りしている女性と目が合い席に案内されると、こちらから何一つ聞いてないのにいきなり「ばあちゃんです!」というコールとともに本当におばあちゃんを紹介された。
「今日は雨で寒いのに来てくれてありがとうございます」
雑居ビルの一角が一気に母方の実家のようになった。
立地や店の佇まいはともかく、ばあちゃん家をばあちゃん家たらしめるのはやはりばあちゃんの存在なのだ。
この店のばあちゃんこと柳沼さん(お名前も聞いて素敵な名前だったんだけどご本人がすごく照れていたので書かないでおきます)はなんと御年83歳である。
しかも私とはうれしい符合があった。
「私の旧姓は伊藤なんですよ、じゃああれだね、親戚だね」と広義の親戚認定をゲットした。
しかしなんでまたこの場所に「ばあちゃん家」なのか。
そもそも息子の嘉仁さんがこのビルでパブを営んでおり、13年前にテナントに空きができた際、柳沼さんにお店をやってみないかと持ちかけたことがきっかけで「ばあちゃん家ちょっとくれば」は始まった。店名は嘉仁さんの命名である。
「料理屋は前に郡山でドライブインをやって以来で、ずっと夫とやってきたんだけど最近は体を悪くしちゃったんで娘や孫に手伝ってもらいながらやってます」
一番の売りはばあちゃんのお手製料理、食べる人に寄り添うような優しい味わいがまさにおばあちゃんの味。
週に4日は通い、「ばあちゃんに育ててもらってます」という人や、ここを離れ遠くに引っ越したが所用で来たついでにお土産を持ってくる人、常連さんが入れ替わり立ち代わりやってきてはばあちゃんの手料理に舌鼓を打ち、世間話に花を咲かせる。
みなさんフレンドリーに私が来店した理由を聞いてくれるので「いや、家族みたいなお店を集めてましてね...」とその都度説明しながらホッピーを飲む。
「次は次女とか見つかるといいよねえ」と言われた。次女、いいですね。